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『VJ Day』は 世界で行われている式典という事実を 日本国民は知らない。 そして、日本国内の情報のせいで、外国で先の大戦がどのように報道されているかも理解できない。 自国の論理を一方的に主張する安倍政権とは違う意見の日本人がいることを 国会前デモは世界に伝えた。

 日本では 国連事務総長が 中国の 「抗日戦勝記念日」に出席することについて、 政府が不快感を示している。 しかし、 国連そのものが 当時の日本のような『軍国主義の国家』の出現を防ぐ目的で設立されたのだから 出席は当然と言えば当然である。 今現在の日本に対する「非難」では ないわけなのだから騒ぐ必要もない。

国連事務総長の抗日行事出席1

日本での報道だけを見ていると、 中国だけが 日本への面当てとして『抗日戦争勝利』を祝っているように報じられるが、 ここでも何回か紹介したように、 アメリカでも、オーストラリアでも、EU諸国でも 「VJ Day」として 大々的に祝われている。 そういう報道が はっきり言えば意図的になされないだけである。 戦場となった国々での 『悪行』もさることながら、 捕虜の取り扱いに関しては とても言い訳ができるような状況ではない。 -- 日本自体が捕虜になることを禁止していたので、 下部組織では 捕虜に対する処し方がわからなかったともいえる。(日本目線だけの言い訳だが) --

対日戦争記念日 捕虜1
英BBC放送によると、英国と英連邦の対日戦争犠牲者は、捕虜として亡くなった1万2千人超を含む約7万1千人


                                                     中央大学・宇佐美毅研究室
 恥ずかしいことだが、イギリスに滞在するまで「VEデイ」と「VJデイ」というものについて真剣に考えたことがなかった。
 日本で言えば年度もはじめ、四月にイギリスについた私は、まだイギリス生活に十分に慣れてもいないうちに、このVEデイなるものに遭遇した。しかも、それは戦後五十年を記念する特別のVEデイだった。VEデイとは、もちろん “Victory in Europe Day"。  名指しはしていないが、要するにナチスドイツが降伏した日のことを指している。その日が近づくにつれて、イギリスのテレビでは連日、ナチスやヒトラーに関する特別番組を放送し、当日は、ハイド・パークに各国の要人を招いての大祝典が行われた。この日をめぐっては、いくら政治的な人間ではない私でさえも、いろいろなことを考えさせられてしまった。

 日本人である私にとって、戦争の終結の日は八月十五日だった。そして、戦争の終結の日とは、何よりも、「戦争で亡くなった人々への鎮魂の日」を意味すると信じて疑わずにいたように思う。 しかし、立場が代われば物事の意味が変わる。 そんな当たり前すぎるほど当たり前のことを、この日は私に思い知らせてくれた。

 イギリスにおけるVEデイとは、なによりも「民主主義がファシズムに勝利した日」のようだった。もちろん、戦没者への慰霊は行われる。しかし、日本の八月十五日の行事しか見たことのなかった私にとっては、それは「お祭り」と言ってもよいような華やかな祝典だった。私のフラットの大家のおばさんは、私に、「今日はハイドパークにたいへんな人が集まるから行ってみなさい。あんなすごい行事はめったにないわよ。」と言ってくれた。

 この大家さんは、この日の行事の盛大さに浮かれて、私がナチスドイツと同盟国だった国の人間であることすら忘れていたか、あるいはそんなことはどうでもよかったのかもしれない。日本人としていたたまれないような気持ちでいた私には、大家さんのこんな無頓着な誘いかけは、かえって気を楽にさせてくれた。もちろん、とてもその「お祭り」の中に入っていく気持ちにはなれなかったが。

 その数か月後、今度はVJデイ(8月15日)がやってきた。VEデイがドイツの名を伏せているのに対して、VJデイ(Victory over Japan Day)は、露骨に日本を名指ししている。その日が近づくにつれて、テレビでは日本軍の残酷な行為が連日のように特集で放映されていた。日本軍の捕虜となった人々の賠償請求の問題もからんでいたため、捕虜として虐待されて骸骨のようになったイギリス兵を写したフィルムが、ニュースや特別番組の中で、連日のように、繰り返し繰り返し放送されていた。

