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小池新都知事、稲田新防衛相、広島原爆の日の3つに垣間見える「日本社会の薄笑い」

 8月6日8時15分、長いサイレンの音が聞こえる。今日は「広島への原爆投下の日」である。『世界唯一の被爆国』と言う言い方はいかにも「被害者」のように聞こえる。その日の日本では「核兵器を持つことは憲法で禁止されていない。」という法制局長官が起用されている…

 東京都知事選は早い段階で「小池氏の勝利」が確定していた。マスコミの世論調査通りの結果だろうと思い、何も書かなかった。彼女の「危険な考え方」を説く人々がいたが、東京都民はそれに影響されずに投票した。13年間「石原氏」を支持した東京にふさわしい『新知事』が登場した。そして、議会の同意を必要としない政務担当の特別秘書に、元都議の野田数(かずき)氏(42)を任命した。彼は、'12年9月の都議会に、『現行の日本国憲法を無効とし、戦前の「大日本帝国憲法」の復活を求める請願』を提出するための紹介議員となっている。その請願の内容は『我々は臣民であり、国民主権という傲慢(ごうまん)な思想を直ちに放棄して、日本国憲法を無効とし、大日本帝国憲法は現存するとの都議会決議』を求めるというもの。今の東京に似つかわしい請願でありました。また、議会の一般質問で「日本政府や軍が『従軍慰安婦』なるものを、暴行・脅迫・拉致を行い強制連行した事実はない」、「正しい知識と正しい歴史観を東京都の子どもたちに教えるべきだ」と主張。都庁の内部でも「ウルトラ右翼」と知られているのだそうだ。これも、多くの都民の考え方と「ピッタリ」なのかもしれない。

稲田朋美が防衛大臣

 それと同時期に「稲田朋美氏」が防衛大臣に就任した。海外の報道と日本の報道の違いがいくらか国民に知らされ、「右翼議員と言う誤解を解く」努力をするのだそうだ。なぜ、そういわれるのか、そういうことがあったのかどうか、それすら伝えない報道に疑問を抱く国民は数少ない。今の日本社会にふさわしい「安倍内閣」、「新防衛大臣」である。こういわれても致し方ない。

                                          spark ‏
 外国のマスコミが「誤解」してるのではなく、日本国民向けに「外国マスコミは誤解している」というプロパガンダを流すのが目的。 今の自民党政権と日本国民は「麻痺」という言葉がピッタリだな。あらゆる正常の感覚が麻痺している。

                                  2016/08/06  朝鮮日報
 日本の稲田朋美防衛相は5日、日本経済新聞とのインタビューで、日中戦争から第二次世界大戦に至るまでの戦争について問われ、「侵略か侵略でないかは評価の問題だ。一概には言えない。歴史認識で最も重要なのは客観的事実だ」と答えた。

 日中戦争は韓国を侵奪し、満州を横取りした日本が1937年に北京郊外の盧溝橋で中国軍を攻撃したことで始まった戦争だ。日本の侵略だというのが国際学界の定説だが、日本の右翼は「自衛のための戦争だった」と主張している。

 稲田防衛相はこのインタビューで、「(歴史認識は)客観的な事実が何であるか考える」「私自身も一面的な事実ではなく客観的な事実を追求した」と述べた。1937年南京虐殺についても「客観的事実が重要だ。個人的な見解を述べるべきではない」とした。以前のように「南京虐殺は虚構」と言い切りはしなかったが、南京虐殺の記録は信じられない、あるいは誇張されているとの認識を遠回しに表現したものと分析される。靖国神社参拝については、「心の問題だ。行く、行かないは言えない」と述べた。稲田防衛相は政界入り後、毎年8月15日に靖国神社を参拝してきた。           (引用終り)

