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富裕層が一般の若者は「貧乏でよい」と考え続けるなら、日本は必ず崩壊する。今日のニュース -- 三笠宮が亡くなられた。

 私は『ユニクロ』で服も下着も買わない。一人で「不買運動」している。この会社がおかしいと感じたのは、WBSという「日経系列のニュース番組」で同社を紹介していた頃からだ。まず、ニュースとして「ユニクロの製品が安くて品がよい」という。この番組は以前にも「マックのハンバーガー69円」を大々的にニュースとして流した。その後、これが原因で日本マクドナルドは傾き、米国本社の助けを求めたわけだが、このニュースによって、多くの「個人のバーガー店」か倒産に追い込まれたと感じている。私の街でも、つぶれてしまった。

 なぜ、こんなことがニュースになるのか分からないが、一方は膨大な宣伝費をチャラにできるが、街の個人商店が同一のことをやっても、ニュースにはならない。摩訶不思議なことである。「ユニクロ」の場合は、昼のワイドショーでも、芸人が「私もユニクロを着ています。品質がいいですよねーー」などとコメントする。この企業が出るまでは人々は『個性を競って』いた。人と同じものは着たがらなかったのだが、なんと「このニュース以後」、中国の人民服のように街中に「ユニクロルック」が溢れ始めた。

 なぜ、「不買」をしているか…、この企業の社長の考え方は「竹中平蔵」同様、日本を崩壊させる考え方であるからだ。以前にも『アフリカ土人と同じ仕事をして、日本人だからと言って高い給料をもらえるはずがない。同じ給料になるべきだ。』などと、勝手な論法を繰り出していた。日本人が「ザンビアのユニクロ」で働くなら、現地の人と同じ給与で文句はない。が、日本で働いているのであるから、日本社会で必要な賃金は当然支払われるべきであろう。これは以前も書いたが、その時、「ユニクロ」の社員数は250人であった。あれだけの店舗を展開し、企画から製造販売を一手に牛耳っている会社が、である。そして、その社長は世界のトップ50に入る超富裕層である。何千何万と言う「日本人」を使い捨てにして成り立っている会社である。

 私の家の近くに『太宰府天満宮』がある。今では年中人出がある。大勢の参拝客のうち、3分の1程度は「アジア系の外国人」であるのだが、顔で判断できなくとも「服装」を見るとすぐにわかる。ベロベロの「ユニクロルック」で、ビーチサンダルのようなズタズタの履物なら「日本人」、しっかりした身なりで、革靴を履いていれば「外国人」である。判定は「言葉」でわかるのだが、まず間違いはない。

 その「ユニクロの社長」がこんなことを言ったのだそうだ。もちろん、彼は「安倍政権側」の代表である。若い方には「よく覚えていて欲しい」記事である。--日経ビジネスに載ったもの ブル速より転載--

           甘やかして、世界で勝てるのか 
    ファーストリテイリング・柳井正会長が若手教育について語る


柳井会長: 開国すれば、日本はアジアと北米の交差点となり、一層ボーダーレスになります。 日本の若い人は今後、本格的に海外の若い人と競争しなくてはならなくなる。 それも相手は先進国だけではありません。これからは新興国とも戦わなくてはならない。

 それにもかかわらず、日本国内の旧来型の制度を守っていてもしょうがない。 例えば、東京・六本木に本部のある我が社には、これまで、日本各地から採用応募者が面接に来ていました。 ですが最近は、日本国内と同じような感覚で、海外から採用応募者が訪れるようになっています。僕が面接している応募者の約半数が海外の人ですから。

彼らは国境も関係なく働き、若いのに年間数千万円を稼いでいる。能力があれば、若くてもそれくらい稼げるわけです。 ただそれは、その人が経営者としての仕事ができるからですよ。

最後に、若い世代を経営者として厳しく育てることは、日本経済にとってもメリットがあるのでしょうか。

柳井会長: そもそも今の日本の平均年収は決して高くはありません。およそ400万円くらいでしょうか。 ですが今後、為替が変われば200万円や300万円になる可能性もある。そういう危機的な状況に、今の若い世代はあるわけです。

「あなたは本当に今の延長線上でいいんですか」ということですよ。 僕は、それではダメだと思います。もっと年収がもらえるように自分から努力をしないといけないと思います。 日本経済が本当の意味でグローバル化し、世界で勝つためにも、世界で戦える人材が必要だと思っています。     (引用終り)

