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福島第一原発爆発事故の基礎知識 Ⅶ  原子力行政はなぜ「嘘」を言い続けるのか。(その1)

 また、皆さんに伝えたい素晴らしい記事がアップされていた。2007年10月にアップされた物だが、超大作である。読破するのに「10時間くらい」かかるのではないかとも思える。          (詳しくはクリック→) き坊のノート
 要約して「皆様」にお伝えしようとしたが、何しろ相手が大きすぎる。「放射能の影響」を原爆の開発からにさかのぼって、詳しく書いてある。「中古の軽自動車」のような私の「脳ミソ」では、荷が重い。私なりの解釈と「意見」を織り交ぜながら、紹介してみる。  
               (以下引用抜粋 並びに本旨を変えない程度の改変)

“原子はともだち、キノコ雲はともだち”というかけ声とともに、米軍は核実験をくりかえし、冷戦の相手役であるソ連もそれをまねた。そして、世界中が“風下住民”となってしまった。
(筆者注:風上側には汚染物質が飛んでこないことからの命名) 
(筆者注:今回の事故の米軍の応援作戦は「トモダチ」と命名されている。日本人は喜んでばかりおられぬ。)

 米軍では、信じられないことだが、自国の兵士を使い、放射能の影響を調べている。米軍兵士たちの無知は、国内向きの関心が強いアメリカ人全体の傾向や教育レベルの問題もあろう。

 しかし、何よりも政府-米軍の徹底した情報隠しと作為的なミスリードがその原因である。原子力委員会の絶大な権限にひれ伏すマスコミと学者、連邦-州の官僚組織、その背後にある軍産複合体。それらが国民をねじ伏せようとする力は圧倒的なものである。  (以下は『プルトニウム・ファイル』からの引用)

 レンジャー作戦に行かせた兵士の少なさに一部の高官は不満だった。二度と脇役になるものかと、国防省は大型軍事演習のプランを練りだす。最初の演習は51年の秋、ネヴァダニ度目となるバスター・ジャングル作戦で行われ、以後11年間も続く。
      きのこ雲に向かって突進する訓練
 気温が40℃に近い中、爆心近くに待ち受ける仮想敵めざして突撃した兵士もいるし、爆風で隊列から吹っ飛び、気がついたら爆心のそば、ほこりまみれだったという兵士もいる。

 演習はたいてい前回の放射能が残っている場所でしたため、実験を重ねるにつれて兵士のリスクは上がる。衝撃波は、前の核実験が振りまいたプルトニウムやウランなど放射性物質を合む数センチの表土を大気に巻き上げた。

 ときに兵士はトラックに積まれ、破壊の爪跡を見せられた。廃物のトラックやジープ、航空機もひっくり返り、ヘッドライト部分が溶け、皮のシートが燃えていた。爆心のそば、ケージ内に置いた羊の毛が焼けて悪臭を放つ。プレハブの家並み、スクールバス、マネキンをとりそろえた町の模型も目を覆うばかりに破壊されていた。

 ネヴァダと太平洋の大気中核実験に駆り出された兵士は合計で20万人を超す。作製直後のキノコ雲を突っ切る最初の人体実験は1955年、ネヴァダのティーポット作戦でされた。

 パイロットの体内被曝が、フィルムバッジの語る体外被曝と合うかどうか調べる実験だった。突入前のパイロットに耐水性カプセルを飲ませる。カプセルにはフィルムの小さな円盤9枚を入れ、糸がつけてある。同じカプセルを飛行服の上にもつけ、爆発から17分ないし41分後、合計7回の貫通飛行をさせた。

 雲の中で記録された線量の最大値は毎時1800ラドもあった。飛行後に二つのカプセルを分析した結果、体外のフィルムバッジが体内被曝によく合っていると判断。乗員には、帰路で機の胴体を裸の手でこするよう命じた。汚染された航空機をいじる地上クルーにどんな危険があるか「正確に評価する」実験の一部だった。
    きのこ雲
      この中に戦闘機を突っ込ませて、影響を調べた。
 56年のレッドウィング作戦では原子爆弾と水素爆弾を爆発させた。キノコ雲を突っ切るとき、肺や食道から体に入る放射能のハザードをつかむ実験だった。計27回、爆発から20~78分後のキノコ雲を貫通飛行した。最高で毎分800ラドという、とてつもない放射能が観測されている。出撃直後の尿をロスアラモス (研究所) に送って分析した。

