スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本語と英語で読むと 「太平洋戦争」は 全く別のものになる。 あと、 10年 日本は「平和」でいられるだろうか。 -- ガメ・オベールの日本語練習帳 --  『STOP ザ・安倍』を 真剣に考えよう。

ガメ・オベールの日本語練習帳 さんが 「ふたつの太平洋戦争」という記事を書かれているが、 当時のアメリカから見た 『日本』が どういうものであったか、示唆に富む話をしている。 全文は リンクしておくのでそちらで読んでいただくとして、 外国から見た日本がどういうものであったか、大筋を紹介したい。
                                        全文リンク → ガメ・オベールの日本語練習帳

                                           ガメ・オベールの日本語練習帳 より 編集引用
日本は、また、ふたつの異なる盤面を政治上も文化上もつくろうとしている。  同じ世界を眺めているはずなのに、きみとぼくが見ている景色はまるで違うものになってしまっている。 この記事を書いてみようと思ったのはそれが理由です。

西洋世界は、戦争が終わったあと、石器時代にもどってしまった都市の廃墟に立って日本人が求めたもの、その手ににぎりしめたいと思ったものは「自分が自分でいられる自由」だと思っていた。  安倍晋三が首相になって、高い支持率を誇っているのを見て、どうやらそれは間違いだったらしい、と皆が思い始めている

「皆が思い始めている」と言っても、ここでいう「皆」は職業上やその他の理由で、日本をずっと関心をもって眺めてきたひとたちという意味で、なんだか、あと10年、ほんとうに日本は平和でいてくれるだろうか、とおもう機会が増えてきた。

こうした局面では、ドイツ人たちのように、自分達が30年代から40年代にかけてやったことについて考えを変更したわけではなくて、一応、相手の気持ちをそこねないように謝ってはみせたものの、ほんとうはきみだっておかしかったじゃないか、と社会ごと信じている日本社会の頑固さは、日本の致命傷になりかねない。 …… 余計なお世話だけど。

戦争のような悲劇を、あんまり面白がってよいものではないが、日本語と英語と、両方から太平洋戦争の歴史を追ってゆくと、「ほんとうに同じ戦争の話だろうか?」と思うことがよくある。

もういちど、なぜ、あの太平洋戦争がふたつの異なった戦争として歴史に存在するのか、考えてみることにも、少しは意味があるのではないかと思います。

 ドキュメンタリのインタビューに答える元アメリカ人兵士たちの口からは  The Japanese didn’t know how to lose. (日本人は負け方を知らない) という言葉がよく出てくる。「the Japanese」に注意するとよいが、「文明人ではないんだ」というニュアンスの点で、かなり「うんざりだ」という感じの言葉です。

日本での特攻隊員への「方法はあやまっていたが国を思う純粋な気持はわかる」という評価を思い出すと 「初めのカミカゼ以来日本人をケダモノとしか思えなくなった」、「こいつらは人間ではない、と思った」、「特攻は自分達の艦に対するというよりもずっと個人的な攻撃、自分個人に向けられた攻撃だと感じた」 という感想が多くて、「随分、ちがうなあ」という気持になる。 神風攻撃のあとでは日本人を敵というよりも遙かに個人として激しく憎み軽蔑するようになったと インタビューに答えている。

日本のひとの興味をひきそうな点で、アメリカ復員兵士たちが、ほぼ全員口にするのは「広島と長崎に原爆を落とすことになったのはカミカゼの直截 ( ちょくせつ -- ずばりと言えば --) の結果だ」ということで、つまり、神風攻撃を肯 (がえ) んじるような ( --肯定するような -- ) 「人間とは異なる何か違う生き物」 と日本本土で戦えば、いったいどれだけの人間が死ぬだろう、という意識を全員がもっていたようにみえる。

