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戦争は国のリーダーが始め、 国民の犠牲で終わる。 政府が守るという 「国民の命と財産」の 国民に     あなたと私は含まれるのだろうか。

                                               河北新報 社説 2014年08月15日 引用
 国の安全を高める政策の組み立ては難しく、 多角的で深い想像力と 周到な戦略が必要だ。
 一定の防衛力は要るにしても、 その強化だけで平和を守れない。 ややもすれば 過信を生み 偶発的衝突を招く恐れさえある。 交流の促進と 懐の深い外交こそ肝要で、 領土や歴史認識をめぐり途絶える 中国、韓国との首脳会談実現を急ぐべきだ。

 昨今の国際情勢、 時代の空気が 100年前の第1次世界大戦に似る、と見る向きがある。 目先の国益追求や 国の威信への固執と 対外的恐怖などが絡まり、 政治指導者がミスを重ねた揚げ句、 想定外の大戦を招いた。

 軍備増強と同盟強化が 抑止どころか逆効果となって 総力戦に発展し、 次の大戦にもつながる深刻な傷を残した。 限定や 最小限の期待が裏切られる戦史の教訓に学ばなければならない。

 著書「全体主義の起原」で知られるドイツの政治哲学者ハンナ・アーレントは 事実を多様な角度から見、 語る意義を指摘する。  異論に耳を傾けない 結論ありきの構えの危うさを教える。  戦争は国のリーダーが始め、 国民の犠牲で終わる。 流されてはいけない。 平和を「次の戦争開始までの短い期間」としないため、一人一人、平和維持に向けた思索を深め、行動で示す当事者意識を問われている。                               (引用終り)

   「人間魚雷・回天」
                                              写真は 「過去を忘れて 戦争に行こう」さん
 今年の「敗戦の日」は、 余り大きなニュースとして報道されなかったようだ。 安倍内閣を支持した人々にとっては、 「靖国参拝をしない」ことで 拍子抜けをしたであろうし、 安倍内閣に 反対する人々にとっては、 「不戦の誓いも侵略の反省も口にしない」 総理の演説に 共感することもなかった。 いずれの人々も 不満の中で終った。

 安倍総理は 「積極的平和主義」を語る際に 「国民の命と財産を守るために」と よく言うが、 この 『国民』の中に あなたや私は入っているのだろうか。  少なくとも、 「回天」 (写真左) や 「箱爆弾」 (右) の 特攻少年は 含まれてはいまい。 「箱爆弾」というのは 余り知られていないだろう。 米軍の資料らしいが 本当かどうか 確認するために 『沖縄戦へ』さんの一部を 紹介しよう。                                       -- 以下引用 -- 

  【沖縄戦で戦闘に参加したのは、徴兵令にもとづいて召集された正規の軍人だけではありませんでした。】

    ・満17歳~満45歳までの兵役からもれた男子:防衛隊---約2万5000人

      ・1943(昭18)年6月 (警備)
      ・1944(昭19)年10月~ (陣地構築や飛行場建設工事など)
       ・1945(昭20)年2月~  (兵力の補充) 
           
         1944年12月に、沖縄守備軍兵力の3分の1に当たる第九師団が台湾に
         転出、1月に第九師団の後を補てんする第84師団の沖縄派遣も中止に
         なったため、戦力増強が迫られていました。
    -- 中略 --

・中等学校の男女生徒・・・・・・・・・・・・・・・・・・学徒隊---約2,300人
     (男子11校、女子9校、共学1校)
     男子:鉄血勤皇隊---陣地構築・壕掘り、橋や道路の補修
                  食糧・弾薬・けが人運び
                  食糧収集、炊事
                  伝令、情報宣伝
                  特攻斬りこみ、対戦車爆雷攻撃

     女子:従軍看護婦隊---陸軍病院(野戦病院)で負傷兵の看護、食事・水の世話、
                    便・尿の世話、手術の手伝い、戦死者の埋葬

        ※学徒隊への参加は法的根拠がなかったため、生徒の志願による義勇隊の
          形式がとられました。 しかし、志願とは名ばかりで、学徒隊への参加は義務
         づけられていたのも同然でした。
                                 (引用終り)

 米軍資料には 「小学生か 中学生くらい (12, 3歳) 」とあるらしいが、中等学校の 鉄血勤皇隊の役目に 対戦車爆雷攻撃とあるので、 これが この写真のことではないか、と思っている。 戦車の回転する キャタピラーに飛び込み自爆することで、 戦車は破壊できなくとも、 キャタピラーを破損させ 動けなくする。 これも 他のサイトからの聞きかじりになるが 修理に1日程度かかり 戦車の進軍を止めることができたのだそうだ。 「特攻斬りこみ」ともあるから、修理する 米軍兵に向かって、 斧(おの)や 鉈(なた)で 襲い掛かったのであろう。 日本軍自体が 武器がほとんどないような状況で、 中学生にまで 「満足な武器」が わたるはずもない。 無数の弾痕が痛々しい。

