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ロイターが伝える米韓合同演習。その前提がない「日本の報道」は国民を誤った道に導く。『中東の笛』にみる人種的偏見、人種的優越感が日本を滅ぼす。

 ロイターがこんな記事を配信している。ところが、日本では『ミサイル発射』や『核実験』などの結果ばかりが突然報道される。そればかりか、打ち上げが発表されている衛星ロケットですら「警報の画面」が突然テレビに表れて恐怖をあおる。(打ち上げを発表しているにもかかわらず…)
             ミサイル 警報

 そして「北朝鮮は恐ろしい国だ。防衛せねば…、いや、先制攻撃して滅亡させねば…」、そんな論調が並ぶ。もし、日本の報道機関も同様の記事を国民に知らせるならば、彼らがなぜあれほど「ミサイル」や「核実験」にこだわるのか、その行為を非難しても「解決の糸口」程度は考える事が出来るのだが…

                                    2 Sep, 2016 REUTERS
US-South Korea ‘preemptive attack simulation’ drills enrage Pyongyang
          米韓合同『先制攻撃シミュレーション』演習に平壌は激怒
       preemptive attack simulation’
Pyongyang has lashed out against an annual US-South Korean military drills deal under a recently-updated wartime operational plan, which reportedly involves the preemptive annihilation of North Korea’s key military and nuclear facilities as well as its top leadership.
平壌(北朝鮮)は最も新しい戦時作戦計画の下での(毎年)恒例の米韓合同軍事演習を激しく非難した。そして、伝えられるところでは、それには北朝鮮の重要な軍隊と核施設ならびに金王朝を先制して絶滅することが含まれている。 → ロイター記事全文 US-South Korea ‘preemptive attack simulation’

 この合同演習の下で過去にいくつか「すは、戦争か」と思えるようなことがあったが、日本国内では北朝鮮の行為のみを伝えたので「北朝鮮は無法国家のイメージ」のみが先行しただろう。例えば延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件、韓国哨戒艇(天安)沈没事件などこの演習の最中の出来事である。演習場所を調べると、まさに北朝鮮と目と鼻の先の場所で『ドンパチ』やっていたわけだ。日本の報道とは違い、「戦争」になどならなかった。第三者的に見て、あまりに「挑発的」としか言いようにないのだが、そんなことは全く伝えられなかった。陰謀論ではないが「洗脳したいのか」とさえ思える。

 日本では官僚を含め多くが一定方向へ国民を導こうとする。北朝鮮=悪、中国=悪、日本=最高などと言う考え方もそうだろう。歴史的事実でなくとも、それが近年では隠そうともせず「堂々」と行われる。今年改訂の「文科省製作」の『私たちの道徳』という道徳の時間に使われる教材にある『江戸しぐさ』などは典型的でわかりやすい。

 私の小さいころにはなかったもので、…と言うことは戦後には「なかったわけ」だが、江戸時代からあった「日本の美徳」として教科書には紹介されている。では、なぜ戦後までなかったかと言うと、

                                石戸諭 BuzzFeed News 引用
文科省が作った小学校高学年用の道徳教材「私たちの道徳」だ。この教材は今年に入り、導入後初となる改訂作業が進められていた。改訂作業は終わり、「江戸しぐさ」を残すことが決まった。今年度以降も継続して、全国の小学校で道徳教材として使われる。江戸しぐさのおかしな点は、もっと根本的なところにもある。そもそも、江戸の町民に広く普及したというのに、なぜ1980年代まで知られていなかったのか。

「江戸しぐさを普及する人たちの主張は主にこうです。明治政府による江戸っ子狩りがあり、さらに国家総動員法で、残された隠れ江戸っ子が戦争に行って、帰ってこなかった。もともと、江戸しぐさ自体が江戸っ子の秘伝だったという説明も加わります。明治政府や戦争を持ち出し、つじつまを合わせるための陰謀論を繰り広げるのです」。
     文科省「私たちの道徳」より
     この教科書の記述で「江戸しぐさ」を歴史的事実でないと思う小学生は存在しないだろう。
     事実か否かを教える時間でないなら、別の書きようがあるだろう。

