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タイ国首相が言ったとされる『旧日本軍への感謝の言葉』 は本当なのか。 を検証する。  皇国史観が用いる 『姑息な手段』は日本の国益を害する。

この記事を書いた当時は「ネトウヨ」と呼ばれている方や、そういう言説を信じている方々もこれらを『事実』と考えておられるものと思って、その真偽を『原典』を探し、解き明かそうとしていた。今考えれば、馬鹿げた努力で、彼らは「真実」である必要はなく、自分達にフィットすれば何でもよいらしい。ただ、こういう「事実か否か」を調べることは、大変な努力と時間を必要とする。私以前にも、こういう試みをなさった方が大勢いらっしたのだが、そこで『虚偽』だと証明しても、その言説がやむことはない。

 いまさらと思うが、「リンク」を張らせてください、との申し出があったが、当時は『黒地』のブログであった。「歳をとって目が悪くなって見ずらい」と言うような意見をいただいたので、白地に変えた経緯がある。白地では過去記事は全く読みにくいので『再掲載』しておこうと思う。


                           May 23, 2013  リュウマの独り言 再掲載
 先日、明日の授業を5分で準備TOSSランドというサイトから引用で日本での教育について書いたが、インドネシアの教科書には日本について

 日本は戦時下にインドネシアを占領した。経済諸資源は、戦争が必要とするものを支援するために動員された。そして、その行政管理の担い手は軍人たちだった。
 それゆえ、日本による占領期間は短かったとはいえ、長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。  -- 高校教科書 --

 インドネシア占領時代、日本は西洋(ヨーロッパ)的な事柄を日本的な物へと変えていった。道路は新しい名前を与えられ、"バタヴィア"市は"ジャカルタ"市へ変更された。
 インドネシア民衆の共感を得るため またそれを確実なものにするため日本が実施したプロパガンダの一つは、日本民族とインドネシア民族はアジアの新秩序を作り上げる大戦争の戦友である、というものだった。 
 しかしながら、そういったプロパガンダの試みは度々失敗の憂き目を見た。なぜなら、強制労働、米の供出義務、軍警察(ケンペイタイ)の恐怖、殴打、暴行、日本人に対するお辞儀の義務といった日本の占領下における苦い現実があったからだ。  -- 中学校教科書 --

 と、日本の侵略を厳しく非難している。一方、日本では先に紹介したように、インドネシアの状況を教える。フィンランドのように、大使館に通報でもされないと、訂正されないのかもしれない。

  もう一度、TOSSランドから引用した不可思議な部分を書いておこう。

 発問6  インドネシアの人は独立記念日に、日の丸もかかげることにしました。なぜ日の丸もかかげているのですか。

 この言い方だと、「日の丸を掲げることは事実」として教えられている。そして、その理由も次のように明示されている。

語り1  インドネシアが日本領だった時代、この地域の発展に力を注ぎました。インドネシア語で教育
     し、インドネシア人の軍隊を作っていたのです。それまでのオランダの支配とは全く異なっ
     ていたのです。

語り2  日本が敗れ、再びオランダに支配されるようになった時、インドネシア人と協力し、オランダ
     と戦った日本人もたくさんいます。

 小学校の先生は「教科専門」ではない。指導案としてこういうものがあれば、手っ取り早く (5分で準備 と言うように) こういうものを参考にするかもしれない。それが真っ赤なウソだったら、どうなるのだろう。

 「教えてGoo」に私と同じ疑問を持った方がいて、そこにいろんな解答が載っていた。現在では、こういう間違いも、現地駐在の経験者があっさり「解答」を出してくれる。

 以前インドネシアに駐在していました。残念ながら日本の国旗を掲揚するところは見たことがありません。おっしゃるように、独立記念日に他国の国旗を掲揚することはないですよね。韓国や中国ほどでもありませんが、反日感情を持った人もいますよ、「自分のおじいちゃんは日本軍に首を切られた」とか言ってくる人もいました、でも親日の人の方がより多かったですね。

 これで、解決したわけだが、「そうではない」と言い張る皇国史観の方が、多いのだからビックリする。

 どんなに欧米や シナ・朝鮮が、「日本は侵略国家だった!」と叫びまわっても、結局、神様はご存じなんです。『日本がいかに奴隷解放に尽力を尽くした』、『日本がいかに人種平等の為に戦ったか』という事を・・・。

 そして日本軍は、やがて来るべき救世主の露払いとして、インドネシアの各地で紅白旗(インドネシア国旗)と国歌「インドネシア・ラヤ」の大合唱で迎えられた、というのは有名な話ですよ。

 インドネシアの独立宣言の日付(年号)が"05"となってますが、これは (日本軍への感謝をこめて) 日本の皇紀2605年(=西暦1945年)の下二桁を表記したものです。 

などなど、3:1で優勢です(爆)。

 しかし、これを(爆)として済まされないほど世の中が変わってしまった。 あの「社会科指導案」にあるタイ国元首相のこの言葉などは、とても信じがたいものだ。   -- 以下 引用 --

      インドネシアの隣国、タイの元首相 ククリット・プラモードの言葉です。

「〇〇のおかげでアジア諸国はすべて独立した。 〇〇というお母さんは難産して母胎をそこなったが、 生まれた子供はすくすくと育っている。」

発問7  〇〇には、どんな言葉が入ると思いますか?

