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日本の「戦争に関する公文書」はすべて焼却された…を証明した長野県東筑摩郡今井村の出来事。「正義の戦争論」は責任追及を恐れるあまりの発想。

 ほとんど最近は見ないのだが、拍手コメントを見ていて、「1945年8月15日 公文書 焼却」で検索をかけたらヒットしました。よくここまで調べましたね。 投稿者 : R.Y.とあって、とてもうれしかった。15年程度前には、私よりもっと素晴らしいブログがいくつもあったが、ほとんどが「日本人に何を言っても無駄だ…」と言うようなコメントを残して閉鎖している。彼らほどの器量はないにしてもそういう人たちの分まで何とか頑張らなくてはと思っている。

 私は「古い友人」のような皆さんから、「パパさんは自由に書いてください。」とか、しばらく休んでも、『おかえりなさい』とか、涙の出るような励ましをもらってここまで来た。おやじトロルという他の国々にはほとんどいないような「人を誹謗中傷するだけに喜びを感じる一群」がウジ虫のように湧く日本のネット社会。全く寝起きの気分が悪い。今まで意思疎通の手段であったコメント欄を封鎖するくらい気分が悪い。いまだに昔の記事に特定の人物からの発信が続く。産経新聞にでも投書すればよいのに…

 だいぶ前に書いたものだから、ブログの様式が変わっているので、今では読みにくい体裁になってしまっているので、再掲載しておく。『October 24, 2013  リュウマの独り言』より…昔は「独り言」だったのですが、今は「遺言」、『主張は変えません』と言う意味です。気に入らなければ「読みに来ない」という選択ができるわけですので、そうしていただきたい。

                          October 24, 2013  リュウマの独り言再掲載
 長くこのブログを読んでいただいている皆様はご存知と思うが、私は「慰安婦や南京事件」で『櫻井よしこ女史らの右翼勢力』の意見にまったく同調しない。『櫻井女史』がいかに「日本の公文書にこうあります」と声高に主張してもまったく意見を変えることはない。若い世代の皆さんの中には「なぜなのか、単に意固地になっているだけではないのか」と思われている方もいるやも知れぬ。

 これは、マスコミに大きな罪はあると思うが、日本では『ポツダム宣言受諾の方向』が決まった瞬間から、軍部と官僚は戦後「戦犯としての責任」を問われることを恐れ一切の資料を焼却してしまった。 このことをしっかりと記憶しておかねばならない。最近ではマスコミはその点にほとんど触れないが、日本に残っている公文書といわれるものは、余程「日本に都合がよいから」残っているに過ぎないのであって、いささかでも心配あるものは処分されてしまっている。次のブログはそういう意味で書かれた訳ではないが、大変な苦労(身の危険を冒して)をして、戦時中のポスターを長野県の阿智村の原 弘平 元村長が『尊い教材になると考え、命がけで蔵に保管した』ことを紹介しているものである。


                                     季節の変化さん 引用
 昭和20年(1945年)8月15日に終戦、 昭和20年9月2日に無条件降伏をした。

 「機密重要書類」を焼却せよ、の通達は、昭和20年8月18日の発行である。 昭和20年8月15日の終戦の3日後で、 昭和20年9月2日の無条件降伏の前になる。 軍・政府はあわただしく動いた。

「機密重要書類焼却の件」(写真 左)では、 「各種機密書類」、「物動関係書類」、「統計印刷物」などの、焼却を命じている。 そして、学校や各種団体に通達すること、この通達そのものも焼却することを命じている。
      「機密重要書類」を焼却せよ、という通達
                            「松本市文書館」蔵 (松本市)

 政府は1945年8月14日に、「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。 戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、戦争を歴史から消し去ろうとした。 軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだ。そして、軍関係、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。

 「機密重要書類焼却の件」とは別に、昭和20年8月21日に、「戦争ポスター」は焼却せよ、という通達をわざわざ出している。 「機密重要書類」は焼却せよ、の通達は昭和20年8月18日だから、「戦争ポスター」は焼却せよ、の通達は3日後である。

 そして、学校や各種団体に通達すること、この通達そのものも焼却することを命じている。 「戦争ポスター」があったことの公式文書である。

 「機密重要書類焼却の件」と 「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件 (写真 右)」は、長野県東筑摩郡の今井村役場(現在の松本市今井)の、「昭和20年庶務関係書類綴」の中に入っていた。この「昭和20年庶務関係書類綴」は、終戦60周年の2005年8月に「新宿歴史博物館」の「平和展」に展示された。

 「昭和20年庶務関係書類綴」が、2005年8月に展示されたのを契機に、ほかの県や市町村から、調べなおしたところ、 「わが県でも、『機密重要書類焼却の件』や、『大東亜戦争関係ポスター類焼却の件』が見つかった」とは、聞いていないから、他県では完全に焼却したのだろう。 「機密重要書類」を保管するという、危険を冒すようなことはできなかった。当時、軍は絶大な権力を持ち、逆らうことは恐怖であり、自治体の長であっても身に危険がおよぶ。

