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オリンピックで起きた『人種差別をなくす示威行動』は、3人の人生を破壊した。 「イミシン」引用、今の日本と重なる当時の米国、豪州社会。

  世の中が(悪い方へ)大きく変わる時、違和感を感ずるニュースに出くわす、と以前書いた。母親の遺体を「葬儀を出す金」がなく砂浜に埋めたというニュースは小泉内閣のとき… 体の自由が利かない高齢の父親と認知症の高齢の母親の介護に疲れ、「三人で泣きながら入水自殺を図った」娘さんのニュースが安倍内閣のとき… 今度は貧困JKが話題になっている。--この番組は直接見ていないので違和感があったかどうかは分からない。-- ランチで千円以上のものを食べたことがあるから、貧困とは言えない。高級品のペンを持っているのだから甘やかす必要はないとコメント欄が炎上しているらしい。

 そういえば中国の輸出産業の特集で「日本は安いものしか買わないから、安いものを日本向けに輸出しろ。」という中国経営者の発言を聞いた時も驚いた。『中国製品は安い』のでなく、「安いもの」しか日本人が買えなくなっているのだろう。トヨタの「自動車販売台数が世界一」と聞いて、日本人の多くが「ホッ」と胸をなでおろすが、そのトヨタは「1円も法人税を払っていない」などと聞くと釈然としない。日本の新車販売台数  2016年1-7月 累計 296万台 前年同期比 -4.5%  米国の新車販売台数  2016年1-7月 累計1,016万台 前年同期比 1.3%  中国の新車販売台数  2016年1-7月 累計1,468万台 前年同期比9.8%… 海外のメーカーが中国でどれだけ伸ばすかを競い合っているときに「日本組」はギクシャクした政府間の中であえいでいる。経済力が3倍程度に開いた中国と見栄を張りあう。

                               スプートニク 2016年08月19日
日本の輸入額は19ヶ月連続で減少し、前年同月比24・7%減となった。輸出額は前年同月比14%減で、10ヶ月連続で前年同月を下回った。米国向けの輸出は11.8%、欧州向けは6.5%、日本の最大の貿易相手国である中国向けは12.7%減少した。日本の自動車、船舶、鉄鋼などの輸出が減少し、これが全体的な減少の主な要因となった。特に米国、台湾、韓国の産業が回復しているという事実を考慮した場合、状況はより多くの懸念を引き起こしているとの見方を示した。

 そんな日常の中で、こんな温かい話を読んだ。今の日本はアメリカやオーストラリアの「当時そのまま」ではないか、との気もする。

                                     「イミシン」引用
 世界が大きな変動のなかにあったその年のサマーオリンピックで、1968年10月17日夕刻、メダル授与のために表彰台に上がった2人のアメリカ人が史上に残るある行為を行いました。男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位に輝いたジョン・カーロスが、アメリカ合衆国国歌が流れ星条旗が掲揚される間、壇上で首を垂れ、黒い手袋をはめた拳を突き上げたのです。2人が見せたこのブラックパワー・サリュート(アメリカ公民権運動で黒人が拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為)は、近代オリンピックの歴史において、もっとも有名な政治行為として知られています。2人は黒人の貧困を象徴するため、シューズを履かず黒いソックスを履き、スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを、カーロスは白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するためロザリオを身につけていました。

 しかし、この3人目の選手は?一見、写真の中の彼は、静かにスミスとカーロスの両選手の隣に立ち、歴史的瞬間を目撃しているだけのように見えます。彼の名前は、ピーター・ノーマン。オーストラリア史上最速の短距離陸上競技選手で、この写真が撮られたときは世界で2番目に足の速い選手でした。スミスとカーロスは、示威行為を行なったことで、その後長い間アメリカスポーツ界から事実上追放され、批判に晒されました。新聞などのメディアにも非難・中傷され、彼らのもとには殺害を予告する脅迫文が何通も届けられたといいます。

 当時のオーストラリアには、アメリカと類似した白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策が存在していました。実際、南アフリカのアパルトヘイトは、オーストラリアの先住民に対する差別政策を見習って作られたものだと言われています。そのため、この時代に白人オーストラリア人のノーマンが黒人やその他の少数民族と接触を持つ、公民権運動に同調するというのは、本国では彼の人生を破壊しかねなない非常に危険性の高い行為だったのです。
人権を求めるオリンピック・プロジェクト2

