相模原の障がい者施設での大量殺人事件が教える「日本人」の本性。 人間として…と言う考えは「日本社会」では通用しない。南シナ(中国)海での中国の動きに関する報道はあまりに違いすぎる。

 日本社会が大きく変わろうとするとき、我々凡人はそれまでに聞いたこともないニュースが流れることでかろうじてわかる。以前にも書いたが、小泉改革の時、「死んだ母親の葬儀料がなくて母親の遺体を砂浜に埋めた。」というニュースが流れた。『オイオイ、嘘だろう。その程度の最低の金額は社会福祉で出るのではないか…』などと、びっくりしたものだ。しかし、その後『自己責任』という「世界でも類のない言葉」がもてはやされ、社会の大きな潮流になっていった。

 何年か前、「認知症を患った老母と高齢で動けなくなった父親と3人で軽自動車に乗り、そのまま無理心中(入水自殺)をした女性」のニュースが流れた。親の介護もあり、経済的に破たんして『死を選んだ』らしいのだが、3兆円の軍事費はあっても、社会福祉はどんどん切り詰められていく。世界で最もうまくいった「民主社会主義の国」の面影はどこにもない。それより『靖国神社参拝』だ。

 最近は「自己責任」だけでなく、「国民は国家の役に立て」という風潮が強い。まさに外国報道が言う『カルト宗教日本会議』の主張を大勢の国民が受け入れている。そんな中で相模原の障がい者施設での大量殺人事件が起こった。これは、日本での『テロ』として考えなければならない事件だろう。なぜなら、彼は障碍者個人に私怨はない、時の政府に『国の命令があれば、いつでもやります。』という手紙まで送り付けている。各地でISに一方的に忠誠を誓って「単発テロ」を繰り返す、最近のテロと全く同じ切り口を持つ。そして「手口」も喉を搔き切るというISバリの犯行らしい。ロイターが犯人のパトカー内での「満面の笑み」を世界に伝えた。

          集まった報道陣を見やり、笑みを浮かべた。
                                           冨永 格
相模原事件の容疑者送検と家宅捜索を伝えるロイター通信。この笑顔が世界に広まるかと思えば暗然とする。

                                           西村直矢
犯人を「煽った」連中がいるんだよ。直接的にじゃなくともね。差別することのハードルをひたすら下げまくる連中がいる。ヘイトスピーチとは差別扇動表現であるというのは、そういうことだよ。
                                           犬丸治
目を逸らしてはならない。「衆議院議長への手紙全文を読むと、この容疑者が自分の行動を「理解」してくれる相手として誰を選んでいたのかが分かる。この狂気のみなもとをしっかりと考え抜くこと。そのことが本当の意味での再発を防ぐことにつながる」。
                                           とっと
相模原の事件のニュースが流れる夕方の病棟。高齢の女性が「生きてていいの」「ねぇ。生きてていいの」と大きな声をあげられた。ふた言目が口にされる瞬間に、2人のスタッフが駆け寄り、ひとりは真っ直ぐ目の前に座って両手を握り、ひとりは肩を抱いて、「生きてて下さい」「生きていて欲しいの」と。

別のフロアでも、ニュースを聴いていた女性が小さな声で「生きてていいの?」と私に声をかけてこられた。涙が込み上げそうになった。ただ手を握って「生きていていいのよ」「生きていて欲しいの」と伝えた。女性は静かに私を見つめて「あんたも生きてていい」と。


 麻生大臣は「高齢者は一体いくつまで生きるつもりか。」と言い、育鵬社の道徳の教科書に載る曽野綾子氏は(今では日本を代表する)産経新聞のコラムで「高齢者は“適当な時に死ぬ義務”を忘れてしまっていませんか」とおっしゃる。弱者も老人もとても生きにくい世の中である。今までは互いに助け合う、もしくは『助けることができる人々』が助けるという暗黙の了解が捨てられ、本音をむき出しにした日本社会となった。もちろん、『本音』であっても、人を助けるという行為は人間の「根源的な気持ち」だと思っている人々も世界には多いのだが、日本社会では『絶滅危惧種』である。

                                         litera 引用
 戦後最悪レベルのとんでもない凶悪な事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は現在の日本社会において決して特殊なものではない。 教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」という見解を開陳するなどおぞましいが、それを容認してしまう空気がいまの日本社会にはある。

 石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。
「ああいう人ってのは人格があるのかね」
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

