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福島第一原発爆発事故の基礎知識 Ⅶ-2  スリーマイル島の事故すら真実を知らされていない。(その2)

 本稿は「kibounonouto」さんの記事を引用して、原子爆弾から内部被曝にいたるまでの「広範囲」な内容から、一部を抜粋引用してお知らせするつもりであったが、その中にリンクしてあった「中尾ハジメ『スリーマイル島』」 (これも長い) も、とても素晴らしいものであり、お伝えしたいと思う。自由の国アメリカで、あの力強いマスコミがある国で起きた事件、自由に物言える学者たちが揃っている国 (社会主義国ではない) で起きた事件である。我々は、この事件に関して『概要くらいは知っている』と思い込んでいる事件なのである。
記事が大変長く(A4-80枚)、「リュウマの独り言」の独断と偏見による編集部分もあることはご了解ください。               (緑文字筆者注) (以下抜粋引用)
 スリーマイル島の事故を知ったのは1979年3月29日の朝だった。放射性蒸気漏れる米の原発 冷却水ポンプが壊れ という見出しの短い記事が朝日新聞朝刊の第一面にあった。記事は小さかったが第一面にあることで異例であり,最大級の深刻さを意味していた。

 その日の夕刊で,ということは現地は28日の夜中という時刻なのだが,各紙とも最大級の扱いをはじめた。朝日は「炉心破損の疑い 五百人汚染の恐れ 安全装置作動せず 十キロ先でも放射能」,毎日は「史上最悪の原発事故に 冷却水漏れで拡大 従業員が放射能汚染か」,読売は「核燃料とけ出す」という大きな見出しをのせた。
         (以下は中尾氏の1回目のレポートの形になっている。)
 8月のよく晴れたある日,私たちはランカスターから車で,この大きな中洲がふたつならぶサスケハナの西岸ゴールズボロを訪れた。私たちとスリーマイル島のあいだには,もうひとつの島,シェリー島が横たわり,私たちはシェリー島の岸辺にはえる木木のうえに四つの冷却塔がたちならぶ発電所をみていた。私たちとは,数人の日本人,それに三人の地元の人たちだ。

「むだだよ。いったって,なにもわかりはしない。原発をみたところでなにがわかる? 建物がみえるだけだよ」  そう,そのとおりなのだ。どこの原発にいっても,敦賀にいっても,美浜,高浜,大飯,どこへいっても,白々としたコンクリートの建築物をみるだけで,ひきあげるしかないのだ。目にみえない放射能をふきとるべく,床にはいつくばりゴシゴシやっている労働者を壁のむこうに思い描くのは,容易なことではない。

 友人は多くのふつうの人がそうであるように賢明である。はじめから限界をこころえている。しかしわが友人は,こうもいった。情報ならば日本にいたって手にはいる,と。私たちの近代的世界はわかりやすく,疑いをさしはさむ必要は一見ない。

 ゴールズボロの岸辺に住むウィトック氏によれば,事故の朝にはジェット機が地上すれすれに,自分に向かって飛んでくるような轟音がしたというのだ。これも日本での報道では伝えられなかったことだ。轟音がした? なんの音だろう。わかるはずはない,私は素人だ。しかし,なんの音だろう? それほどの音ならば,それもこれほどの大事故のときの音ならば,重要なことだったにちがいない。

 10月にもう一度訪れたときに聞いた話では,この轟音は,こんどの事故のまえにも少なくとも六回おこったそうだ。そのたびに,近くの民家の窓をふるわせ,深夜のときには住民はべッドからとびだしたりしている。なぜ,これほど単純素朴,直接的かつ確かな,人間の五感による驚愕の経験が,報道にとって価値がないのか?