 朝鮮日報だけが、新華社だけが「こんな見方」をしているのではないということはご存じだろう。 

                                     知足的隠遁者
AP通信が稲田朋美は右翼ではなく極右である証拠を15項目並べ立てて報道し、そのAP記事をWPやガーディアンやロサンゼルスタイムスやWSJやRTや環球時報などがそのまま配信しています。FTやル・モンドはAP記事を更に深堀して冷静に危機を警告しています。(APやロイターが右翼ではなく、『極右』(Ultra-Right)政治家と報道しています。)

                                      
                               『ルモンド』8月3日(内田樹 訳)
日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。

「アベノミクス(安倍の経済政策)を一層加速する」ための布陣と首相によって公式に紹介されている新内閣は参院選における自民党の大勝の三週間後に任命された。参院選によって自民党とその同盟者たちは両院で3分の2を制し、これによって安倍氏が憲法改定という彼の年来の野心を実現する可能が高まっている。

彼は防衛相に稲田朋美を任命した。このポジションを女性が占めるのは2007年第一次安倍政権の小池百合子以来である。稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。

2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。

議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。                         (引用終り)

                                         上丸洋一
20年ほど前、南京虐殺はでっち上げだ、と発言した法務大臣が更迭された。
8年前、東京裁判史観を否定せよ、と主張した航空幕僚長が更迭された。
2016年、前の二人と同じような考えの国会議員が防衛大臣に就いた。
                                         盛田隆二
稲田氏は2011年に「日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」と発言。その発言は大変物議を醸したが、防衛大臣として広島原爆の日を前にして「憲法9条は、核兵器保有を禁じている訳ではない」と再び述べた 

                                    2016.08.05. LITERA
 第三次安倍改造内閣で安倍首相が防衛相に任命した自民党・稲田朋美衆議院議員。8月4日、就任後初の会見で、日中戦争などが日本の侵略戦争だとの認識があるか質問され、こう答えた。

「侵略か侵略でないかは評価の問題であって、一概には言えない」  「私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います」

 曖昧な回答で明言を避けたのは、本音では日本の侵略や戦争責任を否定したい歴史修正主義者だからに他ならない。実際、稲田氏は自民党きっての極右タカ派で、安倍政権による戦前回帰の旗振り役。 ところが、こうした稲田氏の極右政治家としての本質を、日本のマスコミ、とくにテレビメディアはほとんど触れようとせずに、ただ“将来の総理候補”ともてはやすばかりだ。

 英タイムズ紙は3日付電子版で、「戦中日本の残虐行為否定論者が防衛トップに」(Atrocity denier set to be Japan’s defence chief)との見出しで、冒頭から稲田氏について「第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱え、日本の核武装をも検討すべきとする女性」と紹介した。

 また英ロイター通信も3日付の「日本の首相は経済回復を誓いながらも、新たな内閣にタカ派防衛相を迎える」(Japan's PM picks hawkish defense minister for new cabinet, vows economic recover)という記事で、稲田氏の写真を冒頭に掲載し、大きく取り上げている。

 さらに米AP通信は3日付で「日本が戦争の過去を軽視する防衛トップを据える」(Japan picks defense chief who downplays wartime past)という記事を配信し、ワシントンポスト紙などがこれを報じている。記事のなかでは稲田氏を「戦中日本の行いを軽視し、極右思想(far-right views)で知られる女性」「国防についての経験はほとんどないが、安倍首相のお気に入りの一人」と紹介。そして「慰安婦問題など戦中日本の残虐行為の数々を擁護し、連合国による軍事裁判を見直す党の委員会を牽引してきた」と書いたうえで、在特会などヘイト勢力との“蜜月”についても「稲田氏の悪名高い反韓団体とのつながりについて、今年、裁判所は稲田氏の主張を退けて事実と認めた。また2014年には、稲田氏が2011年にネオナチ団体トップとのツーショット写真を納めていたと見られることも表沙汰となった」と伝えている。

 こうした海外の報道は、稲田朋美新防衛相の極右思想がもたらす国際関係の緊張に対する、世界の深い危惧を表すものだ。しかし、国内メディアといえば、「中国や韓国が懸念を示しています」という程度で、まるで、安倍政権がしかける対立構造の深化に手を貸しているようにすら見える。