  戦争指導部も「トルーマンに原爆投下を決心させたのはカミカゼだよ」というが、 この認識は日本で見聞きした日本人の考える投下理由 ( 「アメリカ人の日本人への人種差別のあらわれ」 で 「日本人が自分達より劣った人種だと考えたアメリカ人たちの日本人を利用した生体実験」 ) とおおきく異なっている。

日本人は 「原爆が投下されたから多くの人命が救われた」というアメリカ政府の公式見解でもある主張は「とんでもない恥知らずな言い訳」と捉えられている。何度かアメリカ人たちに、「そう表向きはいうけど、結局人種差別ではないのか。」と尋ねたことがあるが、 顔を真っ赤にして怒りだす人や、軽蔑の冷笑を浮かべる人がいるだけで、これに同意する人はなかった。 

日本の人の思惑とは別にアメリカ人たちのほうは、「原爆は多くの人命を救った」と考えている。  面白い事に、アメリカ人のうちの日系の人も 他のエスニックグループのアメリカ人と反応が同じだった。

日本人からみれば、(当然だと思うが)民族の力を傾けて華々しく、アジア人同胞のために、少なくとも初期には互角以上に「白人」と戦ってみせたつもりの太平洋戦争は、アメリカ人やイギリス人にとっては、ナチと四つに組んで戦っているのをいいことに、後ろから襲いかかってきた卑怯者との戦争にしかすぎない。

正面の門に大悪魔の軍勢が攻め寄せてきたときに裏庭からこそこそとはいってきて不意打ちをくらわせた卑劣な敵、というのが日本人のイメージで、 ( まさか日本人に面と向かってそうは言えないので ) 、 まったく異なる印象をもって戦争を記憶している。 こうやって眺めてみると、日本人との認識はびっくりするほど、違う。

日本人は八紘一宇の大義に燃えて、文字通り国運と自分の身命を賭してアジアのためにたちあがって反人種差別戦争を戦ったと考えているが、 同じ戦争をアメリカ人は、ヒトラーが連戦連勝で勝ちすすみ、イギリスもロシアも全力を挙げて戦っても勝てず、欧州のパワーがアジアで萎んだのをみて、いまならアメリカが参戦しても二正面なので勝てる、と踏んではじめた「計算高い卑怯者相手の戦争」として戦った。

日本人の残虐と傲慢に、ハンフリー・ボガートやイングリッド・バーグマン、キャサリン・ヘップバーンというような有名人たちを含めた広汎な層のアメリカ人たちが中国人たちの悲運に深い同情の気持を持ち、日本人の行いを憎んで、せめて義援金をというので莫大な金額を中国に献金していたりしていた

1941年12月7日の参戦は、だから、太平洋においては、それまでの直截(ちょくせつ)友人を助けられないフラストレーションをふきとばす爆発的な解放の日でもあった。

空の戦争で言えば、話がかみあっているのは、ガダルカナル島の上空で日米のパイロットが死闘を繰り広げていたころまでで、アメリカ人のパイロットたちは日本の戦闘機パイロットの操縦技量の素晴らしさに舌をまき、日本のパイロットたちはアメリカ人パイロットの無茶苦茶な闘志と勇気に感動している。そこにあるのは「ひとつの戦争を戦う敵味方の戦士の姿」である。

そこだけが符丁があっていて、フィリピンで神風特攻の敷島隊が出撃したあとは、片方は悲壮な聖戦を戦っているのに、もう一方は人間ですらないケダモノと吐き気をこらえながら戦っている。  殺しても殺しても自分の生命ごと爆弾を叩きつけてくる薄気味の悪い敵にアメリカ側も完全に理性を失って皆殺しを神に誓っている。

「一億総特攻」を呼号しだした日本人たちの動向をアメリカ人たちは正確に知っていた。 沖縄島の攻略だけで12600人を失ったアメリカ軍は、将校から兵卒に至るまで、全国民が人間をやめてカミカゼになれと命じられた日本人が充満する本土に上陸すればどれほどの損害がでるかを考えて戦慄していた。

