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「戦争の犠牲者とは誰か」 -- 北陸中日新聞 -- の戦争への反省と 三原じゅん子の「八紘一宇」を礼賛、  21世紀の同時期の出来事とは 思えない。 

 三原じゅん子氏が 参院の国会質問で 「私は今日(国会議員の)皆様方に紹介したいのは 日本が建国以来大切にしてきた価値観として「八紘一宇」」 「この八紘一宇という根本原理の中にですね、現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち居振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです!」と おっしゃったのだそうだ。 素晴らしい日本ではないか。 日の丸の小旗と 旭日旗が 議員の席で 振られている。 そして みなで「君が代」を斉唱した …  そう続くのではないかと思えるほどの 「時代錯誤」だ。

 ドイツ国会で 「一つの民族、一つの帝国、一人の総統」というスローガンを 熱く語るのと同じだろう。 もう 救いようがない。 どの国が 「相手にされていないか」 もうすぐ 一般国民もわかるだろう。

                                                     山崎 雅弘 @mas__yamazaki 
国会議員が国会の公的な質問で「八紘一宇の考え」を礼賛し、自国のあるべき姿の手本だと論じ、現職大臣兼与党副総裁がそれに同調して「八紘一宇の考え」を肯定する。 八紘一宇とは、戦前戦中の日本がアジア諸地域を自国の傘下に収め、「世界で最も優れた存在」である天皇とそれに従う日本人をピラミッドの頂点とする形で、アジアに一大勢力圏を築くという大義名分に使用された政治的スローガン 「天皇を戴く日本は最も優れた国である」との自国優越思想が根底にある。


 戦後70年に向けて この内閣は談話を出すそうだが、 取り巻きが みな「極右」で、 身内でしか議論していないようだから こんな質問を許しているわけだ。 一度、 すし屋へ招待していない 「新聞社」の意見も読んでおかないと、 国際会議で 「大恥」をかくことになるだろう。

             戦争の犠牲者とは誰か        寄稿 田村光彰
                                                    北陸中日新聞   2015年3月7日

 高い倫理性と深い宗教性で知られたドイツのワイツゼッカー元大統領が一月三十一日に死去した。

 政治指導者、ドイツ福音主義教会(プロテスタント)の最高機関のメンバーとして折に触れて発する演説は、世界を駆け巡り、多くの人の心に共感と尊敬の念をはぐくんだ。ナチスの暴力支配とその殺戮(さつりく)戦争への反省は、近隣諸国にドイツへの信頼感を高め、ドイツ国民の歴史認識に大きな変革をもたらした。

 その変革の一つは、戦争の犠牲者は誰か、を示したことでもたらされた。戦後、西ドイツは長い間、国民全体がナチスの犠牲者であるという意識にむしばまれていた。

 一九八五年、ドイツの敗戦四十年にあたり、連邦議会で行われた演説はとりわけ有名である。 元大統領は、犠牲者とは誰かを心に刻むよう語りかけた。 彼は、 ドイツ人同胞よりも 真っ先に「六百万のユダヤ人」、 ドイツが占領した「ソ連・ポーランドの無数の死者」を挙げている。 殺戮されたロマ民族、 同性愛者、 強制的に不妊手術された人々、 ドイツに占領された「すべての国のレジスタンス」の人々。 「良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人々」も犠牲者であると。 大多数のドイツ国民は 犠牲者ではなく、 ドイツは加害国であるという歴史認識の原点を 国民に示した。

 日本に目を転じると、 八月の政府主催の全国戦没者追悼式では、毎年三百十万人の戦没者が追悼される。 ここに日本の植民地支配と侵略により殺された 二千万人以上のアジアの犠牲者は含まれていない。 日本の加害責任は 忘れ去られたままである。

 もう一つ、日本の加害責任にふれない場は、靖国神社である。 この神社の付属施設・遊就館には、 軍服、武具甲冑(かっちゅう)、銃、刀剣、軍旗、連隊旗、ヘルメットなどが展示され、 自国戦没将兵のみを英霊として顕彰している。  明治以前の庶民の古俗であった 敵も味方も祭るという開放性に反して、 ここでは敵の魂は鎮魂されず、 内向きな暗さが目立つ。

 一方、 ベルリンにあるドイツの同じ追悼施設 「ノイエ・ヴァッヘ」には、 市民、兵士など国籍、 民族を問わずすべての死者が 「戦争と暴力支配の犠牲者」として 追悼されている。

 すなわち、ユダヤ人、ロマの人たち、血統や同性愛のために殺されたすべての犠牲者。 ワイツゼッカー元大統領の挙げた死者が、 人々の記憶に<生かされている>。  施設の中心に展示されているのは、 第一次大戦で息子を失った彫刻家ケーテ・コルヴィッツの 「死んだ息子を抱く母親」像 だけである。  軍旗も銃も武具も一切ない。 息子は軍服も着けず、裸身である。 子どもを失った親の悲しみが伝わる。 これが戦争の本質であると訴えている。

 先の大戦で死んだ日本の二百三十万人の兵士の六割は、 歴史学者の藤原彰によれば、 兵たん・補給無視の計画・指導による 餓死とのたれ死にであるという。  国家は、英霊として「ありがとう」と感謝するのではなく、 まずもってドイツのように、 「ごめんなさい」と謝罪するべきである。  謝罪は悪いことに対して行うので、 繰り返さない決意となる。

 逆に「ありがとう」はいいことに対して行うので、繰り返される恐れがある。  宗教学者の菱木政晴氏は、戦没者を褒めることやありがとうは次の戦死者を想定し、「後に続け」につながる危険性を指摘している。  集団的自衛権の行使により、 地球規模での自衛隊の参戦が間近に迫る今日、 ワイツゼッカー演説は、 三十年を経て「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目をふさぐ」愚挙に警告を発し続けている。                   (引用終り)
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