 周知の通り、稲田氏はその極右発言の数々でネトウヨから「稲田姫」などともてはやされている。その絶賛ぶりはネットの有象無象の声を見ればあきらかだ。テレビメディアはいま、政権からの有形無形の圧力に加え、こうしたシンパからの抗議電話、いわゆる“電凸”に怯えている。

 安倍首相の覚えがめでたい有力議員で、かつ、大量のシンパを抱える稲田氏についてつっこんだ報道をしないのは、そのためではないかと思わざるをえない。ようするに、AP通信などが稲田氏とヘイト勢力の蜜月を批判的に報じたのとは対照的に、むしろ国内メディアは、彼女がヘイト勢力やネトウヨに“庇護”されているが故に、その危険性をネグってしまっているのではないか。だとすればこれほど奇妙な反転はないだろう。

 海外メディアからの懸念に対して、見て見ぬ振りを決め込む国内マスコミ。今後、安倍政権のタカ派政策によって、日本はますます世界から孤立していくだろう。いま、保身に走っているメディアは、その片棒を担いでいるのだ。これからわたしたちは、そういう視点で国内のニュースに向き合わねばならない。
                                      (部分引用終り)

 日本では、この内閣になって『大手を振って』今までの日本の戦争犯罪はなかったとする「大学教授」や「言論人」が八面六臂の活躍をしている。日本以外では「日本に伝わる戦争の歴史」は、生き残った将校たちが「戦争責任を逃れるために口裏を合わせた」ねつ造された歴史だとみている。彼らの集めた「膨大な捕虜の証言」とあまりにも違う歴史だと言う。日本と言う国の評価はJames.Fさんによると、『嘘つきで卑怯者』なのだそうだ。もうすぐ、世界が祝う「対日戦勝記念日」がくる。『居直った日本』に対して、どのような評価をするのか、よく見ておきたい。しかし、見る立場が違うと「かくなるのか」といつも興味をもって彼のブログを読む。

                           ガメ・オベールの日本語練習帳 より引用
 日本語で見聞きする太平洋戦争についての話が、あまりに奇妙で、いわば日本が主役の話に書き換えられて、常識と異なっているので、 「ふたつの太平洋戦争」--https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/--紹介済み--という記事を書いたことがある。

 日本の人の第二次世界大戦に対する他国との認識のずれは、どこからどうみてもナチが主役の戦争であるのに、自分が脇役であることに我慢できずに、主役をふたりの筋立てに水増しして、ほぼ架空な、民族英雄叙事詩としての戦争を作り上げてしまったことにある。

 欧州にいれば簡単に実感できることは人類の理念をかけて戦われた第二次大戦は5月8日に終わったので、その後は、また別の戦争で、いまでいえばより大規模なISとの戦い、というようなもののほうに似ている。

 外から見れば普遍性のない教条をかざして、貧弱な火器を武器に、自殺攻撃を繰り返すことで世界のがわに立った「外国人」たちを恐怖の底に追いやることで勝利を手にしようとした、テロを大規模にして戦争と呼ぶ事にした、とでも言うような奇妙な戦争で、軍事的に言えば、厄介な掃討戦とでもいうほかないひと続きの戦闘がVEデー後の第二次世界大戦である。

 日本側からいえば、前年の6月15日から7月9日にわたって戦われたサイパン島の戦いが終了したときに軍事的には意味のある「太平洋戦争」は終わっていて、そのあとは、本音を言えば自分たちの軍隊という官僚組織が消滅することを恐れて、次から次に理由を捏造して、将校たちが兵卒の生命を大量に使いつぶして、自己の官僚としての延命を図ったに過ぎない。

