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今日の記事  産経新聞「オランダ市長…東亜民族解放した日本は誇りを」と オランダ在住「リヒテルズ直子」さんの『オランダ通信』の落差に驚く。

 アメリカの大統領選挙の報道が花盛りである。共和党は「トランプ氏」になるのかどうか、民主党はどちらだろう。日本の報道通りに順当に「クリントン氏」かもしれない。

 ところで、大統領選挙といえば、日本でよく引用されている『マッカーサー司令官』が「日本の戦争は自衛戦争だったと議会で証言した…」というものを思い出す。まあ、これが「コピペ」されているサイトはいくつあるのかわからぬほど多い。そこだけ切り取れば、たしかに「そのような発言」ではある。一部を切り取って自分に都合よく解釈するのは産経新聞などの「得意技」であるのだが、マッカーサーは大統領選に立候補しようとしていた。今と同じように「共和党候補の一人」として全国を飛び回って支持を訴え、本選挙で民主党候補と戦うべく準備をしていた。こんな意味で「発言した」のなら、対立候補から激しく攻撃を受けたはずである。

 今のトランプ氏が「大富豪」であるように、各候補とも「自分を輝かせる履歴」を訴えていく。もちろんマッカーサーは「最後まで残った枢軸国『日本』を叩きのめした太平洋艦隊の司令長官」として、立候補を予定していた。ところが、突然当時の大統領『トルーマン(民主党)』との意見の衝突を理由に解任されてしまった。--原爆の使用も含めて中共軍・北朝鮮軍の大補給基地になっている満州攻撃を主張。トルーマン大統領は、そんな事をしたら中共軍の全面的参戦を招く、と反対。マッカーサーは、中共軍には既に余力はない、と主張。トルーマンの方はソ連が参戦して第三次世界大戦になるのを心配して許さなかった。 マッカーサーは「今のソ連にはアメリカと戦争する力はない」と強硬に主張しましたが結局トルーマンによって解任される。--

 そこで『共和党』は、マッカーサーの言い分のほうが「民主党のトルーマン」の主張よりも正しいことを明らかにしようと、わざわざ議会で「マッカーサー」にその主張を述べさせる機会を設けたのである。ことの推移から見ても、日本は何ら関係ないことはお分かりだろう。「マッカーサー、あなたの中国への攻め方のほうが正しいのですね。」--というような質問に対する答えの一部だったと記憶している。こんな歴史を覚えて海外へ行けば 「驚天動地」の心境になるはずだ。しかし、冷静にその時代の背景を知れば、今の引用は途方もなく的外れだと、普通の常識レベルでわかるというものだ。

 これと同じように歴史的背景を考えれば、こういう引用はとてもできまい、と思える記事が産経新聞に出ていたので紹介しておこう。いまや「毎日新聞」を抜こうかという勢いの安倍総理推薦の新聞社である。

悪いのは侵略した白人、東亜民族解放した日本は誇りを…オランダの市長挨拶から
                                    2016.2.23  産経新聞
 そこで先月の「現代を問う」では、日本を断罪した張本人のマッカーサー元帥自身が「東京裁判は間違っていた」「あの戦争は日本の自衛戦争だった」という米国の国会での証言を紹介した。

 今月はもう1人、後に内務大臣になったオランダ・アムステルダム市のエドアルド・ヴァン・テイン市長の平成3年(1991年)痍軍人会訪蘭に際してのあいさつを紹介したい。

 「戦前のオランダは、アジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油などの資源産物で本国は栄耀栄華(えいようえいが)を極めていました。今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国だけとなりました。あなた方日本は『アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない』『諸民族に大変迷惑をかけた』と自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ自らの血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。なぜならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされてあるいは洗脳されて、『悪いことをした』と自分で悪者になっているが、ここで歴史をふり返って真相を見つめる必要があるでしょう」と話した。

 そして「本当は白人が悪いのです。百年も三百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて、長い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ちあがったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは侵略して、権力をふるっていた西洋人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。すなわち日本軍は戦勝国のすべてを東亜から追放しました。その結果、アジア諸民族はおのおの独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して闘ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分をさげすむのをやめて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです」という。

 マッカーサー証言、そしてこのあいさつを知っても、なお「日本暗黒歴史観=日本悪者・侵略国家=日本の伝統否定=皇室否定=国家の存立よりも人権が大切」と現行憲法9条の死守を叫ぶならば、それはエドアルト市長がいう「洗脳された」「哀れな反日日本人」というしかないだろう。「愛国心」という精神なき業績は、歴史には残らない。                                   (一部引用 終わり)
                          全文リンク → 東亜民族解放した日本は誇りを
 この映像なるものがyoutubeに上がっていたが、音声も映像も当時のものではなく、完全に監修されたもので字幕のみ上の記事と全く同じ内容が流れていくものだった。では、この市長はこんなことを言ったのか、言わなかったのか、となれば「多分 いったのだろう」と思う。