 もちをん日本の新聞にかかれてはいない。ニューヨーク・タイムズにも,ワシントン・ポストにも。専門家は言うにちがいない,音がでるのはあたりまえですよ,驚くことはない,重要なのは放射能が何キュリーか,何マイクロ・キュリーか,被曝量が何レントゲンか,何ラドか,何レムか,何ミリレムかであると。

 ことの真相はといえば,28日,事故の第一日の夜もあけぬうちに住民は避難するべきだったのだ。そう,理論的に。高級官僚たちが,現場にかけつけた技術スタッフからの,あまりにも恐ろしげな報告と勧告に,完全に判断力を失ない時をすごすうちに,まったく幸運にも炉の状況はましになり,最大惨事にこそいたらなかったという次第なのだ。

 それにである。州知事が妊婦と学齢まえの子どもたちの退避を勧告した30日金曜日の昼までに,すでに,政府と産業界の設置した政治的許容値さえはるかに上回る放射能は流れだし,人命と健康にとり返しのつかない害をあたえたのはまぎれもないことなのである。 (どこかの国と同じで)

 そして実際的には,あの事故のまえにも繰りかえしあったという轟音をきくたびに住民は退避をしたとしても,まったく滑稽とはいえなかったのだ。

 そして,私たちの目であり耳であり,それ以上に知識であるはずの,命をかけた数百人の取材陣はガイガー・カウンターを手に,畑に,森に,町に,風下へ,風下へとはしるべきだったのだ。もちろんこれは悪い冗談だ。酷というべきだ。 (私は酷だとは思わないが……)

 しかし,原子力規制委員会NRC最高幹部たちが,自分たちは盲同然であると泣きごとをいっているとき,社会の各階層のそれぞれの役割はなんだったろうか。

 島から5キロ半ほどはなれた西岸の,フィッシャーさんの農場に住んでいる。スリーマイルアイランド一号炉が営業運転をはじめて2年ごろから周辺の農場に目だってふえた動物の出産異常,発育不全,その他その他の,おかしな病の徴候にきがつき,役所に,専門家に,耳をかすよう訴えてきたが,今日の今日までだれも動かなかった,こんな事故がおこったいまでさえ,だれもだ,という。

 77年以来,彼女が付近の農場からきき集め,農場主たちのサインをとった動物の異常の記録に次のようなものがある。案内されたチャールズ・コーンリーの農場──そこは事故のずっとまえに白い粉末状のものがふり,畑はうっすらと白くなり,水のみおけの底にたまった物質をかいだそうとすると水は牛乳のようにまっ白になったという──そこで,私たちは夏だというのに葉をおとしているリンゴの木をみせられた。

1978年9月,肉牛一頭死亡──立ちあがれなかった。
   12月,肉牛一頭死亡──立ちあがれなかった。
      身体をひきずるようにして動きまわる一頭がいる。

 獣医はビタミンとミネラルの注射をうち,が獣医のあとをひきうけ毎週注射をうってやった。全部1978年の春に買いいれた牛だ。

      下痢,虚弱。背をまるめてあるくものも多い。

 次のようなものもある。

  昨年の夏には二腹の子猫10匹が全部死んだ。

  1978年──今年のブタの成長は以前にくらべて遅い。

  1979年──子猫──三腹──一匹は首をまわすことができない
     ──全部死亡。

「その白い粉っていうのはなんですか,中尾さん」私にきかれてもこまる。「え,だれも調べてないんですか?」そう,だれも調べてないんですよ。

 なんて遅れているんだ,原子力発電所が国中で動いているこの社会で,牧場に降った物質がなにかさえわからないとは,大学は存在しないのか。専門家は,知識人はいないのか。ワシントンにあつまったという反原発の数万人はなんなのか? 

 それを日本できいてアメリカの「状況」をうらやましがったりするのは,どういうことなのか? 心の優しい数万人がどんな集会をしたか?