 この間に味わった気持ちを、とても一言で言い表すことはできない。ただ、ひとつだけ、書きとめておきたいことは、立場が代われば、物事の見方が変わってしまうということの恐ろしさだ。連日、骸骨のようにやせ細ったイギリス兵の映像ばかりを見ていた人々は日本兵の残酷さだけを記憶に残し、それを打ち破ったイギリスの「正義の勝利」の日という物語に酔いしれることだろう。それとは逆に、毎年八月十五日に戦没者への慰霊の黙祷を捧げていることが戦争を振り返ることだと信じている私たちは、戦争の「犠牲者」たちを悼むことだけに目を向けて、私たちの過去の責任から目をそらそうとしている面はないだろうか。

 数学者のピーター・フランクルが、「国際人の条件は英語が話せることではありません。国際人の条件は、とても大切な外国人の友だちを少なくとも一人持っていることです。」と言っていたことを思い出す。そこで言われていることは、自分の国の立場だけではなく、その友だちの気持ち、他の国の人の気持ちになることができるかどうか、ということではないだろうか。外国語はできた方がいいし、その方が他国の人たちとコミュニケーションもしやすい。しかし、いくら外国語ができても、それが自国の論理を一方的に主張する道具に過ぎなかったら、それは悲しいことだ。大切なことは、自分の側からだけではなく、相手の側からもものを感じる気持ちが持てるかどうか、ではないだろうか。

 VJデイや日本の終戦記念日が「自国の論理だけを確認する日」にならないことを願わずにはいられなかった。                                              (引用終り)

 宇佐美氏の言う様に相手の立場、気持ちになって考えることが なかなかできなくなってきている「日本社会」。 この中国の行事でも 日中が友好的な雰囲気にあるのなら、 『対ファシズム戦争の勝利』的な名前になったかもしれないが、 「南京大虐殺はねつ造」、 「慰安婦は高級売春婦」というような言説を振りまく「安倍政権」が日本に生まれたから国民の祝日とまでして この日を特別視したのだろう。 -- もちろん、内政の引き締めという点はあるにしても… --

 ただ、 戦後80年、90年となって VJ Dayは あるべきなのか。と疑問に思う 日本人が多いだろう。 もちろん、 これからの日本の行動次第だが、 今のように 「戦争ができる普通の国家になりたい」 というのなら、 残っていく可能性が高い。 特に 戦前の日本を受け継いでいく、という考えなら 多くの国で残るだろう。 

 安倍総理が言う以前から、世界の認識は 『今の日本国民』が 戦争犯罪について謝罪する必要はない、というものであった。 なぜか、 安倍政権とその支持者は 被害者意識が大きく 「一般国民が謝罪を要求されているかのように」言うが、 そんなことはない。 しかし、 国旗も国歌も体制も継承して 再出発した日本政府は永久に 『過去に過ちがあったこと』を認めて 世界と交際するしかない。 それが嫌なら、 国旗も国歌も 天皇制も変えて 新たな日本として出発すべきだろう。 -- 国旗も国歌も (戦前や今の) 天皇制も 高々 百数十年の歴史しかないのだから、 日本国としては問題ない。 --

                                                      酢マホ♂ ‏@MahoArt
昨日の国会デモ、何より大きいのはロイターが、BBCが、アルジャジーラが、世界のメディアが速報を打って伝えたこと安倍政権が何を言おうと「国民は違う!NOだ!」ということを世界に伝えられたこと。 他の「普通の国」と同じように日本でも国家と国民は違うのだ!

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COMMENT - 1

ローレライ  2015, 09. 01 [Tue] 07:46

国連とは『ABCD包囲連合』

国連の出発点は『反日』なのを無視して『総長の抗日パレード参観』を非難する日本外務省の『内向きパフォーマンス』。

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