 竹中平蔵氏が「若者が貧乏がいいというのなら、貧乏を楽しんでください。しかし、我々の足は引っ張らないでほしい…」などとふざけたことを言っていたが、彼らをどのように中産階級に押し上げていくかが、政府の課題であって、彼らの給与をかすめ取って、わが世の春を満喫するのが「政府の方針」では、若者は死ぬに死にきれないだろう。「ユニクロ」も同様で、ほんの少し「社長」や幹部の給与を社員に回しさえすれば、ずいぶんと暮らし向きは良くなるはずである。もう、何世紀も先まで「安泰」で暮らせる資産を持っているのだから…彼らはよく言う。「経営者の立場で働け」と…、しかし経営者として働いたとしても、「給与は末端のまま」であり、決して経営者並みには支払われない。体(てい)の言い「使い捨て論理」に過ぎない。

 アメリカと言う国の政府は好きではないが、その「国民」のなかには、とても日本社会では存在しないような「尊敬に値する人物」が生まれる。そういう意味で、少し「ミーハー的」ではあるが、なんとなく『アメリカ社会』への憧れが心の中にある。

                                    2016/10/09  大紀元
 17歳から映画の世界に入り、「スピード」で一躍有名になったキアヌ・リーブスは、後の「マトリックス」3部作で巨万の富と名声を得ました。しかし、他のハリウッドスターと違って、彼は豪邸に住まない、ボディガードを雇わない、ブランド品を身に付けない、時々ボロボロの靴を履いて、ホームレスのような格好で街をうろついたりもします。

     「ぼっち飯」するキアヌ・リーブス(ネット写真)
             "「ぼっち飯」するキアヌ・リーブス(ネット写真)"
 彼はよく一人で行動をします。ベンチで一人寂しそうにサンドイッチを食べたり、物乞いにお金を渡したりすることを、どこかの街で見かけるときがあります。彼は46歳の誕生日に、自分に買った小さなカップケーキにロウソクを立てて、道端に座って一人誕生日を祝いました。ホームレスに声をかけられると、自分のケーキを分け与えました。

     道端に座ってホームレスと気軽に語り合う(ネット写真)
            "道端に座ってホームレスと気軽に語り合う(ネット写真)"
 彼は質素に暮らします。地下鉄に乗って移動するし、礼儀正しく女性に席を譲ったりします。この1幕は電車に乗っていた乗客に撮られ、ネット上に流されて話題を呼びました。飾り気のない行動が本物のジェントルマンだと女性ファンがさらに増えました。

 高級車を買わない、自分の好きなバイクだけに乗る彼は「マトリックス」の報酬の7割を病院に寄付しました。また、「この映画の成功はスタントマンがいたおかげだ」という理由で、スタントマンを務めた12人にそれぞれハーレーダビッドソンをプレゼントしました。そして、2作目「マトリックス リローデッド」で得た報酬1億ドル(約100億円)のうち7500万ドル(約75億円)を映画のSFXスタッフや衣装デザイナーたちに均等に与えました。彼曰く「裏方の彼らが最も大変な仕事をし、最も偉大なのだ」そうです。

 「金銭は私にとって最も気にしないものだ。今の富は数世紀も生きていけるほどなのだ。ならば、最も必要とする人に差し上げた方が良い」とキアヌ・リーブスは語りました。       (引用終り)

 今、日本国民の所得を引き上げようとするなら、まず「人材派遣会社」と言う名の『口入れ屋』を元通り禁止すべきだろう。そうすれば彼らが途中で「かすめ取っている」2割から3割の給与が労働者本人に支給される。竹中平蔵や麻生財務大臣をはじめ、各新聞社やテレビ局も「人材派遣会社」を所有しているという。日本全体で労働者の賃金を『ピンハネ』する社会になっているのだから、この声が取り上げられるということはとても難しい。派遣に身を置く人々が「反旗」を翻すしかない。

 日本の富裕層も、数十年間安泰に暮らせる資産を持ったなら、もっと社会に還元することを考えないと、いつか根底から覆される。「反日だ」、「売国奴だ」という子供騙しのテクニックがそんなに長く続くはずがない。