 西海岸について以来,ここにくるまで,会う人ごとに聞いてきたことがある。事故後の環境についての調査はあるのか? 人間の健康調査は? 周辺の生物濃縮については? 答えは無にひとしかった。ここへきてついにダメをおされたのだ。

 私がジェーン・リーの報告についてふれるたびに,私がうけた反応をかいておこう。たいていの場合,それだけではわからない,価値がない、と言うのである。怠慢をきめこんだ役人の逃げ口上ではない,スリーマイル島原発の事故が子どもたちの将来になにを引き起こすのかを恐れる人たち,集会に集まる運動の人たちの口からさえ,この反応をきくのだ。

 あれほど是非を議論された原子力発電の,あれほどさわがれた大事故だったにもかかわらず,周辺住民である彼らの体験をとりあげようとする気配はほとんどない。

 これが現実かと,彼らは一瞬信じられなかったにちがいない、と私は思う。これを書いているのは1月で,もうすぐ事故からまる一年もたとうとしているけれども,問題は手のつけられないままにちがいない。

 事故の規模について,どれくらいの量の放射能を放出したかという推定計算のたぐいは大同小異いろいろある。NRCはキセノンが1,300万キュリー,ヨウ素131が14キュリーという。

 同様に推定計算のはじきだした健康被害はといえば,80キロ圏内の人口216万4千人に0.15人から2.4人の致死ガン,同数の非致死ガン,遺伝的影響が0.05人から4.8人というのがある。どんなにややこしい計算が存在したとしても,計算は計算であり,現実ではない。 (216万人の2.4人、死んだ当人以外には問題なしだ。)

 しかし計算が彼らの職業であり,不確かさの泥沼にいちいちはいりこんではいられないというわけだ。いずれにしても当局者たちが発表し,報道がうのみにし,情報の洪水として私たちの脳ミソに注ぎこまれるのは,この手の数字である。

 金属性の味の話は,この農場の人たちだけの体験ではない。3月28日水曜日の朝,発電所の真西にあたる対岸のゴールズボロの人たちはこの味を感じた。エノラ・ゲイ号の乗組員が味を感じたのは,爆発のせん光と同時だったらしい。 (福島はどうだったのだろう?)

 スリーマイル島事故の場合,味はなんど口をゆすいでも消えなかったという。金属性の味だけではない。同時にここの人たちは,のどに異常を感じ,陽焼けににた症状を体験した。あるものは眼が充血して下まぶたは張りを失なって眼球からはなれるほどだった。

 手もとに数枚の写真がある。どれも死んで横たわる動物が写っている。そのうち三枚には79年3月30日の日付けと「死産」あるいは「呼吸困難,うち殺さざるをえず」という裏書きがある。もう二枚はそれぞれ,「79年5月,死産」,「79年6月19日,五ケ月胎児」とかかれた牛の子どもの写真だ。

 事故後の夏にジェーン・リーから手わたされたこの数枚の写真を私は有効に役だてただろうか。なん人かの獣医さんにみてもらったが,彼らにはみなれた死産,早産の動物であり,子牛の死体にすぎないという。

 三種類の動物の死がいっペんに,このひとつの農場におこったのは,鋼青色の空気と金属性の味を体験しているときだった。

 ジェーン・リーのくれたあとの二枚の写真は,5月に死産ででてきた扁平な頭の,皮膚もところどころ薄く筋肉のすけてみえるような子牛と,6月に早産(五ケ月)ででてきた背骨のぐにゃぐにゃにみえる子牛を写したものだ。

 「扁平な頭」というのは私の言葉だ。適切ないい方ではないかもしれない,しかし目からうえの割合がどうも小さいように思えてならない。農場の人たちは,頭部が奇形だといういい方だった。40頭ほどのホルスタインを飼い,30頭から乳をしぼっているフィッシャー農場で死産の経験がないわけではないが,こんな頭のかたちをしたのははじめてだという。

 6月の早産の子牛の背骨がたやすくねじれているのは,こんどの事故がおこるまえから──発電所の運転以来──この西岸地域に頻発するようになったという,あのもろい骨の話に関係があるのだろうか。

