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皇后のお言葉を 「正確に論評しない」マスコミ。 ロシアの声すら トップニュースだったのだが … 「靖国神社」と「明治維新の混乱」は 今の神道勢力の弱点だろう。

 10月20日に 「ロシアの声」が トップで 美智子皇后さま 傘寿の誕生日 というニュースを伝えた。 日本の報道機関も 一応伝えてはいるが 扱いが小さい、 そして、 すぐ 次のニュースに置き換わっていった。

 「日本向け ロシアの声」ではあるが、 そんなに 「トップニュース」が 日本のニュースとはならない。 どちらかいうと、 ロシアや それに関連するものが多い。 皆さんは、 この「美智子皇后のお言葉」を ご存知だろうか。 どこかが 論評してから書こうと思ったが、 「お蔵入り」のまま 終わってしまいそうだ。

 これだけ 「右傾化」が叫ばれているのだから、 そして彼等は 「天皇制国家」を目指しているのだから、 この扱いが大きいのが普通である。 ところが ドッコイなのである。 まず、 「ロシアの声」が どう伝えたかを紹介しよう。

                                                      10月 20日 ロシアの声 引用
     美智子皇后さま 傘寿の誕生日 平和を呼び掛ける
             美智子皇后
                                       写真も 好意的なものだ  ロシアの声から借用
美智子皇后さまは80歳、傘寿の誕生日を迎え、記者の質問に文書で回答を寄せられ、来年戦後70年を迎えることについて、「大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います」と述べ、「今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています」とつづられた。日本のマスコミが伝えた。

また疎開を経験された皇后さまは、「戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました」と述べられた。

皇后さまは、社会貢献活動に積極的に取り組まれ、音楽や文学にも造詣が深く、御歌を詠まれたり、絵本も執筆されている。                                                            (引用終り)

 今の 安倍政権を支える「右翼組織」に 「天皇や皇后」は 余り人気がない。 不思議なものだが、 皇太子にいたっては 全く人気がない。 多くの 「右翼勢力」は 「秋篠宮」を 皇太子にすべきだと 主張している。 「雅子妃」や「愛子様」 にいたっては、 「反日、 非国民、 在日認定」などの 罵詈雑言が飛び交う状況である。 今の天皇家の 「正統派」は 彼らの望むような天皇ではないわけだ。 先日も 「天皇の談話」で 「私は憲法を守ります。」などと わざわざ言及されていた。 今の日本の社会状況を 憂いているような発言であった。 今回の 「皇后の談話」も、 絶えず平和を志向し、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力 などと わざわざ言われていることに 注意を喚起すべきだろうに … 特定国を誹謗、中傷したり、 それを取り締まることに躊躇したり そういう政権に 「天皇家」としての言葉を発したのだろう。

 今の政権の閣僚が最も多く加盟しているのが、「神道議連」であり、 その会長は「安倍首相」である。 彼ら「神道勢力」は 天皇制を主張しているのだが、 その天皇は 彼らにとって都合のよい人物でなくてはならない。 「天皇」なら 誰でもよいわけではないらしい。 「明治天皇」は 15歳で 「天皇」に祭り上げられたが、 その父である 孝明天皇が 1867年1月 --大政奉還が行われた年-- に 急死したことが原因である。 そして 病名は 痘瘡(天然痘)だという。 

 どのようにして 感染したのか はっきりしないが、 痘瘡(天然痘)で死亡した天皇は もう一人居る。 元禄時代の東山天皇である。こちらも 感染経路ははっきりしないが、 当時の状況は 孝明天皇同様 複雑であったようだ。

                            WIKIによると (この付近はあまり偏った意見が多く書かれていない)

 1853年の黒船来航以降、天皇及び朝廷の政治的地位は外見上は急速に高まっていき、天皇自身も 朝政を主導してきた太閤の内覧職権を停止、関白の内覧職権も停止して朝廷における自身の主導権確保を図っている。 公武合体運動を推進し、あくまで幕府の力による鎖国維持を望んだ。

 次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは 天皇に対する批判が噴出するようになる。 第二次長州征伐の勅命が下されると、 大久保利通は西郷隆盛に対する書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言し、岩倉具視は国内諸派の対立の根幹は天皇にあると暗に示唆して、孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果たし、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよと記している。