     日本である。

説明4  続きを読みます。

こんにち 東南アジア諸国民が、米・英と対等に話ができるのは いったい誰のお陰であるのか。それは身を殺して仁をなした日本という お母さんがあったためである。12月8日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。 我々はこの日を忘れてはならない。


指示1  今日の授業の感想を書きなさい。                                 (引用終り)

 一国の指導者が、どういう場所でこの言葉を言ったのか、 それについて書いているものが なかなか見つからない。  こんな事は余程の「未開の地」の指導者なら言っても問題にされないかも知れぬが、ある程度の国家なら( 自国の今日があるのは、日本が血を流して戦争をしてくれたおかげだとする話 ) 「国賊」扱いではないのか。 なんとも、解せなかったが、今日の調査で幾分理解できるようになった。

 さらに悪いことには、どうやら真相を知っていながら、それでも子供たちをミスリードしようとする大人がいる。とスオミの森の陰からさんが言われていたが、この件も同様の手合いが中に入っている。 -- しかし、「皇国史観」のブログでは、現在も盛んにこの件を上記と同じ書き方で引用している。 -- 

 この文章を紹介したのは、名越二荒之助という方で、デビュー作の「大東亜戦争を見直そう」の中にある。 (それ以外にない。したがって、今もこの文章が盛んに使われているが、原典はこれのみであり、引用先を明示しないのはおかしいといえる。)

<タイ国記者ククリット・プラモート>          大東亜戦争を見直そう 名越二荒之助 著 引用

現地新聞に1945年12月18日、「十二月八日」と題して、以下の評論を発表している。 彼はのちに首相になる

          「日本のお陰で、アジアの諸国はすべて独立した。
           日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、
           生まれた子供はすくすくと育っている。
           今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、
           一体誰のおかげであるのか。
           それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
           十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、
           一身を賭して重大決心をされた日である。
           われわれはこの日を忘れてはならない。」


 これからの引用なら、授業案も、皇国史観ブログの文章も随分と『恣意的な引用』である。これならば、あり得る話である。ところが、どのブログを見ても、これをタイ国元首相 ククリット・プラモードの言葉として書かれている。この表現が100%間違いとはいえないが、正確でない。ククリット・プラモートは、決して政治家としては「親日」ではなかった。 

 では、この新聞記事--論評となっているが--は、なぜ書かれたのか、なぜこのような趣旨の文章が必要であったのか、全く触れていない。特に、「小・中学生」のような、-- 大人でもそうだが --歴史に疎 (うと) い者にわざわざ「インドネシアの隣国」などと 『ミスリード』を誘う言葉を入れて、かつ元首相の言葉 (?) -- こういうことによって、首相のとき、または退任してからそのような発言があった、と相手に思い込ませる--という必要があるのか。現地新聞の記事によると、ではダメなのか、が問題になる。

 タイ国は、東南アジアで独立を保った『唯一』の国であると、中学校で習う。 第二次大戦では、中立を保っていたが、最終的に (日本がマレー半島に進出した際) 日本と「軍事同盟 (日泰攻守同盟条約) 」を結んだ数少ない「枢軸国側」の国家である。一度も植民地にならず、戦後は「国連」の敵国条項にも名が載らないほど 外交上手といわれている。

 ククリット・プラモード氏は、オックスフォード大学に留学、帰国後「サイヤム・ラット」というタイ語の新聞社を興した。 名越二荒之助氏によると、その後次のような経緯で記事は書かれたことになる。

          (名越二荒之助編『世界に開かれた昭和の戦争記念館第4巻・大東亜戦争その後』)
一九五五年(昭和三十年)六月に元タイ駐屯軍司令官であった中村明人陸軍中将がタイ王国に国賓待遇で招待された時、同紙に発表した記事が先の文章である。その後、一九七三年(昭和四十八年)には社会行動党の党首として首相になっている。

 1945年12月だったものが、この著書では1955年6月に発表された記事だという。彼以外にこの記事を取り上げたものがいない以上確認のしようがない。首相になる18年前、または28年前に新聞に書いた記事が「元首相の言葉」として紹介できるのだろうか。

 こういう「姑息な手段」を使っている限り、日本国内は騙せても世界に出れば必ず「手痛いしっぺ返し」を喰らうだろう。何百というブログで引用されているが、こういう事情をご存知なのだろうか。

 時間はかかったが、それなりにこの言葉 (本当は新聞記事) の持つ意味もわかった。二次大戦中、同盟国であった「タイ」が、当時の「駐屯軍司令官」を招待し、 その時地元紙が出した「歓迎記事」の一部なのである。タイとしては当時「枢軸国側」であったのだから、それが間違いだったとは言いがたい。ましてや、『国賓待遇』であれば、外交的リップサービスも必要だろう。そういうことであり、インドネシアなどの植民地、占領地と比べられるものではない。

 日本は古来より そんなに間違ったことをしてきているとは、私は考えない。しかし、先の大戦時の領土拡張の方針は唯一といっていいほど誤りであった、と思う。日本が「良い国」であることを、このような「姑息な手段」で言い募 (つの) ることは

            決して 日本の利益に繋がらない。
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