芝(江戸しぐさの発案者)の没後、系譜を引く普及団体NPO法人「江戸しぐさ」によって一大ブームになっていく。メディア露出も増え、冒頭に取り上げた公共広告機構のCMにもなり、2014年には文科省の道徳教材に登場。各教科書会社も取り上げ、教育の世界にも浸透していった。

こうした状況の中、改訂作業を進めるも、差し替えなかったのが文科省だ。ここまで批判が強い、江戸しぐさをなぜ残すのか。担当する教育課程課に聞いてみた。

――江戸しぐさには批判も強い。なんでわざわざ取り上げるのでしょうか?
担当係長「時と場をわきまえて、礼儀ただしく真心をもって接することを考える教材として取り上げています」

――教材を読むと、江戸しぐさそのものが事実であるとしか読めないように描かれています。批判があることを知っているなら、このような書き方をすべきではないのでは?
担当係長「道徳の教材は江戸しぐさの真偽を教えるものではない。正しいか間違っているかではなく、礼儀について考えてもらうのが趣旨だ」

――事実でない教材で、礼節を教えるのは根本的にダメなのではないでしょうか。
担当係長「繰り返しになるが、道徳の時間は江戸しぐさの真偽を教える時間ではない
         文科省が示す江戸しぐさの活用事例

文科省の教材によると、江戸しぐさは、江戸に集まった様々な人たちがお互いに仲良く平和に暮らしていけるようにと商人の考えを元に、広まった生活習慣だという。

     江戸の町には、全国から文化や習慣のちがう人たちが集まってきました。そのため、
     様々な人たちがおたがいに仲良く平和に暮らしていけるようにと、大きな店の商人た
     ちは、当時、「商人しぐさ」と呼ばれていたものを広めていこうとしました。(中略)
     この「商人しぐさ」が元になり、江戸の町に広がっていった生活習慣を「江戸しぐさ」
     と呼ぶようになったと言われています。(「私たちの道徳」より)

「江戸しぐさの正体」などで知られる在野の歴史研究家、原田実さんはこう話す。「文科省の教材に書かれていることを裏付ける史料はありません。それも当たり前で『江戸しぐさ』自体が、れっきとした創作物。それも1980年代に作られたもの。偽りの伝統と呼ぶべきものなのです」

原田さんに文科省の主張をどう思うか、聞いてみた。
「詭弁に過ぎないですね。礼儀や道徳を教えたいのなら、そこに嘘が混ざってはいけない。存在しないものを、あったと嘘をつく人に礼儀を説かれることが、果たして道徳なのでしょうか。あったと嘘をつかないと成立しない教材から、礼儀は学べないと思います」 (編集引用終り)→江戸しぐさは「偽りの伝統」

 自分に都合のいいことだけを取り上げる「今の日本社会」を鏡に映しているようで、薄気味悪い。「日本はやったことをやらないと言い、やったことがばれるとほかの人もやっているのになぜ自分だけが責められるのか、と小学生のような詭弁を使う。」と世界中で思われつつあるらしい。そういう考えの人々が政府の中枢や、政府要人に多数いるのだから致し方ない…。

 最近では「南京虐殺」や「慰安婦(性奴隷と言われる)」だけでなく、関東大震災時の「朝鮮人虐殺」、「治安維持法での社会主義者の虐殺」などもなかったことにしたいらしい。「戦時中の朝鮮、中国人の強制労働」なども、慰安碑の文言を消し去るなど色々行われている。いずれもが、(第三者機関を作って)少し詳しく調べられれば『日本の主張は嘘』と分かってしまうものだが、ねつ造したいらしい。あったものは二度とないようにすればよいだけの話なのだが、それでは気に入らないらしい。韓国に10億も払っていながら、いまだにその主張を変えない。アホと違うか… その根底にあるのが「人種差別」であることを、他の国の人々が皆うすうす感づいている。