人間の気持ちというものを考えれば簡単に想像がつくことだと思うが、どの連合軍兵士にとっても5月8日 (ドイツ降伏) 以降の死は全部ムダ死にで、当然、戦場でも著しく消極的になっていった。 空でも陸でも「自殺攻撃」してくる日本人をみるたびに、「なんでこいつらは親玉のドイツ軍が降伏したっていうのに、まだ戦争をやりたがるんだ」と考えたようだった。

しかし日本人自身がよく知っているように、日本人は戦争に狂ってケダモノになったわけではなかった。  日本の社会の「なにか」が、日本人を押し黙らせ、ニセの感情で笑顔を合成して、明朝は特攻出撃という夜になって母親を相手に明るくふるまって挨拶を述べ、その父親には「立派に戦って死になさい」と言わせる。  母親は、その夜、父親とは異なって、「とうとうお前の番なんだね」とだけ言います。

父親に励まされて出撃した特攻隊員は奇跡のようにアメリカ機動艦隊空母に命中したようでした。 そうして「とうとうお前の番なんだね」とだけ述べて息子を送り出した母親は、終戦とその後の毎日を淡々と暮らしたという。

姉の証言によれば、戦争が終わって何年も経ったある晩、突然、特攻で死んだ息子の写真を抱きしめて、
「昌明、ゆるしておくれ! 昌明、あなたはどうして死んでしまったの? わたしのかわいい昌明、なぜあなたが死ななければならなかったの? わたしは、なんて酷い母親だろう。どうして、おまえにあんなむごいことが言えたのだろう。許しておくれ、許しておくれ」と叫んで、その場で泣き崩れてしまった。

この話を聞いて はじめて太平洋でアメリカ人と日本人が戦った、ふたつの別々の戦争の話が、やっと 1つの戦争の話だと、私の気持ちの中で整理がついた。                                       (引用終り)

 本当によく 日本社会を見ておられる。 そして、 アメリカの見方も わかったような気がする。 問題は 多様の見方を知らずに、 一方の それも世界では全く通用しないような 『見方、考え方』を吹き込まれた人々にこそ、 読んでいただきたい文なのであるが、 なかなかそうはいくまい。

 『南京虐殺』や 『慰安婦』で 日本にケチをつけるなら、 その前に 「東京大空襲」や「広島、長崎の原爆」を謝れ、 などという論調は よく目にする。 ガメ・オベールさんも書かれているが 当時は 「一億玉砕」が 国民に命じられていた。 世界の中で 「枢軸国は もう日本1カ国」となり、 全世界を相手に戦っていた。 外国兵士が言うように「なぜ、 戦争を続けるのか。」 外国人には 理解できなかったろう。 勝利も、戦闘の目的も 何もなかった。

 きれいごとを並べて 「八紘一宇」などと言うが、 大本営が 国民に配った 「連合国上陸後の 国民は どうすべきか」が書かれている 冊子には、 「女、子どもは 背中に包丁を隠し持ち、 笑いながら 米兵に近づき、 キンタマを思い切りけって 包丁で心臓を狙って殺せ。」「男たちは、 静かに背後から米兵に近づき、 ナタや鍬で 頭を叩き割れ。」と 絵入りで 国民に指示した。 それ以外にも、 靖国神社に行けばあるのだが、 海にもぐっていて竹ざおの先に爆薬をつけ、 上陸艇が来たら 自分もろとも 爆破する作戦など、 全員滅亡を国民に強いた。

米国軍の 「このまま、上陸すれば どれほど犠牲が出るか …」という心配を あざけ笑うことはできないし、 その論理の矛盾も指摘できない。 「負け方を知らない日本」の指摘は 同意せざるを得ない。 『日本社会の何』 が こういう風潮を作り出すのだろうか。
スポンサーサイト

COMMENT - 0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。