 エリアス・コーンリーのところで子牛が納屋からでるところですべって,後脚を折ったのは77年の10月だった。屠殺してみると尻にそって骨はぐしゃぐしゃで,肉をとることもできない。

 つぎの年にベーショア・ファームから買いいれた七,八ケ月の二頭は目がみえなくなり,よろめいて歩くようになり,一頭はただ歩いているときに脚をおってしまう。屠場で骨盤にひびがはいっているのがわかった。獣医のウェーバーさんは残った子牛をニュー・ボルトンにある大学の獣医学部におくり,何人もの学生と二人の獣医がニュー・ボルトンからきて飼料と血液のサンプルをとっていったが,その後は音沙汰なしだ。

 牛だけではない。カウフマンのところには猫もいたが,4匹みんなたちあがれなくなり死んでしまった。子猫もつぎからつぎへと死んだ。まえの夏には,スナイダー夫妻のところでも生まれてきたふた腹ぜんぶ死んでいる。

 チャールズ・コーンリーのところでも子猫10匹が死んでいる。ミドルタウンのメアリー・アン・フィッシャーの猫の子は何匹だったか,生後三週間の一腹ぜんぶいっぺんに死んでしまった。この年(79年)になってからは四匹の雌猫が流産をし,あとの一匹は臨月でうんだけれども子猫はみんな死んでいた。

 メアリー・アンのところのガチョウは100個ほど卵をうんだが,かえったのは一羽で,それもすぐ死んでしまった。この春は,一羽もかえらず,親どりたちは卵をだくのをやめてしまった。エマ・ホワイトヒルのところでは290個の卵がどれひとつかえらなかった。

 かえらない卵,猫の死,それにこの牛の死は,ひとつの原因からおこっているのではないだろうか。ジョセフ・コーンリーの奥さんが二度つづけて死産をしたのも,ヨストの奥さんの死産も,ジョアンの死産もみんな発電所がうごきはじめてからだ。どの赤んぼうも未熟児だった。

 ヴァンス・フィッシャーは数年まえからの家畜の異常について証言している。

 私がいった問題というのは,後脚の麻痺なんです。この四年間に私のところでは五頭がそれで死んでしまった。私のとこは数年まえは85頭飼っていたこともあるけど,4年まえまでこんなのは見たこともなかったんですよ。

 近所の人たちもやはり見たことがない。この問題をかかえているのは五つの農場で,全部,自分のところでとれる穀物を食べさせている。塩と,たいていは処方どおりの少量のミネラルと,自生えの穀物と,自生えの牧草をやっている。

 この土地の飼料だけで飼われている動物が,たぶん私ら人間にもこれから起こることのまえぶれじゃないかと思うんです。この地域社会の人たちは,どこかの人たちには原始的に思えるかもしれないけど,菜園をつくってるのがいる。夏には菜園の野菜をたくさんたべるし,冬のためには保存しておく。家畜の異常の原因がなんだかわかりませんが,長いあいだには人間にも同じことが起こると私は確信している。

 (役所に電話すると) さて大気管理は,おたくらは空気の問題なんかまったくないです,水の問題だというんですね。電話を水質管理につないでくれて,こんどは連中は水に関係する問題はまったくありませんと断言するわけです。

 私は放射線の問題ではないといい張ったんですが,電話を放射線管理のほうにまわしてしまう。放射線管理は,あんたは誰かときくんですね。私はヨーク郡で農場をやってるもんだというと,個人とは話さないことになってますという。

 私らはここで200年以上も百姓してるんだから,ミネラルが少ないのは知っている。しかし六農場あって,みんなそれぞれちがう方法でやっている。石灰のいれ方もちがうし,ちがう肥料を使ってきたし,まったくちがう段どりでやってきた。にもかかわらず,4年まえにこの病気がみんなの農場でいっせいにはじまり,とりついてしまった。スリーマイル島が閉鎖されても,この病気はわれわれの農場からはなくならないだろう(聴衆拍手)。

