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ゆとり教育は中曽根の陰謀 --遅きに失する教育路線転換--

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 今、「ゆとり教育」が見直され、来年度使用の小学校用教科書のページ増が話題になっています。そんな中、あるブログで次のように述べられていたものがありました。                            (以下引用)

 ニュースで、ゆとり教育が見直されるって放送してた。今の教育が何処までゆとってるのか分からないけど、どっかの教授が今の日本の子供達のことを言ってて、面白かった。

『今の教育は、考えない子を一生懸命作ってる!』って。

その前になんで、ゆとり教育が始まったの? 誰が、ゆとり教育にしよう!って言ったの?                         (引用終わり)

 これが率直な若い方の思いではないでしょうか。誰も責任もとらず、非難される事もなく、なんとはなしの方針転換では「合点」がいかないでしょう。

 JR・NTTの民営化を推し進めてきた中曽根内閣の主導のもと、臨時教育審議会で、「公教育の民営化」という意味合いの中で導入することでゆとり教育への流れを確立されました。
  文部省や中教審が「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入し、2002年度から実質的に開始されたのです。

 当時、詰め込み教育や受験競争の過熱、落ちこぼれの問題などがあり、日教組や一部の教育者、経済界などの有識者などから支持されました。

 しかし、そのウラには何か別の意図(いと)が感じられます。それは、審議委員なるものが、特定の方向を向いている事です。これは、近年の「小泉改革」にも言えますが、……

中曽根・レーガン
       小泉政権同様、「親米政権」であった中曽根康弘氏

       『機会不平等』斉藤貴男 著  文春文庫 (2000年刊)より引用 

 三浦朱文・前教育課程審議会会長のセリフである。

 「学力低下は予測しうる不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならないということです。

 つまりできん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。

 百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」「国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。

 日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」

                 「きまぐれな日々」より引用 --緑文字 加筆--
三浦朱門という作家がいて、こいつは、被支配層にはほどほどの教育を施しておけばよい、その上で、優秀な支配層が被支配層を導いていけばよいという思想を持っている。「私の妻(曽野綾子)は二次方程式が解けなくとも、日常生活に不便はなかった。」 (そして妻が「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と言ったのを受けて、教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)

 「これからはかけ算の九九を言えなくて中学を卒業する子も出るだろう。すべての生徒がある程度のレベルをマスターできると思うのは錯覚だし、マスターさせようとするのも愚かしい」などというのが三浦の発言である。

70年代、国民の政府批判に業を煮やした文部省は、「ゆとり教育」への転換を行ったのだが、その背景には三浦のような思想があったと考えるべきではないだろうか。つまり、国民を支配しやすくするために、国民の教育水準を下げようという考え方である。そして、少数の者には、被支配者を支配する術を叩き込もうというのだ。

痛恨事だったと思うのは、「ゆとり教育」というのが、一見日教組やリベラルの人たちに受け入れられやすい政策であったために、抵抗なく広がっていったことだ。その結果、日本はいまや先進国の中でもっとも子供たちが勉強をしない国になってしまった。これではダメだ。十分な知識という土台があって初めて「考える力」が身につくのではなかろうか。            (引用終わり)

 多分、我々「団塊の世代」は為政者にとって『ワズラワシイ』存在であったと思います。佐藤内閣のときの「安保反対」では、私でさえ「代々木公園」から「議事堂」までデモったのですから。

 「おとなしい国民」を造りたいとは、佐藤氏以外、中曽根氏も考えたでしょうね。こういう裏で操っていた人々 (中曽根・三浦朱文・曽野綾子) とは別に、これを推進し、自分の利益にしてきた人として、寺脇 研 (文部省・文部科学省在任中は、初等中等教育政策に深く関わったことから、教育に関する著作が数多い。また、在任時には、いわゆる「ゆとり教育」「脱偏差値」「学校週5日制」「総合的な学習の時間」「生涯教育」などの旗振り役として同省の立場を国民に伝える役割を果たしたため、「ミスター文部省」と呼ばれた。) と教育評論家の尾木直樹氏でしょうね。

 後者は最近論調が違うのですかね。でも、当時は自分の実体験などを織り交ぜて、随分推進していましたが、……

 私も教育にいくらか携わっていますので、実体験から話をしたらいいと思うのですが、「教育」は地域性や各個人の対応などで相当変わりますので、彼のように話す事は出来ないと思います。余り信用は出来ないですね、彼の意見は。

 まあ、こういう根深い思惑があっての「ゆとりの教育」だったようです。ついでに言っておきますが、「内申制度」を廃止しない限り、日本の教育の復興はありませんよ。中3・女子、数学で中間100点・期末100点で通知表が「3」、「私は先生に嫌われているから」と泣いている生徒を慰める「手段」を私は持っていません。

 ガンバッタらそれなりに評価して欲しいですよ、「先生」。
 話が脱線してしまいましたが、……

 こんな内閣を作らせてはいけません。私も含めて、「日本国民」はもっと政権を監視しなければいけないのです

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COMMENT 1

脚袢  2010, 04. 15 [Thu] 12:31

私が受けた教育

こんにちは

いつも読ませて頂いております
私は「ゆとり教育」を受けた世代ではありませんが、高校までは地方の公立で、「非効率的な教育」を受けたと言えるかもしれません
40人程度の生徒の間に学力的に大きな開きがあるにも関わらず、同じ教科書で同じ授業…
さらに「一人はみんなの為、みんなは一人の為」とのスローガンの下、均質化された社会人になることを求められました

例えば、私は漢字が得意だったので、漢字ドリルを勝手に進めていたら、授業中、それを見とがめた同級生によって、クラス中に「(進んだ部分を)消せ、消せ」コールが沸き起こったこともあります

後に私は都市部の大学に入りましたが、都会の私立のエリート養成のような学校の出身者とは、自分の能力を磨くことに対する後ろめたさが無い点や、合理的な目標や手段を選ぶ能力に関して、かなり自分自身が見劣りする感じがしました

あと、自治体の「教育委員会」なるものは、非常に問題のある存在ですね

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