 産経や読売が必死で吹聴している『皇国日本』を辛らつに批判してきた「三笠宮」様がお亡くなりになったのと言うニュースが流れだ。南京虐殺や、中国への侵略、そして「日本会議」がいう『神武天皇以来の皇国日本』、それらについて率直に意見を述べてこられた方であり、それらは私の主張とも重なるものである。戦争を実体験し、天皇と違って現地にも出向かれ、ヒトラーとの会談もこなした方だ。その方がなんと言っていたか…、その程度は歴史になにがしかの意見を言おうと思うなら、最低限知っておくべきことだろう。

                                        Simon_Sin
三笠宮崇仁さんは戦時中「若杉」の名で南京の支那派遣軍総司令部に勤務し「略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか」と皇軍の素行の悪さに怒ってたりする。

三笠宮崇仁さんはガチの歴史研究者だったので戦後、紀元節(神武天皇が即位したとされる2月11日)が祝日化されようとしたとき「神武天皇は実在してねえし2月11日に即位したのも歴史的事実じゃねえし」と反対してんのよね。皇族の立場でも歴史修正は絶対許さないという真摯な方でした。ご冥福を。

  三笠宮崇仁

                                   --本稿終り--


 九州は『秋』に入ったという感じはあるが、寒さはほとんど感じないで過ごせている。桜の葉が紅葉せずに青いまま散っている。もうすぐ「寒くなる」らしいのだが、暖房費を考えると1日でもこの暖かい秋でいてもらいたい気もする。

 北海道は「雪」らしい。同じ日本とは言え、各地によって本当に違うものだと実感する。『雪』といえば、名残り雪という曲は最近もちょっとはやった。こんな歌を聴いていた頃、本当に「日本」は平和だったのに、なんとギスギスした社会になってしまったのだろう。


        

                                           富澤一誠
「なごり雪」「22才の別れ」は、今でも歌い継がれ、聴き継がれているフォーク史に残る名曲だ。いや、日本が誇るスタンダート・ナンバーと言っても過言ではない。 2曲共に作詞・作曲は伊勢正三。しかも、「なごり雪」は彼が初めて作曲した曲であり、「22才の別れ」は2番目に作った曲というから驚きだ。

「なごり雪」「22才の別れ」は、実はかぐや姫の4枚目のアルバム『三階建の詩』(1974年3月5日発売)に収録されていたもの。この曲を作るきっかけを伊勢は述懐する。

「それまでかぐや姫のオリジナルとして、ぼくは作詞は何曲かしていたものの、作曲はしたことがなかったんですが、『三階建の詩』のときは、南こうせつから、正やんも曲を書いてみたらと薦められたんです。それで2曲をノルマにして書いてみたんです」

なかば強制的に作曲させられた2曲だが、かぐや姫ファンの間では「シングル・カットして欲しい」という意見が出るほど評判は高かった。しかし、その前に、かぐや姫は惜しまれながら解散して、伊勢は大久保一久と“風”というフォーク・グループを結成した。その風のデビュー曲として「22才の別れ」(75年2月5日発売)を出したら、あっという間にミリオンセラーになってしまったのだ。

一方、「なごり雪」は、同じ事務所に所属するイルカが歌ってシングル化(75年11月5日発売)したら、こちらも大ヒットしてしまった。75年に、伊勢が作詞・作曲した「22才の別れ」「なごり雪」が共に大ヒットしたということは、ほとんど“奇跡”と言っていい。なぜ2曲とも大ヒットしたのだろうか? 2曲共に優れた“短編小説”に通じる珠玉の“名作”だったからだ。紛れもなく「なごり雪」「22才の別れ」は歌を超えた“文芸作品”なのである。            (引用終り)

 例によって、「リュウマのパパ」のカラオケタイムです。勇気をもってクリックしましょう。(笑)

                  22才の別れ1  1番が終わったら下をクリック
                          22才の別れ2   2番が終わったらすぐに下へ
                                 22才の別れ3

あなたに さよならって 言えるのは 今日だけ
明日になって またあなたの 暖い手に
触れたらきっと言えなくなってしまう  そんな気がして

私には 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった

私の 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつが みんな君の人生だねって言って
17本目からは いっしょに火をつけたのが 昨日のことのように

今はただ5年の月日が永すぎた春といえるだけです
あなたの知らないところへ嫁いで行く私にとって

ひとつだけこんな私のわがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで変らずにいて下さい  そのままで...
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