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人の命をもてあそび、勝ち負けにこだわるような戦勝記念日という日を祝うのは、いいかげんもう止めた方が良い。人として恥ずべきではないか、-- DOGLOVER AKIKO -- は その通りだ。そのためにも 絶対必要な 「客観的歴史の学習」

  「日本軍の正当性」を主張する人々の言い分 「兵士個人の『暴走』であって、 日本国に責任はない」、は 世界で理解されるだろうか。 Celeste さんの言うように 実際はずっと多様で複雑なはずの個人の歴史の経験を「多様で複雑なもの」として受け止める余白が大事 という こういう考え方が 多くの方に共有されるとよいのだが …

                                                  Celeste @yy_celeste · 5月8日
以前親切にしてくれたインドネシア人のお父さんも日本軍に殺されていた。日本軍が来た時、戦う術のない村人はすぐに降参して日本軍をもてなした。すると、翌朝までに村の若い女性を集めろと言われた。村長だった父は夜の間に船で女性たちを他の島に逃がし、翌朝一人で日本軍の所に行き、斬首された。

この話を聞いたとき私はまだ中学生だった。日本が戦争をしていたこともアジアの他の国に行っていたことも知ってはいたけれど、目の前にいる人のお父さんがこんな理不尽なかたちで殺されていたという事実のショックは大きく、今でも忘れられない。

                                                 Celeste @yy_celeste · 5月9日
当時ジャカルタの展望台みたいな所には日本軍による強制労働のジオラマがあった。一方で、独立戦争に参加した日本兵が結構いたことも知った。一人一人にそれぞれ戦争体験があり、単純な善悪とは違うのかなと思った。大叔父が大戦中にインドネシアにいたことを知ったのは、しばらく後になってからだ。

高校生の時の終戦記念日は、オーストラリアで迎えた。同じ8月15日だけど、新聞に大きくvictoryって書いていてそっか立場が違うんだって思った。だいたいオーストラリアと戦争していたことすらちゃんと知らなかった。新聞に日本兵が処刑されてる写真とか載っていてちょっとびびった。

戦争の記憶にもおそらくメジャーな物語とそうでないものがあって、後者はあまり語られることも記憶されることもないのだと思います。どの歴史の解釈を正しいとするかよりも、実際はずっと多様で複雑なはずの個人の歴史の経験を「多様で複雑なもの」として受け止める余白が大事なのかなと思います。                          (引用終り)

硫黄島の戦い

 余りにも 日本の近代史を 教えずに過ごす 「日本の教育」 -- とても、 自虐史観などと呼べたものではない。--では、 オーストラリアとの戦争を知っている 「若い世代」は 少ないだろう。 だから 逆に 「その反発」も大きい。 戦勝国による 一方的な 「祝賀行事」について 冷静に討論することすら 我々の知識のなさでは 逆に難しくなる。

 Celesteさん同様、 戦勝国「オーストラリア」で終戦記念日を迎えた DOGLOVER AKIKOさんが 次のように綴 (つづ) っている。 結論部分は 私も共感する。 このとおりであろう。 そのためには、 「敗戦国 日本」は、 相手国の納得できる 「客観的な歴史」を学び、 相手国と討論できる素養を 国民に植え付ける必要がある。 自国に都合のよい 歴史だけしか知らないのならば 相手の指摘に 「〇〇すら ちゃんと知らなかった」と 立ち往生することになる。 そういう意味で「皇国史観」は とても危険なのである。

                                                      DOGLOVER AKIKO 引用
 敗戦国から来て、戦勝国オーストラリアで暮らしていて、戦勝記念日を迎えることほど嫌なことはない。国中が、勝った勝ったと大騒ぎする日。侵略者ニッポンを懲らしめて、こてんぱんにやっつけてやった正義の連合軍オーストラリア。

早朝、日の出とともに、あちこちの記念碑の前で、軍による国旗掲揚と式典があり、小中学校、高校生たちは誓いの言葉を述べ、一般の人々も参加する。マーチを演奏し、元兵士や現役の兵士、警察、学校の子供達などが行進をする。元兵士は国じゅうのヒーローだ。生きて帰ってきた元兵士たちは、胸にバッジをつけて誇らしげに行進の先頭を歩く。それを人々は、国旗を振りながら拍手と声援を送る。どこを見渡しても制服ばかりだ。

メディアも一斉に、戦勝国側が「正しい戦争」をやったという’キャンペーンに明け暮れる。第一次世界大戦で、日本は連合国側で戦ったにも関わらず、いつの間にか第二次世界大戦で日本軍がアジア諸国で行った攻撃、残虐な侵略、捕虜の虐待などに話題が移っていて、メディアによる日本たたきが行われる。

彼らにとって日本への原子爆弾投下は、日本軍によるアジア侵略を食い止め、侵略を悪いことだと思い知らせるための必要不可欠の処置だ。原爆は誤った国への「制裁」であり、自分たち連合軍は正しい道を教えてやった良き指導者であり、正しい先導者だと信じて疑わない。 戦勝国がそんなに偉いのか。何という奢り。       -- 中略 --

戦争は一部の者の利権のために引き起こされる。悲しいのは、それに賛成する人も反対する人もひとリ残らずすべて国民が巻き込まれることだ。そして本当に、ごくごく一部の人に利益をもたらすだけで、一般の人は財産を失い、人間性を忘れ、良心を麻痺させ、希望を無くし、命まで失う。

そんな戦争に良い戦争も悪い戦争もない。正しい戦争も間違った戦争もない。人を殺してそれが正しい戦争だった、正義のための良い戦争だったなどと、誰に向かって言えるのか。戦勝記念日という言葉をもう使うのを止めるべきだ。

人の命をもてあそび、勝ち負けにこだわるような戦勝記念日という日を祝うのは、いいかげんもう止めた方が良い。人として恥ずべきではないか、と思う。                                   (部分引用 終り)

                         全文リンク → DOGLOVER AKIKO シドニーで観たり聴いたり
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COMMENT - 3

受け付けない  2015, 05. 11 [Mon] 10:14

全面的に賛同
もう何も足す言葉が無い

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ローレライ  2015, 05. 11 [Mon] 11:25

『イスラム国』と日本軍

『イスラム国』の首切りや慰安婦狩りの報道から旧日本軍の戦争犯罪には考えが及ばない報道人が多い。

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subaru  2015, 05. 11 [Mon] 14:26

ごめんなさい。辛すぎて読み切れません。
「自虐史観」って、どうしてそれが世界に通るでしょう
桜井よし子さん、読んでほしいです。

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