当時この発言を問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に選び続けた。

 ところが、恐ろしいことに、こうした差別的発想を、あたかもひとつの正論、合理性のある考えであるかのように容認してしまう、さらに言えば勇気ある正直な意見と喝采すら浴びせてしまう“排除の空気”が明らかにいまの日本社会にはある。 実際ネット上では、植松容疑者の主張に対しては「やったことは悪いけど、言ってることはわかる」「一理ある」「普段同じこと思ってる」「筋は通ってる」などという意見は決して少なくない

 しかし、現実には、前述したように、今回のような事件が起きても、容疑者と同じ「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」といった意見が平気で語られている。この国はすでに「弱い子は産まなくて良い、強い子だけをどんどん産め」という価値観に支配されているのかもしれない。                             (引用終り)

 今年は戦後「70年」という大きな節目ではない。だから、本来ならVJデイ(対日戦争戦勝記念日)もそれほどではないだろうが、今年はどうだろう。世界から見て『居直った日本』という印象が強いのなら、去年並みに行われるかもしれない。例によって、「産経」、「NHK」をはじめとする日本の報道では、安倍総理が先頭に立つ『中国包囲網』で、南シナ(中国)海の問題では『中国』が孤立し、安倍総理の後ろには「オバマ大統領」、EU諸国、ASEANの国々が続くポンチ絵が良く使われる。本当にそういうことなら「それはそれでよい」のだが、英語圏の報道を見るととてもそのようには思えない。中国報道では全く逆の報道がなされている。

 イギリスがEUを離脱しイギリスの新首相に7月13日就任したテリーザ・メイ氏が、新内閣人事を発表した。新外相にEU離脱派の中心人物ボリス・ジョンソン前ロンドン市長が就任した。そして、彼をすぐさま中国に派遣した…はずだが日本語のニュースにはない。ジョンソン市長は大の『中国ファン』である。

参考16日付英紙デイリー・メールによると、ジョンソン市長は英国の子どもたちに「中国語を勉強することは将来に役立つ」と呼びかけている。中国語をフランス語やドイツ語と同じように必修科目に組み込むべきだと述べたほか、「東西のパワーバランスに変化が生じている。子どもたちは成長の過程で自然に中国の重要性を感じることになる」と中国を称賛した。また、「私は中国が大好きだ。ここは特別な場所。中国文化に対する理解が深まるにつれ、それに対する称賛も増えるはず」と語り、英国の青年たちにも中国の文化や歴史を学ぶよう呼びかけた。

 また、日本と共にアセアンの中で強力に『反中国の砦』を築いているはずの『ベトナム』だが、アメリカの強い反対を押し切り、中国から『潜水艦』を購入することを決めたともいわれる。(日本語のニュースはない)ASEANの会議でも、中国への言及は行われなかった。日本と共に先陣を切っているはずのフィリピンはと言うと、ドゥテルテ大統領はラモス元大統領(88歳)を南シナ海問題の特使として訪中させると発表した。彼は中国と親しい。元大統領の顔を立てて「中国が若干の譲歩」をするかもしれないが、『裁定』を前面に出して、中国と渡り合うことは無い。何のことは無い。よくよく周りを見れば、『安倍政権』には、だれも着いて行っていないという現実があるだけだ。 

 「カルト宗教」日本会議を信じていると、『いや、ロシアと安倍総理の関係は特別で…』などと、いまだに幻想の中で話しているかもしれないが、ロシアのオリンピック出場と言うびっくりするニュースも、中国のIOC副委員長の于再清氏の努力の結果だという。 プーチンの顔を立てたのは、中国の力である。これでは「中国」と「日本」が対立して、プーチンが日本の後ろ盾になることはまずない。

 最後の頼み、軍事同盟を結んでいる「アメリカ」はどうなのか。ライス補佐官が訪中しケリー長官も外相と会談している。そしていずれも『中国を非難』することなく、平和裏に解決してほしいと述べるにとどまっている。(アメリカは判決に関しては「中立だ」という立場を示す傾向に動き始めてさえいる。) もう、方針が変わっている。日本で伝えられているように『激しく中国を非難するアメリカ』と言うのは、マッカーサーが日本の戦争を『自衛戦争と認めた』と言うような、言説の一部を取り上げ、曲解して伝える以外にありえない。『慰安婦問題』、『南京虐殺』のように、日本国内で日本語だけで発せられている『珍奇な学説』は全く世界が受け付けないのと同様、この『南中国海での紛争』は、日本だけが大騒ぎしているように世界からは見えるだろう。こんなに海外と『報道内容』が違うことは今まで例を見ない。