 その天皇が数えで36歳の若さにしてあえなく崩御してしまったことや、幼少の睦仁親王が即位し それまで追放されていた親長州派の公卿らが続々と復権していった状況などから、直後からその死因に対する不審説が漏れ広がっていた。尊攘派公家が長州勢力と結託して様々な工作を計ったことなどもあり、長州藩には最後まで嫌悪の念を示し続けた。この嫌悪感については『孝明天皇記』に記録された書簡に明記されている。                     (引用終り)

 この天皇が在位する限り、 「明治維新」はなかったわけで、 そういう意味からも 「他殺説」が ささやかれている。 

 ところで、 今をときめく 「神道」は、 「靖国神社」関係者が 強い勢力を持つ。 この靖国神社は 元はといえば 山口県 (長州藩) にあった ( 長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した ) 桜山招魂社が、起源である。 その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀した。 明治維新後 東京に移してからは 東京招魂社 (明治2年) と呼ばれていた。 招魂社とは、幕末、国のために働き、志なかばで戦死した志士を祀っているということになっている。 ただ、靖国神社は、神社であるからといって、伊勢神宮や宇佐神宮のような古い神社とは違う。 靖国神社と改名されたのは明治12年6月で、西南戦争が終結し、新たに官軍の戦死者を加えて祀るのを機会に改名された。この折り、神社社屋を一新し神職者を常住させ、体制を整えたものである。靖国神社は明治12年以降、官軍の戦死者のすべてを祀ることなった。

 では、 新しいから「たいした事はない」のかというと、 破格の扱いを受けている。 東京招魂社 (明治2年)は 知行地1万石とされたのである。 知行地が1万石を超えるのは 日本に3つしかない。 伊勢神宮が4万2千石、春日神社が2万2石、日光東照宮が1万石だけだ。 歴史は浅くとも、 明治政府と 「ピッタリ寄り添った」国策神社なのである。 ついでながら言っておくと、 明治政府は (明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告し、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。 これによって 寺院は 収入の道をなくし、 廃寺するものが多く出た。 廃仏毀釈の動きで弱っていたところで 止めを刺されたようなものだった。 江戸時代から端廃仏毀釈をやっている 長州、水戸、津和野藩もある。これらの藩は 神道系の国学思想だったためであり、 この考えが 明治維新に持ち込まれたものだ。

 廃仏毀釈が徹底されたのは、 明治政府を作った藩が多く、 例えば薩摩藩では、寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人にのぼった。そのうちの3分の1は軍属となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵に回されたと言われることもある。

 1882年(明治15年)に「軍人勅諭」がだされ、「義は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ (つまり天皇への忠節の義務は山よりも高く 、人の生死、命は鳥の羽よりも軽いと覚悟せよ・・と言う意味) として、天皇のために命を捧げよ、と説いたが、 その一方、戦争で命を落とした 者は 国の神として靖国神社に祀られることが制度化されていった。

  こうして靖国神社は国民を戦場に動員する上で、また、兵士の父母や兄弟姉妹、国民全体の戦争への精神的団結をはかる上で 絶大な役割を果たしてきた。 まさに、 特別な神社であって、 外国でも これを一般的な 「宗教施設 ( war shrine と呼ばれるように」とは 見ていない。  戦時下の子供たちは 「お国のために死んで靖国の英霊になれ」 と教育され 「♪今日も学校に行けるのは~兵隊さんのお陰です~」 などと歌わされていた。 戦争に対してまさに一切の疑問を抱くことも許されない、民主主義のかけらも無い、国家的ファシズムの時代を 「靖国神社」は 作り出したのである。

 この続きは 次項にて また書いていこう。 
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COMMENT - 1

ぽんのんの  2014, 10. 28 [Tue] 10:16

天皇ご夫妻を心から尊敬します。
美智子さまは、日本の、いいえ、世界の奇跡の女性です

そしてリュウマのパパさんも・・
でも、尊敬できる人が随分見かけなくなってしまった日本ですね。

「ぽんのんの」と「ほっかいどうサンキュー」に掲載させていただきました

 わたしはもう難しい事はできなくなりました・・でも簡単なことは、まだ大丈夫かなとブログを続けています。

 リュウマのパパさん、ブログを続けていてくださり、ありがとうございます

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