 この牛の問題についてですがね,しゃべらないほうがいいと私にいう農家もいました。誰かが、にぎりつぶそうとしているんじゃないですか。乳牛の売りさばきをやっている業界の人間を二,三知っていますが,連中はこの地域に牛の問題があるなんていう話をひろめてほしくないんですね

 連中は徹底的にもみけそうとしてますよ。近所のあるものは,農場を売る考えがあるんなら黙ってたほうがいいと私にいう。不動産はいまよりもっと悪くなるという話ですね。

 だけど私は,私たちの問題だという感じなんです。正面からみんなでとりくめば,解決できる。自分の問題をだれか別のものにおしつけて逃げたくはない(ヴァンスの証言終わる)。

 この東岸地域には病気はおこらなかったのだろうか。いや,おこったとしても西岸以上に利害の網にからめとられていることを想像しなければならない。牧歌的風景のなかの農家の背後には,近代的流通の大組織がある。大小いくつかの乳業会社がこの酪農地帯に競合してることはいうまでもない。

 くわえてここは世界最大のチョコレート産業ハーシー・フーズのなわばりではないか。どこの消費者が家畜に異常の多発している地帯からのうわさを,製品を,よろこぶだろうか。 (規制解除される福島産の野菜が思い出される)

 冷却塔からの塩素の白黒をつけられるような調査は,結局だれもしなかった。塩素ではないかもしれないが,消去法でいけばあの冷却塔が疑われて当然だとヴァンス・フィッシャーはいう。博士号をもった連中がうじゃうじゃいるのに,くその役にもたたないではないか。

ニューヨーク・タイムズの1980年11月23日の日曜版にはこんな記事がでている。

「スリーマイル島周辺の奇形の動物や枯れてしまった植物の,おそろしい話をおぼえていますか? 異常な動物の死,死産,骨折,目玉のない動物──それに光を発する魚までも──こういった話をひろげているのは,反原子力の連中だけではない。

 報告は農家,主婦,それに地域で長年しごとをしているある獣医さんからやってきた。これが証拠だとあるものはいう。原子力発電所からの放射線,それも通常の放出さえもが,生物への破壊的な害をもたらしうるのだと。

 さて,植物と動物についての徹底した調査の結果がでたところである。調査は原子力規制委員会によっておこなわれ,生物被害には高度に識別力のあるふたつの官庁がこれを支援した。つまり農家と家畜類を監督する。ヘンシルバニア州農業省と,公衆の安全をまもる連邦環境保護庁である。

 調査結果は明快である。植物や動物のどの障害もスリーマイル島の事故,あるいは通常運転に原因があるとすることはできない。実際,動物におこった障害の多くは,苦情をいう農家の不注意に帰することができた。

 というわけで,恐ろしげな話は雲散霧消してしまう。これはめずらしいことではない。ひどく劇的で恐ろしい出来事があれば,関係のない問題もそのせいにすることはよくある。賢い市民はヒステリーがしずまり冷静な調査官が事実をあつめるまで,判断をさしひかえるものだ。スリーマイル島事故は,原子力発電所の欠陥について多くを教えたが,ペンシルバニアの森や農場に被害を与えはしなかった(福島原発の結論もおおよそ見えましたね。)

 住民のうったえる家畜の異常が口から口へとつたわりながら,恐ろしい放射能の神話に簡単にむすびつきひろがったのは当然のことだったろう。その神話のひろがりをつぶすことがねらいの世論操作のプロは,論理の緻密さよりもロあたりのよさが武器というわけだ。つまり放射能の神話には科学の神話を対抗させようというのだ。