 核医学や原子力発電などの新分野を育てるには、核兵器に向けた国民の恐怖心をなくさなければと考えた。それには、「原子は友だち」とか、核エネルギーは体に何もしないとか、攻めの宣伝が欠かせなかった。

 宣伝活動はすさまじかった。DOEが公開した大気中核実験計画の紹介フィルムで、軍の担当者は、核実験がどれほど安全か、自由世界を守るために必要か、原子力開発がいかに輝かしい未来を拓くかを力説しまくっている。「むくむくと湧くこの美しいキノコ雲は、かけがえのない友だちです」と、あるナレーターが言っていた。 (引用終り)

 ところが、原子爆弾を「実用的な爆弾」として認知してもらうために、米軍は極力、放射能の影響を少なく評価しようとした。そのためにやったことはTNT火薬何トン分という爆発力をできるだけ強調すること、ついで原爆の熱線や光線は物陰に隠れたり、伏せていれば避けられるという宣伝を盛んにした。

 放射能の影響は直ぐ消滅することを強調し原爆投下まもなくでも、爆心地へ入ることができるということを公式見解として盛んに宣伝した。この公式見解は、米軍兵士を核兵器に恐怖感を持たせないための理論的根拠でもあった。

 即死する、急に体調をわるくする、嘔吐・吐血・脱毛などの目に見える「効果」が現れる、数週間のうちに倒れやがて死に至る等々。そういう「即座の効果」がなければ、“当局者たち”から「どうだ、なんでもないだろう」と言われば「ええ、元気です!」と答えることになる。それが、30万人にのぼったという米国の“アトミック・ソルジャー”の若い兵士たちの姿だった。

 また、この後に続く、日本への原爆投下についても、地上に放射能の影響が出ないように、計算しつくされた高度で爆発させたことになっている。日本に送った調査団が、現地調査をする前に、軍のほうは勝手に『熱線や爆風で死ぬ者はすでに全部死に、放射能の影響で苦しんでいる者は誰一人としていない。』と、発表しているのである。そのことは『プルトニウム・ファイル』に次のように書かれている。

 ウォーレンの任務は負傷者の治療ではなかった。原子爆弾が放射能を残したかどうか、もし残したのなら死因が放射能かどうかの調査だ。調査団のひとりドナルド・コリンズが後年、自分たちはグローブスの主席補佐トマス・F・ファレルから、「原子爆弾の放射能が残っていないと証明するよう」言いつかっていた、と打ち明ける。

 たぶん調査団は、被爆地へ出向く必要さえなかった。というのも、一行がまだ日本派遣の指示を待っていたころ、「『スターズ・アンド・ストライプ』にわれわれの調査結果が載ったよ」とコリンズが語ったそうだから。

 爆発の高度は、「地面の放射能汚染により間接的な化学戦争となることがないよう、また通常爆発と同じ被害しか出ないよう」念入りに計算してあります。爆発から1時間もすれば、救援隊が町に入っても大丈夫です・・・・。なにしろ大物二人のお墨つきがあったから『ライフ』誌も安心してこう書いた。「広島と長崎の死者は、大規模とはいえ合法的な爆撃の犠牲者だった」。

 (広島について) われわれは科学上の要因によって、何らかの放射能が存在するかどうか、詳しい測定が行われた。地上、街路、灰その他の資料にも、何も検出されなかった。
 
 (長崎について) 病院船ハヴ(Have)に乗っていたある海軍の軍医は、爆心地全体から土と木と金属の試料を採取し、放射能を調べた。採取された物質には放射能はまったく検出されなかった。予備調査の日以来、われわれの医学的および科学的要員は、放射能に関して長崎につき詳細な検討をした。そしてこの地域内のどこにも測定可能な放射能を見出さなかった。と、報告されている。

 1945年11月28日の上院原子力特別委員会でまず最初に受けた質問は、原子爆弾が日本に放射能を残したかどうかである。上院議員たちも気になっていたのである。グローブスは断固として答えた。
      ありません。きっぱり「ゼロ」でした。 

 この繰り返しの宣伝の効果は大きく、それが今でもアメリカ人の原爆投下への『罪悪感のなさ』につながっているものと思われる。原子爆弾ですら、その後に放射能の影響がないのである。

 原子力は、その発見当初から『兵器と発電』に応用できる未来のエネルギーと考えられてきた。だから、それが有害なモノであることは何としても隠したかったに違いない。これが、今でもなかなか環境や体に影響があることを認めたがらない原因になっている。