 それ見ろ…と思われるかもしれないが、「なぜ、平成3年に、それも『傷痍軍人の会』がオランダを訪問したのか。」目的が書かれていない。この会議の背景はわからないのである。もちろん「これほどの日本評価の変更」を発言するなら マスコミが一斉に報道しているはずであるが、それもない。新聞記者だからこの程度は知っていると思うが、この訪問前後のオランダと日本の関係を書いてみよう。同じ発言でも「時代背景」によって、その意味するところは全く別のものとなるのである。

 1971年  オランダ国王から国賓として昭和天皇が招かれる。 ところが、天皇に対して「卵」が投げられたり、植樹した苗木はすべて抜かれたり、「キラーヒロヒト」と書いたビラがまかれたりした。そのように「反日感情」が激しい国である。

 1986年  オランダ女王は日本訪問をしようとしたが、激しい「世論の反発」の前に訪問を中止した。

 1991年  ベアトリクス女王の訪日が実現。宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と述べた。それに対して日本国政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施した。

 とても「エドアルド市長」が公に「このような内容の発言」をできる環境にない。傷痍軍人の会が「どういう目的」で訪問したのか、 アムステルダム市がなぜ受け入れたのか、さっぱりわからない。なぜ、通信社の記事もないのか、それも不思議である。ご本人が存命なら「お尋ね」できようが…

 こういう「風説」を信じ込んでオランダを訪れたなら、びっくりするだろう。現地のことは「現地」にすむ日本人に聞けば一番よくわかる。約30年前にオランダ人の夫と結婚された『リヒテルズ直子』さん(オランダ在住・教育・社会問題研究者)のオランダ通信(一部)を紹介しよう。 そして、日本国内に氾濫する数万の「アムステルダム市長の日本賛美」のコピペの文と比べてほしい。


               オランダ通信              リヒテルズ直子
80年代はじめのオランダは、まだ、戦争の記憶を持つ人々が社会で活躍してい た時期です。戦時中に双子の弟と両親を奪われたユダヤ人ジャーナリスト、ルー・デ・ヨングが、第二次世界大戦中オランダでは何が起きていたのかを綿密に記録するために、分厚い歴史書を何巻も発行し続けていました。彼の調査でか つてナチスドイツに協力していたことがわかり失職する政治家が出たりもしてい ました。

戦争を体験した世代、中流以上の家庭には、数ヶ月ごとに新刊が発行されるこのシリーズ本が棚に並べられ、新事実が掘り起こされる度にニュースの話題とな っていたのです。戦争時代の自国の醜さを記録として残そうとしたこのシリーズは、やがて、ド イツとの関係だけではなく、当時オランダ領であった現インドネシアの歴史的事 実の記録にも乗り出します。いうまでもなく、植民地でしばしば何世代にも渡って、時には現地人と結婚するなどして暮らしてきた非武装の一般市民が、日本 軍によってどれほど人権を侵害されたか、という記録です。

オランダ人との結婚を決意して始めて、オランダには戦争中の日本軍の行為によって強い反日感情を抱く人々がいることを知りました。オランダと は、鎖国時代に唯一つながりのあった国だ、という悠長な話とは裏腹の現実でした。同時に、なぜその事実をこれまで誰からも聞くことがなかったのだろう、と思いました。実をいえば、学校の教科書で学んでいなかったことは、大学を出てか ら訪れた土地で、何度も経験しました。沖縄、韓国、マレーシア、そして、なん とコスタリカで出会った韓国人からも、戦時中の日本軍の行為を恨みに思う感情を聞かされたことがありました。

世界中どこに行ってもトヨタ、トーシバ、ソニーと日本企業の輝かしい広告が きらめく後ろに、こういう反日感情があることに、ぞくっと背筋が寒くなる思い を何度もしてきました。そして、私は、彼らが日本を恨んでいることの背景にある歴史的出来事が具体的になんであるのかさえ知らなかった… その歴史的出来事について何かを議論したくても、信ぴょう性のある情報、異なる立場からの解釈と言った情報さえ一般の日本人には容易に見つけられない状況でした。