ライス大統領補佐官
参考習近平氏は「私は過去3年間、オバマ大統領とは何度も会っており、中米新型大国関係で認識を共有している」と述べ、ライス補佐官は、にこやかに「はい、オバマ大統領も今年9月のG20で習近平国家主席ともう一度お会いできることを大変たのしみにしています」と答える。二人は中米の安定的関係がいかに国際社会に対して重要であるかを讃えあった。
参考24日の外相会議では、南シナ海問題をめぐる各国の立場の違いから共同声明を出せず、各国外相は25日も協議を続けた。この日採択した共同声明の中で、判決の尊重を表明できなかったことで、ASEANは中国の海洋進出にくぎを刺す有効な手立てを自ら失った格好となった。

 ASEMの共同声明には「南シナ海での最近の動きに深刻な懸念」を表明しているが、これは「中国による人工島造成などを念頭にしたものだ」と日本では報道している。 多くの日本国民がそう思い、「やはり、中国は孤立している」と思い込まされる。

 ところが、「南シナ海での最近の動きに深刻な懸念」という表現は、「南シナ海と関係のない日本やアメリカが“航行の自由”という偽のスローガンを掲げて、それを口実に南シナ海に軍事的に介入している事実を指している」として、中国の中央テレビ局CCTVは伝える。どちらともとれる表現だが、すべてを見渡せば、残念ながら「日本の敗北」であろう。20年前、30年前の「中国」を相手に戦っているのだから、結果はそうなる。『崩壊』するのは、中国ではなくて「日本」が先かもしれぬ。

 James Fさんが『今の日本はもう救うには手遅れだ。若い方は国を捨てて、海外に行きなさい。国なんて何の意味もないものなのだから…』とよく言っているが、確かに私ももう手遅れだと思う。日本社会を救おうとは思わない。行きつくところまで行くしかあるまい。しかし、今回は終戦までに『レジスタンス運動』が起き、敗戦後にその政府によってしっかり戦後の清算をしなければなるまい。相当数の『戦争責任者』を処罰するような変革がなければ、この国民性から見て連合国ではないが、「こいつらはまたやるに違いない」と、後々まで思われ続けるだろう。

                                          James F.
 フィリピン系人と話していると、最近、特に日本の人が慰安婦問題を真っ向から否定するのを見て、改めて日本人の戦時の凶行を非難するべきだと考えているのが判る。元大臣が姉がどんなふうに日本兵に集団強姦されて自分の家のドライブウエイでボロ布のようになって捨てられていたかを述べている。

オランダの女の人達が自分がどんなふうに日本軍に誘拐されて慰安婦としてボロボロになるまで性行為をさせられたかを証言したのも同じ潮流だろう。 日本の人が、どうして、こうまでして「世界の悪役」になりたいのか、わしには理解できない。世界中に憎まれることが「主役の条件」という考えなのかしら

フィリピン人の看護婦さんが「日本での生活は楽しかった。東京、大好き!」と述べる一方で「ガメ、日本人はな、カネとセックスだけが価値だと思ってる豚だぞ!世界のなかでいてもらっては困る民族の筆頭!ひとり残らず消えれば良いのに!」と述べたりする。ふたつの気持に矛盾はないみたい

日本の人はシンガポールが好きだが、シンガポールもまた若い人であっても教育がある人々は日本人の蛮行を国家記憶として継承している。わし友S(29歳・男)などは、昔はUKの弾薬庫だった森のなかのレストランで、酔って、「ガメ、日本人を人間だと思ってるシンガポール人なんていない」と述べた

日本の人は遊園地に出かける人の気楽さで「韓国の人、殺しますよー」と述べているが、もうすぐ「民族的憎悪」というものの真の深刻さに直面するかもしれない。日本の国力が決定的に低下する2025年くらいを境目にアジア中で日本の人は憎悪に直面するだろう。  そうならなくてもすんだのにね

そうやって考えると戦後日本の軽佻浮薄の総決算みたいな人で、首相として日本国を代表するのに相応しい、とも言えるのね。「安部首相になってから日本という国がどういう国か、ゴマカシがとれて判りやすくて良い」と述べていた友達の顔を思い出す。









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