 ところが、 『カルト宗教』にかかると、 これらの沖縄戦も、 勇猛果敢な大和民族が 米兵を苦しめた美談に変わってしまうのである。 草むらから 「ランドセルを背負った小学生が 戦車に飛び込み、 自爆する。」 … だから 銃撃せねばならないが、 正常な人間なら 気持ちのよいものではなかろう。 心も痛むのが普通であろう。 こんな攻撃に 何も感じない感覚こそ 問題である。

日本の軍人さんたちが、あまりに近距離での激戦を挑むことで、米軍では沖縄戦全体で2万6000人もの兵士が、戦闘神経症にかかって戦列を離れています。

 「回天」は ご存知の方もいようが、 特攻型の 潜水艦である。 内部が見えるようになっているのは珍しく、 かがんだ姿勢で ずっといるしかないことがわかる。                       以下  鳥飼行博研究室 より 引用

人間魚雷「回天」とは,重量 8,3 t,全長 14,75 m,直径 1 m,推進器は 93式魚雷を援用。航続距離 78 マイル/12ノット,乗員 1名,弾頭 1500 kg。約400基生産された。連合国の対潜水艦技術は優れており,騒音を発し,操縦性も悪い日本の大型潜水艦が,米軍艦船を襲撃するのは,自殺行為だった。「回天」の技術的故障,三次元操縦の困難さも相まって,戦果は艦船2隻撃沈と少ない。

 「十死零生」の体当たり自爆攻撃という特攻を軍が立案し,作戦として用いたのは,1944年10月20日以降のレイテ湾の戦い(レイテ島攻防戦)からといわれる。日本海軍機による「神風(しんぷう)特別攻撃」が編成され,連合軍艦艇に自爆体当たり攻撃を実施した。特攻第一号は,敷島隊関行男大尉とされた。

 海軍の初の組織的な特攻攻撃は,「神風特別攻撃隊」として,国学者本居宣長の歌から,敷島隊,山桜隊など4隊を組織し,海軍兵学校出身艦上爆撃機パイロット関行男(23才)を特攻隊指揮官に任命した。フィリピン防衛に当たる第一航空艦隊の(仮)司令官は,海軍中将大西瀧治郎で,「特攻隊生みの親」と後に祭り上げられた。

大西長官は,特攻隊を「統率の外道」であるが,必要悪として認め,作戦として実施すべきと考えていた。一説には,大きな戦果を挙げて,日米和平の契機を作ることを真の目的にしていたと言われる。

しかし大西中将は,神風特攻隊を発案したわけでもないし,特攻を時間をかけて編成,準備したわけでもない。

やむにやまれず特攻を採用したというのであれば,敗戦の後になって,「自害するなり何なり勝手になすべく」責任をとることもできた。統率の外道をおかしたと認識していた大西中将は,自刃,割腹している。宇垣纒中将も,部下を道連れにする私兵特攻という罪を重ねた。 死にきれなかった軍上層部の将官や佐官以上の将校にも,戦後,ひそかに慰霊したり,謹慎して過ごした人もいる。自殺など容易にできることではない。しかし,特攻隊を編成した高級軍人の中には,参議院議員,大会社顧問に就任して,堂々としていた人物もいる。軍の名誉と特攻隊・犠牲者への思いはどうなったのか。

彼らが「自発的に体当たり攻撃を始めために特攻隊が生まれた」というのは,英霊の名誉と自己犠牲の精神に共感するからではない。大本営,軍上層部の要職にあった自分たちの,指揮官としての責任を認めないからであろう。
                                        全文リンク → 鳥飼行博研究室    (引用終り)

 「十死零生」の体当たり自爆攻撃 -- 必ず死んで帰れ --という この作戦は 「統率の外道」どころではない。 殺人ではないのか。 特攻隊を編成するという事は、 立案、企画し、 設計し 兵器を製造する。 志願したからといって、 「回天」や「箱爆弾」が できるわけではない。 そのいずれかに関わったもの -- 軍部以外、 官僚、 経済界にも 責任がある。 ドイツの強制収容所に勤務していた 「歯科医師」にすら 責任が問われたほど、 世界は厳しい。 この責任追及を 「日本政府、国民」が 一度もやらなかったことが 今の世情を引き起こしている。 中韓に対する 「戦争責任」よりも まず 「国内的」に これを考えるべきだろう。

 特攻隊として 「戦死した」兵士にばかり 目を向けるべきではない。 それを企画し、組織した 「責任者」について 考えるべきだろう。  そうすれば、 「靖国参拝」が どうのこうの 一々言わなくとも良くなるはずである。
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