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国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対しよう。  国立大学への税金の投入は 「国としての義務」であり、 それを行うことで 国立大学を「政権のいいように」してはならないのは 当たり前のことだ

 成立当時 「小渕総理」が 「絶対に教育介入になるようなことはしない。」「強制するようなことは 絶対にない」と 何度も言った 「国旗国歌法」 -- 平安時代や江戸時代にできた法律ではない (笑) -- つい最近 16年前の1999年にできた法律である。 「日の丸」や「君が代」が どのように使われてきたのかを考えれば、 そして それを利用し、今風に言うと 「反日」「プロ市民」などと 他の人々をののしり 「恫喝した」連中が 日本社会の中を跋扈 (ばっこ) していたかを考えれば、 この法律の持つ意味、この法律を制定したいと思った連中の思惑がわかる。

 内田樹氏が そのブログの中で語っていることを少し引用する。      (全文はこちら → 。内田樹の研究室)

 -- 前略 -- 遠からず、この立法化で勢いを得て騒ぎ出すお調子者が出てくるだろう。式典などで君が代に唱和しないものを指さして「出ていけ」とよばわったり、「声が小さい」と会衆をどなりつけたり、国旗への礼の角度が浅いと小学生をいたぶったりする愚か者が続々と出てくるだろう。 こういう頭の悪い人間に「他人をどなりつける大義名分」を与えるという一点で、私はこの法案は希代の悪法になる可能性があると思う。

 一世代上の人々ならよく覚えているだろうが、戦時中にまわりの人間の「愛国心」の度合いを自分勝手なものさしで計測して、おのれの意に添わない隣人を「非国民」よばわりしていたひとたちは、8月15日を境にして、一転「民主主義」の旗持ちになって、こんどはまわりの人間の「民主化」の度合いをあれこれを言い立てて、おのれの意に添わない隣人を「軍国主義者」よばわりした。こういうひとたちのやることは昔も今も変わらない。 -- 中略 --

いつでもなんらかの大義名分をかかげてひとを査定し、論争をふきかけ、こづきまわし、怒鳴りつけることが好きなひとたちがいる。彼らがいちばん好きなのは「公共性」という大義名分である。「公共性」という大義名分を掲げて騒ぐ人たちが(おそらくは本人たちも知らぬままに)ほんとうにしたがっているのは他人に対して圧倒的優位に立ち、反論のできない立場にいる人間に恫喝を加えることである。ねずみをいたぶる猫の立場になりたいのである。 -- 中略 --

小津安二郎の『秋刀魚の味』の中に、戦時中駆逐艦の艦長だった初老のサラリーマン(笠智衆)が、街で昔の乗組員だった修理工(加東大介)に出会って、トリスバーで一献傾ける場面がある。元水兵はバーの女の子に「軍艦マーチ」をリクエストして、雄壮なマーチをBGMに昔を懐かしむ。そして「あの戦争に勝っていたら、いまごろ艦長も私もニューヨークですよ」という酔客のSF的想像を語る。すると元艦長はにこやかに微笑みながら「いやあ、あれは負けてよかったよ」とつぶやく。それを聞いてきょとんとした元水兵はこう言う。「そうですかね。そういやそうですね。くだらない奴がえばらなくなっただけでも負けてよかったか。

私はこの映画をはじめてみたとき、この言葉に衝撃を覚えた。戦争はときに不可避である。戦わなければ座して死ぬだけというときもあるだろう。それは、こどもにも分かる。けれども、その不可避の戦いの時運に乗じて、愛国の旗印を振り回し、国難の急なるを口実に、他人をどなりつけ、脅し、いたぶった人間がいたということ、それも非常にたくさんいたということ、その害悪は「敗戦」の悲惨よりもさらに大きいものだったという一人の戦中派のつぶやきは少年の私には意外だった。

その後、半世紀生きてきて、私はこの言葉の正しさを骨身にしみて知った。  -- 中略 --

国難に直面した国家のためであれ、搾取された階級のためであれ、踏みにじられた民族の誇りのためであれ、抑圧されたジェンダーの解放のためであれ、それらの戦いのすべては、それを口実に他人をどなりつけ、脅し、いたぶる人間を大量に生み出した。そしてそのことがもたらす人心の荒廃は、国難そのもの、搾取そのもの、抑圧そのものよりもときに有害である。                                 (引用終り)



                                                           埒不埒 ‏@hurati
息子が友人のアメリカ人に日本社会に日常的に存在する「空気を読む」という状況について説明をしたところ、のけぞって呆れていたという。なんで他人の顔色ばっか気にしなきゃいけないんだ?自分の人生だろ?なんてもったいないことをするんだ!と。

                                                    ANTIFA京都 ‏@AntifaKyoto
「大学人」はせめてこの署名ぐらいはしよう。万を超える署名がないとおかしいですよ。
            国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する声明

国立大学に税金を回すのは「たんなる国の義務」です。国歌斉唱の「要請」の根拠にはなりませんね。「税金もらってるんだから国歌斉唱は必要でしょ」という感覚が広まってるので、書いときます。

大学で国歌斉唱が強制されれば,大学の学問の自由(憲法23条)と個人の思想信条の自由(19条)を侵害する。税金が投入されていることは,その侵害を正当化しない。なお,その論法からは,国立大学は,国策に沿った研究を強制されることにもなる

                                                           KEI  @kei_cy
たかが歌なんだから、歌いたい人は歌えばいいし、歌いたくない人は歌わなきゃいい。国歌は「歌わされるもの」じゃなくて「歌いたいと思うもの」でしょ。政治的・歴史的文脈以外にも、宗教的だったり様々な理由で歌えない人がいる。それを強制することの意味をよく考えよう。
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COMMENT - 1

めざめ  2015, 06. 18 [Thu] 14:04

国民からぶん取った税金がいざ自分の懐に入ったとたん、それを自分の金のように国立大学の頬を打つって。元々誰の金だと思ってるんだ、って話ですよね。こちらはそんなことに利用してもらうために納めてるんじゃないわよ。

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