これだけネットで騒がれてようやくTVが扱いだすなど、どうにかしている。もちろん、「公正、中立なNHK様」や「産経、読売」などはスルーするのだろうが、例の小学校の話である。当然、トップか準トップクラスの扱いであるべきニュースなのだが、まだ「触り方は、一番初めに出てきた事柄」だけというお粗末さである。

前回、国交省の木造住宅振興室が 平成27年度サステナブル建築物等先導事業(木造先導型)のプロジェクトで、鉄骨ではあるが「内装や外相に木材を使用して視覚的に木造校舎を再現した」という名目で6000万円以上の補助金を決定したことは伝えた。大阪府も国交省に負けず劣らず、まだ名前もない、認可も降りていないこの『小学校』に4000万円をプレゼントするのだそうだ。全く国民を馬鹿にしている。自分たちの仲間内で「税金」を分け合っている彼らの仕事が漏れ出たのだろう。たった一件の事件でもこれだけ「あっちこっち」から手を回して、実際は「彼ら」には何の負担もなしに1つの小学校がたってしまう。普通なら、「政権が吹っ飛んで」しまう事件だが、とても「後進国日本」ではそんなことはできまい、と海外では噂が……

4000万円 ご当選おめでとうございます!
   まだ施設名もないのに『4000万当選おめでとう 「初めて聞いた」と答弁した安倍晋三記念小学院
   ございます。』 私もおこぼれにあずかりたい。 総理をやめた後、そうなるのだそうだ。

森友学園3

文字配列がおかしいと指摘されている記念小学院の文字配列、当然あそこには『安倍晋三』と入るのだろう。また、この学院建設のお知らせは「国有地」であるのだが、標識の設置年月日は2014年11月6日、安倍内閣になって1年目。大阪府への小学校設置の認可を申請したが認可は降りてない時で、国有財産の処分方針を決める国有財産近畿地方審議会が開かれる数か月前に建っている。開かれる前から売買できると分かっていたわけだ。それも、購入資金もなしに…

17日には、国会で「私も妻も一切認可にも国有地払い下げにも関係ない訳であります。認可においては大阪府ですか?に確かめて頂ければ良い事であって私に聞かれても全くわからない。私やが関係していたなら総理大臣も国会議員も辞めるとはっきり申し上げる」と安倍総理は答弁した。総理自身の関与には時間がかかるだろうが、『妻』は簡単だろう。後は『やる気』の問題、「法治国家」であることを、世界に見せるかどうかの瀬戸際である。

                                          金沢京子
ようやく地上波でも話題になりつつある、国有地を格安で払下げしたことが問題になっている森友学園の疑惑をわかりやすく整理して書いてみましょう。

籠池泰典理事長が、教育勅語大好き愛国小学校だという問題はさておき、私立の森友学園が経営する塚本幼稚園の充足率が50%。定員割れの経営危機の状態でなぜ小学校の開設が認められたのかを考えてみましょう。森友学園は、大阪府私学審の会合で新たに校舎を建てる際に用意するよう定めている基本金が13年度は「ゼロ」と報告され、委員から「計画性がない」と懸念が示されてもいました。



                                          mizuya55 ‏
安倍晋三記念小学校を作るために、国有地を売却することを決定した際の近畿財務局の議事録。購入資金がないから借地とし、同時に売買予約。期限内に買えばいいという破格の条件。委員は小学校側の経営まで気にしてる。委員には 読売新聞社員と元産経新聞社員が。

                                      乃木涼介【公式】
本当に綺麗で立派な小学校でした。8億分のトラック何千台といった土を運んだという近隣の住民の話は聞けなかった。真隣の音大が7億で買いたいといったが却下された。隣の公園は14億で豊中市が買った。移住させられた住民達はそこが公園になると説明を受けていた。報告。

本当は別の話題にしたかったわけだが、また「記念小学院」になってしまった。2月19日と言えば、アメリカで『日系人が強制収容所』に送られた日である。また、オーストラリアを初めて日本が空襲した日でもある。2月20日は『小林多喜二』が「治安維持法」で殺された日でもある。(取り調べ後、戸板に乗って家に帰された。そのまま、意識を戻さずに死んだ。両手の指はすべて外側におられ、腹部は内出血で黒く変色していた。警察を出るときは息をしていたのだろうから、公的記録では死亡に数えないのかもしれない。公的な記録とはそういうものである。)これらはまた別の機会に書くとしよう。

なお、オーストラリアが『親日』国のように書いてある記事があるが、戦争中「日本兵」を「その勇敢さに敬意を表して遺体を日本にまで届けた」のような、馬鹿げた言説を真に受けてはいけない。当時日本軍の捕虜となっていた「オーストラリア兵」への待遇がマシになるように行っただけで、戦後「捕虜」が大量に死に、「餓死寸前」で解放されたとわかった時、激怒した。いつでも「ジャブ、ゴーホーム」と叫びうる国である。『日本すごい』を真に受けていると、世界で「立ち往生」する。

【参考】
日本のオーストラリア空襲は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年2月から翌1943年11月までの期間にわたり、連合国の一国であるオーストラリア本土、地域の主要空域、周辺諸島、沿岸輸送ラインの船舶が、日本帝国海軍および日本帝国陸軍の航空機によって少なくとも97回の攻撃をうけたことをいう。1942年2月19日のダーウィン市への爆撃は、日本がオーストラリア本土に対して行った最初にして最大規模の攻撃だった。2月19日、4隻の日本航空母艦(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)はオーストラリア北西のチモール海の 洋上から計188機を発進させた。これらの188機の日本海軍艦載機はポート・ダーウィンに甚大な被害を与え9隻の船舶が沈没した。同日午後に54機の陸 上攻撃機によって実施された空襲は、街と王立オーストラリア空軍(RAAF)のダーウィン基地にさらなる被害を与え、20機の軍用機が破壊された。 これらの攻撃に使用された弾薬量は、先日の真珠湾攻撃の総量を凌ぐと言われている。

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