 州政府によれば,100の農家をインタビューしたという。100のうちわずか五つの農家が家畜に異常な問題がおこっていると信じているだけであり,それらの問題はつきとめられ,通常みかけられるものと変わらないことがわかった,と農業省長官ペンローズ・ハロウェルはいう。

 この結論が,TMI事故の環境被害をこれ以上調査する必要がないという主な根拠として,この一年間くりかえし引き合いに出されてきたのだ。

「われわれの酪農家の調査にもとづいて,これ以上の調査の必要はほんとうにないと考えた」とデイビッド・S・イングラムはいう。彼は調査当時の州畜産局々長である。農業省の部局として畜産局が調査を組織している。

 はじめから官僚たちは,調査などは必要なしと心得ているのではないだろうか。こんなにわずかな線量では動物にも植物にも異常なんかおきるはずがない,という科学的常識があるからだ。

 政府のなかでも,そとでも,放射線のことを知っている科学者ならば,だれもそんな調査は必要ないといっている。だとすれば住民の心配をはらすという,ただそれだけのためになん百万,なん千万円の予算を組むわけにもいかない,他の業務を犠牲にするわけにもいかない,というのがおそらく本音かもしれない。

 西岸地域の人たちは,夏だというのに木が葉を落としているのは事故のせいではないかと思っている。いや,ひょっとしたら発電所が運転をはじめて以来,徐々に被害をうけてきたのかもしれないとも思っている。

 しかし,だれに伝えたところで,返事がかえってきたためしがない。葉が落ちた? 枝が枯れた? それほど放射線をあびているわけがない。それが放射能のせいだというのなら,もう人間がばたばた死んでいるはずですよ

 なん百レムもの致死量をこえる放射線をあびせなければ葉が落ちたり枝が枯れたりなどということはおこらないという科学的常識をもってすれば,このあたりの風景が住民の日には普通でないとしても,いうべきことはほとんどない。

 一年後の夏も,こりもせずにまた現地にいった。
 彼女の家はスリーマイル島発電所から約13キロ北,ハメルズタウン,サマーセット通りにある。

「三人女の子がいて,彼女たちにいってきかせたの。心配しなくていい。二度と家にもどれないときは,ほんとにもどらないんだから。私たちはみんないっしょにいるじゃない。神様に感謝しなくてはね。火事で家を失なった人たちはたいてい同じ場所にまた建てるでしょう。

 洪水で家が沈んでも,水がひけば,またもどれる。だけど原子力事故が起きれば,自分の家のそばまでいくことだってできなくなる。そう考えると,避難が終わってからひどく深刻になって,こわくて,なん日もスーツケースに荷物をまとめたまますごした。」

 彼女はそれまでまったく原子力発電のことなど考えてもみなかったし,こわいとも思わなかった。事故が起きたというニュースをきいても,いつもどおりの暮らしをしていたのだ。金属の味を経験したのはそんなときだった。

 きっと,金属の味も,眼の炎症も,吐き気もなにもかも,ただただ粗雑にいっしょくたに「心理的」原因から体験されたことにする野蛮きわまりないプロパガンダが,知ったかぶりの人たちのあいだで増殖されていたにちがいない。

 人民のうわさを管理する専門家官僚の仕事は,わずか数滴の,「心理的」とか「非科学的」とかいう単語を,言葉の水道のなかにたらしこむという簡単なことだったのではないだろうか。

 事故から数週間もあとになって発表された推定計算からわかることは,事故一日目と二日目に,だれも予期しなかったほど大量の放射能が放出されていたらしいということだ。3月28日の晩からほぼまる一日,だれも気づかないうちに毎秒数十キュリーの放出率だったという。

 しかしスリーマイル島周辺でモニタリングをはじめていた電力会社,州政府,連邦政府機関のどの測定班からも,ワシントンの原子力規制委員会NRCを動揺させるほど深刻な放射線水準は報告されなかったといわれている。NRCは環境への放出がたいしたことはなさそうなので安心していたというのだ

