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沖縄の基地問題も、 憲法改正の動きも 何も伝えないマスコミと  お上 (強いもの) に依存する 日本の国民性が もう一度 日本を戦争に巻き込む。

 テレビが映す 「日本社会」と ネットで見る 「日本社会」との乖離が ますます激しくなっていく。 沖縄の 「辺野古」さえ テレビでは問題にならない。 お笑い番組が 流れまくっている。 ネットの議論は 「同好の士」の ガス抜きでもあるかのように そこだけで煮えたぎってはいるが 燃え広がる気配は無い。

 
民衆がものを考えないということは支配者にとって実に幸運なことだ アドルフ・ヒトラー(政治家)

問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。
                                                                 キング牧師

 「改憲論議」が ネットでは盛んに行われているが、一般国民に広がる気配は無い。 国民からも 「賛成」「反対」の声も聞かれない。 私たちは 現在の憲法しか知らない。 明治憲法を懐かしむ人々によって 今正に 憲法改正への道が 引かれようとしている。 この2つの憲法を 経験した 大正デモクラシーの 「尾崎行雄」の言葉を紹介する 尾崎行雄bot @Ozaki_Yukio なるツイートがある。 そこに載っている言葉のいくつかを紹介しよう。

今回制定せられんとする所の(日本国)憲法は彼(明治憲法)に比すれば非常に優れたものである。優れれば優れるほど、知識道義のなお低い我が国人民においては実行は困難であるということを覚悟しなければなりません。
                                                       『委員長報告に対する質疑』

実に立派な憲法である。眩しいまでに光り輝く憲法です。請い願わくば、この(日本国)憲法が猫に小判を、豚に真珠を与えたような宝の持ち腐れにならないことを切に祈る。                           『民主政治読本』

今度の新憲法をただでもらったと思うほど敗戦に対する認識不足の国民なら、もはや到底独立国家を営む資格はない。ただどころか、この憲法は数百万人の人の命と数千億の戦費と、台湾・朝鮮・樺太・千島等の領土と無条件降伏という最大の不名誉の代償にしてやっと手に入れたからである。                       『民主政治読本』

戦争放棄を新憲法の花とすれば、国民の権利義務を規定した第三章は新憲法の実である。    『民主政治読本』

 憲法発布があった段階では 「新憲法」への評価は とても高かったようだ。 ただ、 「猫ちゃん」や「豚さん」によって その花を へし折られて地に捨てられ  その実は 熟することもなく収奪されようとしている。 敗戦に対する認識不足の一部の国民によって 廃止されようとしている。

心配なのは明治憲法さえ使いこなせなかった国民に、果たしてそれよりも立派な新憲法が使いこなせるだろうかということである。しかしどうにか子供が正宗の名刀を振り回して大怪我するような真似をしたくないものだ。  『民主政治読本』

 では 国民の意識について、 「尾崎行雄」は どのように書いているのだろう。


福沢諭吉先生は私に諭して、「猿を相手に書け。俺はいつも猿に読ませる積りで書くが、それで丁度当世にあてはまるのだ」と言われた。・・・されど私は今「人」の為にこの読本を書く。                         『政治読本』

有権者が「道理」を愛し不正不義を憎めば政党は善事を為し、正道を踏む公党となり、有権者が無理でも押し通す「力」を有り難がれば政党は悪事を為し、邪道を踏む私党にならざるを得ない。                『民主政治読本』

日本の選挙は久しい以前から政府党は必ず勝ち、在野党は必ず敗れる体たらくである。我が憲政を毒する百弊の源はここにあるとさえ思われる。                                             『民主政治読本』

多数党でなければ何も出来ないから投票しても損だと考えることも、長いものには巻かれろ式の封建思想の名残であって、多数少数は有識者が投票して決めるのだという民主政治のいろはさえ弁えぬ者の戯言である。『民主政治読本』

我が国人の多数は今日でもなお力の世の中なりし封建時代の残夢を結んでいるから、道理を馬鹿にして多数の腕力で立憲政治を運用しようと試みている。多数でさえあれば何をしても善いと考えている。         『帝国の危機』



 最近の 「皇国史観」のような考えについては、-- もちろん、 これは復古主義であるから 昔もあったわけで … 今さらの日本人の考えではない、 福沢諭吉の言う 「猿」の考えであろう。 -- 次のように述べている。

我こそ世界第一の優れた民族である自惚れて世界の憎まれ者となり、国際的に全く孤立してついに国を亡ぼしたものに西にドイツあり、東には日本あり。深く相戒めて、日本再建の戒めとせねばならぬ。         『民主政治読本』

自国の長所だけを観、他国の弱点のみを察して我の長と彼の短を相対せしめしいて自ら安んじ得意となるばかりが愛国者の態度でもあるまい。否、かかる間違った自負心、愛国心は往々、その国運を誤るものである。『新日本の起点』

この頃は外国のことといえば悪口のみを言うことが流行し、穴を探しては悪口を言う。日本のことといえば短所欠点までもこれを弁護するのが一世の風潮となっておりますけれども、それは国を誤る根本で国家の進歩が止まってしまうのは、この偏狭なる根性から起こるのであります。                               『普選問題の研究』

現在の大和民族は自己自身を如何に見ているか。日常耳目に触れる所の言説に曰く日本人は偉い。曰く戦争にかけては世界一だ。曰く度胸が据わっている。曰く俊敏だ。曰く礼儀正しい。・・・凡そ天地間優秀の性質は、大和民族が尽くこれを具備しているような言を述べている。                                       『回顧漫録』

(日本人は)屈しやすく、また奢り易い。形勢非なれば卑屈に陥り、形勢是なれば傲慢に流れる。何れの国民といえども多少この習癖のないものはなかろうが、我が同胞は、比較的多量にこれを持っている。          『回顧漫録』

平生はかなり理知的な人でも、一度「国家のために」と言い魔法にかかるとすっかり理性を失って国家のためなら善悪は問う所にならずと喜び勇んで、実は国家の不為になるような真似をする。               『民主政治読本』

近頃、日本精神という言葉が頗りに用いられているが、それが復古主義以外に何らの意味もないのは誠に残念である。私は日本精神を過去に求めずして、これを将来に作り出したく思っている。即ち未来の日本をば、過去の日本より善く仕上げたいのである。                                              『日本はどうなるか』

私は国境を限界とする愛国心で行き止まりになっている日本人の道徳観を、もう一度進めて国境を越えた人類愛の境地にまで延ばして行くことがこれからの民主教育のあり方だと思う。                    『民主政治読本』

 どうも、 日本人には 「大和民族」を 特別視する 『血』が いつの時代でも 流れているらしい。 そして、 それが 『大和民族』を 破局へ追いやっている。 「尾崎行雄」の心配が 21世紀に 現実になろうとしている。

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