決勝レース終了直後、スミスとカーロスは銀メダルを取ったノーマンに「人権を信じるか」と尋ねたそうです。ノーマンは、「信じている」と答えました。再び彼に「神を信じるか」と尋ねると、ノーマンは「強く信じている」と答えたそうです。そして、その次にノーマンが口にしたことを2人はいつまでも忘れることはないといいます。 「僕も君たちと一緒に立つ」

スミスとカーロスは、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(略称:OPHR)」のバッジを着けていました。このバッジはオリンピック選手たちによる平等な権利を求める無言の訴えを示すシンボルでした。表彰台に向かった際に、スミスとカーロスが、「ブラック・パワー・サルートをするつもりだ」とノーマンに打ち明けると、ノーマンは2人の胸に留められたバッジを指差してこう言ったそうです。「君たちが信じていることを僕も信じている。それ、僕の分もあるかい?そうすれば僕も人権運動を支持していることを証明できる

 3人の若いアスリートが表彰台に上がり、スミスとカーロスは拳を高く上げ公民権運動への敬礼をしました。何百万人もの人々を前にした「非政治的なオリンピック」の場で、これほど勇気ある政治行為をした人は前にも後にもいません。3人は、すべての人間は平等であるという信念のために行なったこの行為が、永遠に残るだろうということを理解していたのです。事件後、アメリカのオリンピックチームの代表は、3人が生涯にわたって大きな代償を支払うことになるだろうと発言しました

 その後、時代は流れ、アメリカの人種差別が撤廃された後、スミスとカーロスは人権のために戦った英雄になりました。歴史はスミスとカーロスの行為に正当な評価を下し、サン・ホセ州立大学には2人の行為を祝して像が建てられます。しかし、2位の表彰台が空です。このノーマン不在の像は、あの日以降、オーストラリアでノーマンが辿った運命を象徴するかのようです。それは最も悲しいヒーローの物語と言ってもいいでしょう。

オーストラリアでは、ノーマンは歴史から抹消されたかのような扱いを受けました。1972年のミュンヘン・オリンピックでも、選抜で出場資格を得たにもかかわらず、オリンピックのオーストラリア代表から除外され、ノーマンはスポーツ界を引退。その後は、体育の教師や肉屋などの職を転々としていたそうです。白人中心のオーストラリア社会でノーマンは、あの事件がきっかけで、家族ともども疎外されてしまったのです。その後、怪我により壊疽も患い、除け者にされ、無視された存在となった元アスリートは、アルコール中毒とうつ病に苦しみました。ジョン・カーロスはノーマンのことをこう言います。「ピーターはたった一人で、国全体に立ち向かって戦っていたんだ」
棺を担ぎました1
      葬儀の時二人は棺を担いだ。          サン・ホセ州立大学に建つ2人の像
ノーマンは当時、信じられない名誉挽回のチャンスを与えられたことがあります。スミスとカーロスの行為を人類に対する冒涜だと公に非難すれば、ノーマンの行為も許されるというものでした。しかし、自分は間違っていないことを知っていた彼は、その申し出を退けました。2006年、ノーマンは心臓発作で亡くなりました。受けるべき謝罪は何一つとして受けないまま、この世を去ってしまったのです。彼の葬儀ではトミー・スミスとジョン・カーロスが棺を担ぎました。

2012年、ノーマンはオーストラリア政府から正式な死後謝罪を受けました。政府は、ピーター・ノーマンに対し、「・・・何度も予選を勝っていたにもかかわらず、1972年のミュンヘンオリンピックに代表として送らなかったオーストラリアの過ちと、ピーター・ノーマンの人種間の平等を推し進めた力強い役割への認識に時間がかかったこと」を謝罪しています。

ノーマンは1968年のあの日、200m陸上で20.06秒の記録で2位に輝きました。この記録は未だにオーストラリア記録として破られていません。本来なら英雄になるはずが、人権のために立ち上がったため批判され、生前は遂に認められず、2000年オリンピックにも招待されなかったのです。

しかし、世界にはもっと多くのピーター・ノーマンが必要かもしれません。あれから約50年、私たちはいまだに平等と人権のために戦っています。ノーマンの物語は、白人だろうが黒人だろうが人種に関係なく、平等を実現するのは私たちみんなの戦いなのだと教えてくれます。           (引用終り)

 国民主権も基本的人権も『本当は恐ろしい』考えだ、と説く人々が政権中枢を握っている。現代の日本に「ピーター・ノーマン」がいたとしても、「在日」「非国民」「国賊」とののしられているかもしれない。
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