                                          James F.
 「日本人は優秀民族だ」というナチ的情緒を根っこにもっている所にある。他民族の傲慢や尊大に人間がどれほど敏感か日本の人は気付かないでここまで来た。「空気が読めない」のね。アジア人、特に東アジア人と仲良くできなければ世界の孤児でしかない、という簡単な現実に気が付かないのは、不思議なのね。

 内輪では、去年くらいから、もう「日本への訝(いぶか)るような視線」は始まっていることを強く感じる。英語人の場合は「相手に向かって言い出したら手がつけられない」所があるので日本はいい気になって差別しているうちに断崖のような所に来てると思いまする

                                      編集者 伊勢田陽一
今は小学生段階ですでに「アジアは侮蔑すべき対象(台湾は除く)」という意識を持っていますね。外国の怖さや凄さといっても「白人の国」に対してしか感じていない。これから一定期間、世界的孤立を経験するのかもしれません。                              (引用終り)

 若い世代の中には、こういう雰囲気に警鐘を鳴らす方もいる。先日のワールドカップ予選は、日本応援団としては「誠に残念」で、一応「抗議」はしてもいいかもしれぬが、『どうせアラブのバカ』なのだから…という態度が日本社会にアリアリとあるとなれば、それは問題である。

                                  2016年9月2日 清水英斗 
いったい我々は、いつまで「中東の笛」と言い続けるのだろうか。

ワールドカップアジア最終予選、日本対UAEで笛を吹いたのは、カタール人のアブドゥルラフマン・アル・ジャシム氏だった。29歳と若い主審である。今季、アル・ジャシム氏が担当した試合は、日本絡みでいえば、AFCチャンピオンズリーグのグループリーグ、浦和レッズ対広州恒大(1-0)、FC東京対江蘇蘇寧(0-0)が挙げられる。ジャッジが偏っていた印象はない。むしろ、FC東京については、相手のゴールを取り消すファール判定に助けられた。

当然ながら、大会中に問題のあるレフェリングが指摘されれば、大きな試合に割り当てられることはない。FIFAの国際大会で評価された主審が、日本対UAEを担当していた。 また、先日行われたリオ五輪の決勝でも、ブラジル対ドイツの笛を吹いたのは、やはり西アジア、イラン人のアリレザ・ファガニ氏だった。私たちが「中東の笛」と呼び続けている人々は、実は世界で活躍している。

「中東の笛」―。 選手もメディアもファンも、この偏見に満ちた差別的な呼称を、改めなければならない時期に来ている。(中略)

それ以外のシーン、たとえば球際などで「え!?」と思うジャッジはあったが、それはサッカーの試合では普通に存在する類のミスジャッジである。誰が審判をやっても、一定数はある。また、細かく笛を吹く審判とも感じたが、その基準も、主審の裁量に委ねられるのがサッカーだ。それに素早くフィットするのも、選手の能力である。

『中東の笛』ではない。普通の審判だった。 確かに、過去にはそういう事例があったのかもしれない。今となっては『中東の笛』など明らかな時代錯誤だが、染み付いた偏見を取り除くのは、本当に難しいことだ。

私はこの偏見が、アジアを戦う上で、最も大きなリスクになると危惧している。

現状を知らず、アジアに対して自然と見下した態度を取ることが、審判に限らず、ピッチ上のすべてに表れている。日本代表から、謙虚さが感じられなくなった。審判にフィットする努力をしていない。

思い上がった態度は、日本代表を本当にワールドカップ予選から敗退させるリスクになる。改めるべきは『中東の笛』。その呼称を、無自覚に使い続ける私たちの姿ではないだろうか。  (部分引用終り)

→ 記事全文 いったい我々は、いつまで「中東の笛」と言い続けるのだろうか。

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