 戦争に関する一切の資料、一切の歴史を焼却したから、各県の「県史」は、戦争時期の歴史、記述はなくなっている。それか、聞き取り、個人の日記や記録、写真に頼った「県史」になっている。 「長野県史」を見ると、昭和14年~昭和20年の統計資料には、抜けが多い。みなさんの「県史」はいかがでしょうか? 歯抜けか、統計表自体がないと思う。

 宮崎県に「県経済史」がある。 「国力を推定できる統計資料は、すべて焼却せよ、内務省」という電報が宮崎県知事に届いていた。 しかし、 膨大な統計資料は、宮崎県再建の指針となる、と考えた職員は、自動車で家の納屋に運び込んで隠した。 その結果、「県経済史」を作ることができた。統計資料以外の「機密重要書類」は、県庁横の広場につくったごうで、斧(おの)で壊し、火をつけ、一週間かけて灰にした。                                       (引用終り)

 まさに「上手の手から水が漏れる」ような全国でただ一か所長野県の阿智村で文書そのものが保存されていた。それを使って、「我々が立証」できる。もしこれがなかったら、櫻井女史への反論はできなかっただろう。しかし、この文書が、今後は『平和展』で公開されることはあるまい。現政府の考え方なら「余りに政治的すぎる…」のだ。歴史的事実であるのにかかわらず…彼らの考えに沿わないという理由で…。

 私も直接の戦争体験者ではない。今「発言している人々」のほとんどがそうである。『治安維持法で殺されたのは「小林多喜二ひとり」などと書いている』著名な方は、治安維持法での「国家賠償の裁判」がいくつ起こされているのか、当然知っているだろう。が、櫻井女史同様、都合の悪い資料は彼らの頭にはない…、それで国内の議論は持つかもしれぬが、何千と言う「日本研究学者」が幾十万と言う資料を基に何十年もかけて検証してきた『戦争の歴史』を、『都合のよい資料だけ寄せ集めた日本の論者』が打ち破ることは、ほとんど皆無に近い。少し「治安維持法」について加筆しておくと

     第180回国会 請願の要旨     (全文は参議院HPをご覧ください→参議院HP )
     新件番号1035   件名 治安維持法犠牲者に対する国家賠償法の制定に関する請願

 戦前、天皇制政治の下で主権在民を唱え、侵略戦争に反対したために、治安維持法で弾圧され、多くの国民が犠牲を被った。治安維持法が制定された一九二五年から廃止されるまでの二十年間に、逮捕者数十万人、送検された人七万五千六百八十一人虐殺 九十人、拷問、虐待などによる獄死千六百人余、実刑五千百六十二人に上っている。戦後、治安維持法は、日本がポツダム宣言を受諾したことにより、政治的自由の弾圧と人道に反する悪法として廃止されたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていない。                               (引用終り)

 言うに事欠いて「治安維持法で死んだのは、小林多喜二だけで、その程度で済んだのに日本を共産主義から防衛した良い法律です。」などと書いている馬鹿がいる。小林多喜二は『蟹工船』で有名な小説家で、彼が警察から戸板(物資不足でタンカがないので雨戸を代用した)に乗せられて帰ってきたことは、当時の新聞が報道しているので、慰安婦問題での「白馬事件」同様、否定はしないようだが、帰ってきたとき、(小説家であるのに)両手の指10本すべてが外向きに折られていた。腹は赤黒くはれ上がり顔も無残に腫れていたという。『もう一度、一言でいいから何か言っておくれ』と泣く母の腕の中で息絶えた。統計上、「警察内」で死んだわけではないので、上のどの数字にも入っていないのかもしれない。

 もちろん、逮捕されて「そのまま行方不明」でも、当時「特高」に抗議はできなかったろう。この数字自体が「過小評価」かもしれぬが、空襲や戦後の「公文書焼却」で実態は分からないというのが真相だろう。「虐殺」「拷問」での死者が『20年で2000人いない』のだから、1年あたり100人、交通事故より少ないなど、馬鹿も休み休み言え、と言うような論調が多い。国家による「このような行為」はあってはならないことで、0人が当然だということを肝に銘じる必要がある。

 70年近く生きてきて、昔から不思議だったことは「なぜ、日の丸を掲げ、君が代や軍歌を流すような仕事」しかしない『右翼』と呼ばれる人々が豪勢な家に住み、立派な車を持てるのか、と言うことだった。どうやって「収入」を得るのか、不思議でならなかった。しかし、最近「この内閣」になって、何とはなしに分かってきた。『戦争責任』のある人々が、すべてそのまま、日本の支配層に君臨し続けた結果である。あるものは「その弱み」を握り、あるものは「ボディガード」として、この支配層と共に分け前にあずかっていたのだ。戦後70年、彼らが次の世代に移ったとしても、『責任追及』が最も恐ろしいことに違いない。「戦後を清算する」とは、戦争責任をはっきりさせ、その罪を償わせることではないのか。だからこそ、今一部の勢力が主張する『正義の戦争だった』事が必要なのだろう。


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