 本格的に開始された原子力発電は、コントロールしつつ毎日、1機で広島型原爆を3発燃やし続けるというような驚異的な巨大技術である。

 アメリカでは、1940年代の初め頃から原子炉が使われていた。主に、長崎や広島に落とされた原爆用、また、その後の実験用核爆弾のプルトニウムをつくるのに使われていたのである。ところが、工程の副産物として、大量の熱がつくり出される。

 この熱を水の加熱に使い、出てくる蒸気をタービンを回すのに使えば、発電ができる。原子には無限の力があるのだから、原子力で発電すれば、電気のコストが無限に安くなるのではないか。原発支持者の言葉をかりれば、「メーターを付けなくてもいいほど安くなる」のではないか……というわけで、ここに、新しい産業の誕生となったのであった。

 軍事計画として始まった原子力が、次のステップとして、原子炉によって発電するという段階にむかった。原子力発電である。その曲がり角がちょうどこの、1953年のアイゼンハワー演説だったのである。

「平和のための原子力」が叫ばれていた頃、放射能の恐ろしさは学者の間では知られていたが、一般市民には原子力委員会や軍の権威筋による「健康にはなんの心配もありません」という根拠のない安請け合いや、意識した嘘が容易に信用されていた。有力マスコミは原子力委員会や政府の意向をうけて、良心的な学者や勇気ある民間人の発言を封じ、歪曲し、中傷した。

 ソ連の「原子力の平和利用」については、核爆発で土木工事ができると考えた連中や、「放射能の影響など意に介さず」、「核物理学者らは、自分の思い付きを次々と実験していった。

 結局、どれ一つ成功しないまま残ったのは健康障害と何百年にもわたる放射能汚染だけが残った。(地質学者ゴルボフの言葉)

 アメリカも五十歩百歩であることは認識しておく必要がある。アメリカは原爆で土木工事はしなかったが、ウラン鉱山・核実験場・核兵器工場・原子力発電の周囲での放射能汚染はヒドイものであり、太平洋で核実験をくりかえし、しかも、原子力委員会は「心配するほどの健康への影響はない」と言いつづけた。

 原爆・水爆の多数回の実験は、20世紀後半を通じて行われた。それはそれで、地球全体の放射能汚染をもたらした。しかし、原子力発電は、それとは比べものにならないほどの放射能の巨大蓄積をつくりだし、「平和のための原子力」は地球規模の日常的な放射能汚染をもたらした。そして、人類はガンの容赦のない漸増を、運命のように知ることになった。

 原子力発電は、今回のような事故がなければ「安全」なのか。平常運転が行われている状態でも、放射性物質はたえず環境に放出されている。そして、廃棄物がたまっていく。

 平常運転でも放出が避けることができない放射性物質には、クリプトンやキセノンなどという希ガス類と、トリチウム(3重水素)が水の中に入っていることなどが、原理的にある。前者(希ガス)は排気として、後者(トリチウム)は排水として環境に出される。

 原発ではきわめて多数のモーターやポンプを使用している。ポンプの回転軸からの液体漏洩は避けられないが、それによる恒常的な放射性物質の環境への放出は、原発全体としては無視できないものになる。

 推進派は、「ごく少量であり、しかも充分安全であることが分かっている程度まで稀釈してある」という。この場合、常に比較される基準が2つある。ひとつは「自然放射能」であり、もうひとつは「医療用X線」である。

 医療用X線との比較をもちだすことによって大衆の不安をなだめようという発案は、1953年にアメリカの原子力委員会に出されている。1953年6月10日のアメリカ原子力委員会の議事録に、ヘンリー・スミス委員が、核爆弾がもたらす放射線を「通常の医療用X線から生じる放射線」になぞらえることによって社会的不安もなだめられるのではないか、という意見を出しているという。

 今度も、各地の汚染のレベルが、X線の何倍の量などと、何回も聞かされている。こんなに昔からの「常套手段」であったのだ。今回の福島原発についても、国連に出される報告書などには、何ら被害はなかったと書かれているに違いない。

1968年に日米両政府が国連に提出した「原爆被害報告」である。
   被ばく者は死ぬべき者は全て死に、現在では病人は一人もいない。

 今でも、毎年多くの人が「犠牲者」として、新たに書き加えられているのに……




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