1996年にオランダに住み始めるようになって翌年、中学1年の息子が学校から帰ってきてこう言いました。「今日歴史の時間に、戦時中に旧オランダ領インドネシアで、日本軍の捕虜収容所に収容されていた人の息子という人がきて話をした。その人はいきなり『日本人は腐っていた、、、日本人は今も腐っている、、 』と話し始めたんだ。でも、担任の先生がその人に『このクラスには母親が日本人の生徒がいる』というと、その人は、『そうか、それなら少し話を柔らかくしよう』と言った」

率直に言って、こんな人に安直な態度で接される息子をかわいそうに思いました。せめて、日本という国が、この問題にを正面から受け止め、堂々と謝罪し、それなりに納得の行く言い開きをしていてくれたなら、問題の普遍性を人類に共 通の問題として正視し、日本人の私も堂々と未来の平和のための議論に参加して いれたはずなのに、、、そう思いました。

この日の息子の話をきっかけに、「日蘭対話の会(のちにインドネシア人も含め日蘭イ対話の会となる)」に関わるようになって行きました。もちろん、日本人と聞くだけで、身の毛がよ立ち、胸が息苦しくなるという、、、私たちには到底近づくことすら許されない人たちが大勢います。対話を求めるオランダ人の中には、収容所で息を引き取る前に「日本人を理解するために一生懸命に日本文化の本を読んでいた」母親、「日本人を憎んではい けない、あの人たちは自分がしていることがわからないのだから」と敬虔なキリスト者として聖書の言葉を子どもに聞かせた母親などもいたと言います。

同時に、あまりに悲惨な収容所生活や、幼い子や夫との別離、慰安婦として連れ去られることへの恐怖で、精神を病んだ母親たちも少なくなく、そういう過度の緊張におかれていた母親の元で育った子ども達は、解放後もずっとトラウマを抱えて生き、今でも精神的に不安な状態になることが多いと言います。同時に、人間があれほどむごい行為をするなどで きないはずだ、と、そこに一抹の望みを抱き、日本人との人間的な交流を求めて人間への信頼を確認しようとされる方達です。この方達の話を聞きながら、私は、繰り返し繰り返し、日本人のヒューマニズムはあの時どこにあったのだ、と聞かれているような気がしてなりません。

オランダは、死刑のない国です。殺人を犯した犯罪人ですら、一定の刑期を終えると、社会復帰の練習を始め、なぜ罪を冒したのか、それがどんな意味のもの だったのか、小学生を相手に心の声を語る機会を持てる国です。誰もが、人間が犯す失敗には、それなりの理由があることで、要は、その失敗を経て、次にどう行動するかということだと受け入れている国です。

日本軍の犠牲になったオランダ人との対話を続けて行くうちに、私は、このヒューマニズムへの信頼を持たない日本人の方が、昔も今も、犠牲になったオランダ人よりも遥かに不幸な存在だったのではないのか、と思うようになりました。私には、本当に不幸だったのは、この捕虜になった人々ではなく、自分の人間としての感性を殺して、目の前の人間に体罰や拷問や強制労働を与え続けることで しか生き延びれないとと思い込まされていた日本人兵士の方ではなかったのか、と思うようになりました。

なぜ日本だけが責められるのか、という人はいます。もちろん、世界には、悲惨な人権侵害が今も続いています。ヨーロッパもアメリカも皆おぞましい過去を抱えています。だからこそ、人の非を指差しているだけでは何も変わらない。自分から変えようとする人が一人でも増えない限り、世界はいつもジャングルように生きづらい場であり続けることでしょう。日本で通用する政治発言が、世界に出て非難を受けて始めて話題となる、という情けない事態が今また繰り返されています。   (引用終り)
               全文リンク → オランダ通信(2)  リヒテルズ直子

 どちらが「現実」に近いと思うかは あなたの判断によるわけで、私は私なりに「情報」として提供している。はっきり言って、この件には あまりに情報が少ない。どこを見ても全く同一の文章の『コピペ』で埋まっているのである。真実は あなたご自身がお若いなら「オランダ」を訪問し、彼らと友人となって初めてわかるだろう。

 TPP批准で「当ブログ」は閉鎖する、と宣言してあったように、批准で閉鎖するつもりだが、最近は「6月」まで命があるのか否、と少し思い出した。ニャンコ太郎さんとか、ぽんのんのさんとか、かえるママさんとか、潮風太子さんとか どんな方なのか知りたい気もするが、知らないママも「また良いこと」なのかもしれない。

 コメント欄は一応開放しますが、内容はこちらで判断いたします。まあ、老人の「独り言」ブログであるのでご容赦ください。
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-  2016, 02. 29 [Mon] 20:28

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