『戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか』と言う記事から考えさせられる「日本社会」の中での若い兵士の悲惨さに思い至る。

 支援部隊であろうとも、海外に自衛隊を派遣しだしてから政府は隊員には内緒で「白木の棺」をいくつか同行させている。今回、世界各国が武装した「日本軍」が初めて外国の地を踏んだ、と伝えた「南スーダンへの派兵」などでは、常識的に何十かの棺を送り込んでいるはずである。もちろん、『心置きなく死ねる』ように任務中の自衛官の死亡・傷害時に国が支給する弔慰金(賞じゅつ金)の最高額はイラク派兵やアフリカ・ソマリア沖での海賊対処などの海外派兵にあわせ、増額措置がその都度とられ6000万円であったが、それを9000万円にするのだそうだ。

 世界でもまれな日本社会では、戦死した場合は「愛国者」として『靖国神社』にでも祀ってくれようが、『精神疾患』などを患ったら、「多くの兵士が何ともないのだから」、と「自分の弱さ(自己責任)」を責められるだけで、救いの手はないのではないか。日本会議の意見を見ていると、そういう結果しかあり得まい。アメリカでは「戦後」の傷病者への支援金が、国家財政の大きな障害となるほどになっていると言う。その点、日本は「安心」して戦争できそうである。

                                 2016 12.06 産経ニュース
 政府は6日午前、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されている陸上自衛隊部隊に関連し、駆け付け警護を行った際に死亡した隊員に支給する賞恤(しょうじゅつ)金(弔慰金)の最高額を6千万円から9千万円に引き上げる方針を決めた。また、駆け付け警護を行った場合には1日8千円の手当てを追加支給することも閣議決定した。

 鬼となって戦場を駆け回れる者はそれでいい。が、人間的心をもって、戦場にいることは「いかに大変か」は、アメリカ兵の各戦争の戦後をみればわかる。多くの若者が「トラウマ」を引きずり、社会に適応できない場合も多い。戦争に参加するということは、それを指揮する側からは全く見えない「別の問題」を多くの若者が抱えることになる。        (下の記事の原文は文末にリンクしてあります。)

                            籏智 広太 BuzzFeed News 2016/12/08
戦争で心を病み、70年以上が経っても入院したままの日本兵たちがいる。1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦。戦後は、今も続いている。絶望的な戦場に投入されて亡くなった日本軍兵士は、200万人以上。生き残った人たちも、身体や心に大きな傷を受けて帰国した。

いまで言うPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされた元兵士も多かった。なかでも、病院暮らしを余儀なくされ、社会復帰できないままになってしまった人たちの存在は、あまり知られていない。いまだに入院中の人だっているにもかかわらず、だ。精神疾患などで入院した元兵員、8千人分のカルテを分析した埼玉大名誉教授の清水寛さんはBuzzFeed Newsの取材にこう語る。

「戦地の加害経験などによって精神を病んだ人たちは、『戦争神経症』と呼ばれました」 清水さんによると、敗戦直後までに入退院した日本陸軍の兵士は約2万9200人。その半分にあたる約1万450人が、さまざまな精神疾患に苦しんだ。軍部は、国府台陸軍病院(千葉県)を中心にその対応に当たった。1940〜45年にかけては、いまの東京都小平市など3カ所に療養所が設置されている。それほど、兵士たちの精神疾患は重大な問題だったのだ。

清水さんが分析した当時のカルテである「病床日誌」のうち、1372人が「戦争神経症」だった。カルテには、たとえばこんな記載がある。中国に派遣された30歳の男性だ。
      清水寛 for BuzzFeed
     (注) こういう資料は軍事機密となり普通は公開されない。 清水寛 for BuzzFeed

精神分裂病 昭和十九年二月八日病名決定
「同僚に悪口を云われる様な気がし 誰か跡をつけられて人に会ふのが恐ろしくなり……目や鼻のない坊主の姿が見へて来た」
「女や男の泣声が聞こえたり、聖徳太子の声も聞こえる」

「まさにPTSDの症状だと言えます。私たちが戦争神経症と判断したうち、1割以上がこの症状でした」 さまざまなトラウマに悩まされている兵士たちの姿が、カルテからは浮かび上がる。

「12歳くらいの子どもを突き殺した。かわいそうだと思ったことがいまでも頭にこびりついている」
「部落民を殺したのが脳裏に残っていて、悪夢にうなされる」
「子どもを殺したが、自分にも同じような子どもがあった」
「付近の住人を殺した。夢の中で殺した領民が恨めしそうに見てくる」

ただ、公的に残す資料であるカルテには、軍事機密としてそれらの言葉が載らない場合も多かった。日本軍が残虐行為をしたと、記録に残さないためだった。「にもかかわらず、これほどの数が残されていた。ということは、それだけ多くの人たちがトラウマに悩まされていた証拠とも言えるのです」

      Keystone Getty Images
                       写真は同記事引用Keystone Getty Images

1964年に施行された戦傷病者特別援護法に基づく共同通信のまとめによると、最多の1978年度には、1107人の元日本軍関係者が精神疾患の治療をしていた。「身体障害者は名誉の負傷となり、家族も堂々と胸を張りました。一方で、精神を病んだ兵士は家の恥(家族が病院に入れた身内を引き取らない)となり、隠される存在となってしまった。そうして戦後も故郷などには帰れず、『未復員』のまま一生を終えた人がいたということになります。」 精神疾患を治療するための入院先で死亡した元日本軍関係者は、計682人。厚労省の最新統計(2014年度末)では、13人が治療を続け、うち6人は入院したままだ。

帰国後、復員することなく、入院したまま過ごす人たち。統合失調症と診断されたある男性は、「戦争で恐ろしいことがあった。支那人を銃剣で刺した。みんなで」と話していた。清水さんの父親もシベリア抑留から帰国後、しばらく「異常」な状態が続いていたという。自分の名前を忘れたり、馬糞を「パンだ」と手に持ったりしていたことがあった。強制労働や極寒、そして飢餓がその原因だったのではないかと指摘する。のちに治癒したものの、アルツハイマー型認知症になってからは、「ソ連兵が来るから逃げろ!」と夜中に叫ぶことがあったという。

いまだに夜中にうなされる人、機銃に撃ち殺された仲間達の遺体の「眼差し」を思い出してしまう人、スパムを盗むために殺した米兵の顔が忘れられないという人……。みんな、70年以上前の記憶を、忘れることはできていなかったのだ。

清水さんは言う。「殺し、殺されるという場面を目撃した苦しみは想像を絶します。老いとともに症状が出てくることもあるのです」「戦地に行った兵士は、二度苦しむことになるのです。1度は戦地で。そして2度目はトラウマによる苦しみです」

現代においても、戦闘行為とPTSDは深く結びついている。米軍のアフガン、イラク派兵の現実を描いた「帰還兵はなぜ自殺するのか」によると、派兵された200万人のうち、実に50万人にPTSDの症状があるという。自殺者は、毎年240人以上に上るという。アメリカでは、国をあげて治療プログラムや予防などの対策に乗り出している。

      南スーダンに派遣された陸上自衛隊員
                南スーダンに派遣された陸上自衛隊員
政府は12月から、PKO任務で南スーダンに派遣される部隊に「駆けつけ警護」などの任務を新たに付与した。                                        (引用終り)

この記事の最後は、このような言葉で結ばれている。

                  清水さんは言葉に力を込める。
              「同じことを繰り返してはいけない」


     → リンク 戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか
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