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今日の一言  意味も考えずに惰性で初詣に行って「神社本庁」にお金を落とすことはやめにする。

 私は「信心が薄い」せいか、ほとんど『初詣』にはいかない。気持ちを新たにするという効果はあるかもしれないが、「(ゆわゆる)神」の存在は信じていない。神話は神話であって、まさか「天照大神」が日本を作り、その末代が『天皇家』など信じられるわけがない。

 前回紹介した山崎 雅弘氏も、初詣をやめているのだそうだ。 私とは違って『ちゃんとした理由』があってのことだが… 山崎氏は著名な方なのに 今の社会ではっきり「日本会議系」に批判的なコメントを証拠を添えて (ここが重要) はっきり言っている。彼らにとっては『天敵』なのだろう。デマがばれてしまう。「慰安婦問題」でも、今の政府や日本会議の主張に真っ向から反対しているし、

                                           山崎 雅弘
昨年に続き、私は今年も「初詣」には行かなかった。神社参拝をボイコットしているわけでなく、神社本庁などの政治活動に加担していない、本来の「穏やかな信仰の場」としての神社には気が向いたら出掛けるが、意味も考えずに惰性で初詣に行ってお金を落とす行為はもうやめにする。祈りの場は厳選する。

「第二次世界大戦中、日本は『婉曲語法で慰安婦と称される』大勢の女性に軍用売春を強いた。その多くは朝鮮人で、その他は中国、フィリピン、インドネシア、台湾から来た」日本政府のアクションが海外で報じられるたび、この種の解説も添えられる。
「euphemistically called(婉曲語法でこう呼ばれる)」と見抜かれているように、言い換えで現実が変化するという「信仰」は、実質で物事を判断する世界では通用せず、逆に婉曲語法に固執する人間の不誠実さが浮き彫りになる。

     婉曲語法で慰安婦
                                           門屋 温·2016年1月5日
 年明け早々、近くの神社に初詣に行ったら憲法改正を求める幟やポスターが掲げられ、署名を集めるコーナーが出来ていたという報告が各地からSNSに投稿され、メディアでも取り上げられ始めてちょっとした騒ぎになっている。いずれはこういうことになるだろうと予想はしていたものの、予想以上にあっさりハードルを越えた感じは否めない。

 地方の寺院の檀家や神社の氏子には当然いろんな立場の人がいるわけで、たとえば共産党の地方議員だっているかもしれない。そのため住職や神職は個人の政治的信条はともかくも、寺院や神社としては政治的活動にはかなり慎重であるのが普通である。神社の場合、総じて保守色が強いが、それでも一応抑制的ではある。神社本庁からポスターを掲示しろと言われれば社務所に貼り出すくらいのことはするけれど、特定の政党への支持を求めたり署名を集めたりすることまではなかなかできない。神社は第一義的に宗教施設であり、祈りの場であって政治宣伝の場ではないのだから、当然と言えば当然であろう。

 最初にこうした事態を予想していたと書いたが、それは神道が近代以降たどってきた道を考えれば当然予想がつくことだからである。明治以降、神道は「国家の宗祀」などとおだてられていい気になり、二十世紀の戦争遂行の手助けをする羽目になった。要は国家に利用されたのであるが、神道界の方も自ら嬉々としてそのお先棒を担いだのだから同情の余地はない。世俗的権威である国家に服従することは宗教としては自殺行為に等しいのだが、そうした自覚もなく、「実質的国教化」というきび団子をもらって、国家の僕となることを喜んで受け入れたのである。多くの兵士たちが神社の境内で万歳三唱に送られながら戦地へと出征していった。

 戦後になっても、神道界の指導的立場にあった者たちは戦前に自分たちがしたことについては何一つ総括をせず、むしろGHQの神道指令の被害者であるかのような顔をして、戦前の体制への回帰を志向してきた。神社本庁はまさにそうした者たちの巣窟であったのだが、戦前世代が退場し、ほとんどが戦後生まれになっているはずにもかかわらず、その危険な体質は何一つ変わっていない。それどころか、むしろ戦争を知る世代の良識派が駆逐され、より原理主義化が進んでいるように見える。一度飼い主に腹を見せて服従してしまった犬は、そうすればエサをもらえることを知っているから、また自ら進んで腹を見せることになる。「国民のための国家」ではなく「国家のための国民」であることを公言してはばからない政権が力を得たのを見て、神道界はいずれ再び自ら国家へ隷属する道に進むだろうと予想していたのはそういうわけである。「戦前の国家神道の暴走を忘れたのか」とツイートしていた方がいたが、そうではない。戦前の国家神道で味わった良い思いを忘れられないからこそ、再び暴走しようとしているのである。
                        全文リンク → 神社における改憲誓願署名をめぐって

 昨日は「株価が900円値上がり」とNHKのニュースが嬉しそうに報じていた。20年前までは「株」は特殊な人々のやることで、「証券会社」などは『株屋』と言われていたものだ。ゼロサム社会で『何の付加価値』も生まない株を、国家の中心に据えるなど考えられなかった。しかし、今では「2万円を切る」ことが、即「年金の減額や開始時期の遅延」に繋がるのだから恐ろしい。こんな状況がもうしばらく続けば、筆頭株主は「日本政府」第二位の株主が「日本銀行」という 『古典的社会主義の国』かと思える日本が誕生するだろう。これだけ大量の株を所有して、本当に「高値で売り抜ける」ことができると思っているのだろうか。まずは、「正気」なら だれも思うまい。売れば「値崩れ」をおこす。…… ということは、「永久に所有」するしか道はない。そしてそれを担保に『お札』を擦り続けるのだろう。上海リルさんではないが、離婚したら終わり。解雇されたら終わり。大病したら終わり。歳をとったら終わり… という社会を国民が喜んで迎え入れたようだ。

                                          古道具上海リル
景気は「衝動買い」に支えられてるのだなあと実感する。不必要かもしれないけどコレ欲しい。あったらあったでいいかも。そんなあやふやさに金を出すこと。生活防衛に迫られたらそれら全部カットせざるを得ない。不景気は一人一人の小さな「やめとこう」から始まる。
社会保障が貧しくなったのをみんな肌で感じてるからね。離婚したら終わり。解雇されたら終わり。大病したら終わり。大怪我したら終わり。歳をとったら終わり。この気分が1番の不景気要因だって私にもわかることをなぜ安倍さんわからないかなあ。これが「子ども産んだら終わり」になったらと思うと・・
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