 そうだとすれば,モニタリングがまったくあてにならないか,あるいは実際には深刻きわまりない測定値があってもNRCにまでは伝わらなかった,という問題になる。

 私は報道のことを考えてしまう。

 私たちの報道こそ,私たちの思考に阻止的にはたらいている力だ,と考えることは,はやとちり,飛躍といわれるかもしれない。が,報道こそ「くせものだということ」を,「諸刃の剣だということ」を忘れずに強調しておきたい。

 簡単なことだ,くどくどいうまでもない。私が現地につくまで聞いたことと聞かなかったこと,そして現地で聞いたことと聞かなかったこと,そこにはあまりにも歴然とした差がある。

 ことこの出来事についていえば,私たちが報道によって世界を測っているかぎり,私たちは世界に適合していないということがわかる。ようするに私たちはうかつだったのだ,という答えも無邪気にすぎるだろう。

 だれもが異口同音にいった。だれかが調査しているでしよう。きみがやらなくたって,だれか専門家が調べているでしょう。そして事情通,すなわち運動家はのたまう,少なくとも七つの調査が進行中だと。きけば議会,環境保護庁,厚生教育省,大統領委員会,それにNRCの調査などだというのである。

 方法論をもっているかにみえる専門家たちは相当な程度にまで,いかなるかたちにせよ,本来彼らが必要とされている地上にではなく,金の流れによって中空へと層をなして買いとられている,と私は断言してもいい。

 木が枯れているって? 葉が落ちて若葉がでているだって? 植物にそんなことがおこるほどの線量は考えられませんよ。(放射線とはいっていませんよ。)そんなだったら動物はもうたいへんなことになっています。

 えっ,腰のたたない猫が多発したって? 首のまわらない猫? 鳥が落ちてたくさん死んだ? 人間は死んでないじゃないですか。それにそんなにひどいことなら,いくらなんだって報道されるでしょう。

 スリーマイル島事故は人間にも環境にもなんの害もあたえなかったとさえ,すでにいわれはじめている。マスコミがつくりあげた大事故だというのだ。

 除染作業員の被曝量は刻一刻増加する。炉心部の除染についてのNRCの──もちろんきわめてひかえ目な──見積りは,作業員が12,000人レムの被曝をし,その結果ガンで死ぬものが一・六人,遺伝障害をもって生まれてくる子どもが三人というようなものである。

 格納容器内にたまった高濃度の放射能汚染水を処理する計画がたてられているが,住民たちは川への投棄をくいとめようと必死である。不完全にしか処理されない汚染水が,飲料水でもあるサスケハナ川に放出されれば,確率的であろうと,なんであろうと環境と人間にはかりしれない犠牲がもたらされることを恐れているのだ。

 事故は進行中というべきであり,ここに私のかいたことは,かいまみることのできた事態のほんの一端にすぎない。             (引用終り)

 読んでいて、「福島原発」の話ではないのか、と思える場合もある。中尾氏の「著作」が、上手く要約できたとは思えないが、その一部でも、伝えられたら幸いである。

 これから、幸運にも「福島原発」が沈静化、収束して後、我々が考えねばならない問題を提起している。当地の人が、ここに挙げられたように、「問題や事例」を言うことは、決して易しいことではない。

 精神的におかしいとか、科学的常識から外れているとか、非難されそうである。地域の経済にとって、当然マイナスになるのであるから、農業、畜産、それに不動産関係からも圧力があるらしい。証言すること自体がためらわれる雰囲気が、アメリカですら生まれている。

 さらに、公的機関が、それに輪をかけて「安全宣言」をしまくる。そういう中で、1人の人間がやれることは微々たることかもしれない。

 自ら考えて行動する、言葉では簡単だが……
 中尾氏の努力に感謝である。今後の活躍をお祈りする。
 全文は下記ホームページにて、ご覧になれます。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/nakao/archives/tmi/three_mile_island.html#c01



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