 意味のある戦争が終わってしまっているのだから、当たり前のことだが、VEデー以降、連合軍兵士の戦意は著しく低下した。ひたすら戦死を恐れるようになった。

 ラジオをつければ、故国は毎日毎晩が(勝利を祝う)カーニバルのような大騒ぎで(あるのに)、遠く極東で、海でも陸でも、信じがたいことに空からすら、自殺攻撃をひっきりなしにかけてくる、国民がまるごと狂気にとらわれているとしか思えない民族を相手に、発狂しそうになりながら、対空機関砲を撃ちまくり、日本刀をかざして、突撃、というよりは、よろよろと向かってくる痩せさらばえた何百という人間を機関銃で薙ぎ倒すだけの(戦争を続けている。)

 そうして、陰湿な戦闘で殺された人間は、すべて犬死にでしかなく、無意味な死で、自殺攻撃という自分の人間としての価値をゼロとみなす敵兵のせいで、こちらの人間性がどんどん安物になってゆく、卑しさに満ちた非人間的な戦場で、終わるべきなのに終わらない戦争が1日延びるたびに、また数人が無意味に死ぬことになっていた。                --中略--

 原爆が通常爆弾とは次元が異なる兵器で、人間を文字通りの業火で焼き尽くし、いあわせて即死を免れたものは皮膚をボロ布のように身体からたらしながら苦しみのなかで彷徨し、しかも爆発による破壊のあとでも、放射性物質によって被爆したひとびとを苦しめつづけ、喉の渇きから降ってくる雨を口で受け止めた者は次々と死んでゆく、というような到底人間の手に負える兵器でないことが判ったのは、広島市民をギニアピッグ(モルモットのこと)として、データを集めてはじめて判ったことで、現実の広島の惨状を見たものは、日本の側かアメリカの側かを問わず、これが現実に起こりうることなのだろうか、と呻きに似た感想を記している。

 8月6日が近付けば、毎年のことで、昨日もヒロシマについてのドキュメンタリを観てあるいたが、エノラゲイの搭乗員たち、開発に携わった人たち、爆弾を現実に投下する決定を行った人達は、異口同音に、「もし原爆を落とさなければ戦争は終わらず、本土侵攻作戦の過程で、アメリカ側にも日本側にも数層倍の死者が出たはずで、われわれの原爆投下は人命を救ったのだ。殺したのではない」と一様に述べている。

 将校から一水兵まで、直観的に、その強烈な新型爆弾の威力が自分たちを日本本土上陸作戦での「犬死」から救ってくれたのだと判っていたと、さまざまな人が書き残している。

 二発の、それぞれタイプの異なった核爆弾は、不幸なことに日本人に「われわれは戦争の被害者なのだ」という情緒を植え付けてしまった。

 ドイツ人たちが自分達は加害者であって、非人間的な理念を信じて膨大な被害者をつくったために弾劾されているのだ、という明瞭な意識を持って戦後の再建設を始めたのに対して、日本人は紛うことない加害者でありながら、理屈を避けて、世界でゆいいつ核攻撃を受けた国民であることの、犠牲者としての情緒を前面にだすことによって、表向きは謝罪しながら、内向きには「戦争の被害者」として振る舞ってきた。

 どこからどうみても残忍で卑劣なアジアの加害者でしかないことを他のアジアの国々の人々に指摘されると、「じゃあ、おまえにはカネはやらない」と述べ、 加害者であるのに被害者であるふりをする論理の整合性のなさを言われると、苦し紛れに「われわれは欧米の白人に対する人種差別に対して立ち上がったのだ」と、兵士による集団強姦や集団処刑で殺された何万人、何十万人、何百万人という数のアジア人の亡霊達が環視するなかで平然と言い放った。

 一方で、自分の一個の肉体で閃光と熱風を受け止め、立ち上がれすらしない瀕死の身体で、線路を這って隣駅の実家にたどりつき、必死に生き延びて、戦後になってみれば「ピカはうつる」と冷たく結婚の道を遮られた個々の人間、彼らだけが「原爆」の意味を知っている広島のひとたちは、疎まれ、存在自体がタブーになって、病んだ自分たちの肉体と、自分達への同胞からの差別との戦いのなかで、生きていかねばならなかった。

 広島で人類が初めて出会った「人間の言語の想像力の限界を超える力」は、人間社会全体の宿痾である効率への執着によって、やがて核発電に姿を変え、今度はチェルノブイリと福島で、前者が起きたソビエトロシア社会は厄災の深刻さを認め、後者の社会は、まるでそれが通常の事故として処理が可能であるかのような「ふり」をすることにした、という違いはあっても、前者は財政的に破綻して国が消滅し、後者は「嘘」の一般的な力の法則にしたがって、言語自体が真実性を失って、社会が内側から膿み崩れて、社会ごと狂気にとらわれ、到底社会とは呼び得ないものに変わり果ててしまっている。

 日本が福島第一事故で平然を装っていることの重大な副作用のひとつに、日本人たちの平静な無表情を見て、「なんだ、核なんてあの程度か」という、それまでは絶対の破壊の神としてすべての言語世界で君臨し恐れられていた核エネルギーの日常への組み込みとでもいうべき人類の思想上の変化がある。
核戦争と核発電事故は、ふたつの「絶対に起きてはならないこと」であったのが、すぐに大量死が起きたりしないので、なんだ、たいしたことないじゃないか、と述べるオチョーシモノが、科学者のあいだにさえ現れ始めている。

その思想的な変容の恐ろしさは、破壊が、いわば時間を圧縮した形で起きたヒロシマをつぶさにみていけば判ります。オッペンハイマーが涙をぬぐいながら述べた言葉の意味を、彼の恐怖を、世界の人間ひとりひとりが理解しはじめるのは、むしろ、これからのことなのでしょう。       (引用終り)

 オッペンハイマーの言葉のyou tubeは省略するが、原爆投下後に突撃することは可能かどうかは『米軍』で繰り返し実験された。
その様子が you tube にアップされているので紹介しておこう。放射能の影響は軍事機密で公開されないが、個人間の差も大きく、発症する時期も違うが、彼らが怖れるにはそれなりの根拠がある。

            
きのこ雲の中に戦闘機が突入した際の「パイロット」への影響も、実際に突入させて調べられた。もちろん、広島、長崎の被爆者たちのその後もどのようになって死んでいくのか、日本の医師たちによって遂一『米軍』に報告させられた。日本の医師達の多くが、医薬品を目当てに「何の治療もすることなく診察だけして経過を報告」し続けたわけだ。そして、国連には『日本政府』から、「熱風での死亡者は出たが、放射能による死者は1名もいなかった」という報告書が出されている。

 ここで皆さんと会えたのも大半が「福島原発事故」の記事がご縁であったと思うが、真っ先に調べた「チェルノブイリ」での被害調査を見ても(公式、非公式を含め)、今起きている程度の被害状況になるだろう、そう思えた。多分、日本社会では「問題」にされず、個人が背負っていくだろう…そういう感想だった。デマ情報である「奇形」や「白血病の急増」と言うことは、チェルノブイリでもなかった。あったのは、なぜか普通の病気で早死にする、程度の認識しか起きないだろう…そういうことだった。

 水俣病のように、とても自然界に存在しえない物質が原因でも、責任を認めるまでに30年も40年もかかった日本社会…、それが「癌」や心臓病のような普通の病気なら、「放射能が原因とは言い切れない」という言い逃れで済んでしまうだろう、と書いた。チェルノブイリでは、ある病院の医師が家族の同意のもと「遺体」を解剖して、各臓器への放射性物質の蓄積度合いを調べた記録があったが(これが一番真実に近いのではないかと思うのだが)、日本ではそのようなことが行われているかどうか、疑問である。循環器への蓄積度合いが大きいことが証明されているが、個人の力では解剖数は数千にはならない。統計上「云々」とされて、この記録は日の目を見ていない。

 戦争と広島原爆、そして「福島の事故」… 話題は飛んだが日本社会が抱える『大きな問題』がこれらの事件の下に息をひそめて薄笑いを浮かべている。
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