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『内部被曝の脅威』 「研究がない」のは「影響がない」ことと同じではない  

 皆さんは1ヶ月前からご存知の肥田舜太郎医師が、ようやくテレビでも取り上げられだした。ウィークリーアップに肥田舜太郎氏のインタビューが短時間ではあったが放送された。反核を訴えている「筋金入りの老医師」の出演とは、余程テレビ局への「放射能」問題の信頼性がないのだろう。

 内部被曝の話題であったが、京大教授の型どおりの説明と(と言っても、今までのような常識はずれではなかっただけ、ましかも?)、各種食材の調理法などであったが…… ホウレンソウは根元を良く洗ってとか、産地のハッキリした市場流通しているものを買ってなど---ここで、政府の発表している数値は「よく洗ったあとのものである」ことを『暴露』してくれると、辛坊氏を尊敬するのにナァ---

 その内部被曝であるが、守田敏也氏が ブログ 明日に向けて の中で肥田舜太郎氏の著書を引用、紹介している。           (以下引用)

 肥田先生は著書『内部被曝の脅威』の中で、次のように問題を整理されています。「人体の細胞修復機能」というタイトルがついた一文です。

「ここで二つの問題提起ができる。一つ目は、体外被爆であればそれはガンマ線であり、強い貫通力で身体を突き抜ける一回だけの被ばくと考えられる。

 それであれば傷ついたDNAが修復する可能性は十分にある。しかし体内に取り込まれた放射性物質から放射線が放射される場合はどうなのだろうか。

 二つ目は、人間の細胞が場所によって分裂の速度が違うことである。生殖腺や造血組織(骨髄)、それに胎児は細胞分裂の速度が速い。これら、細胞が若返りを必要とする器官では非常に早いサイクルで細胞分裂を繰り返す。

 すると、被ばくした細胞の微小な傷の修復が追いつかないまま、細胞が複製され、細胞分裂のたびに自然拡大する可能性がある。これが突然変異の原因となる。これもまた体外被爆と内部被曝では違うのではないか。」(p89)

「ペトカウ(医師)は牛の脳から抽出した燐脂肪でつくった細胞膜モデルに放射線を照射して、どのくらいの線量で膜を破壊できるかの実験をしていた。

 エックス線の大装置から15.6シーベルト/分【許容線量は1ミリシーベルト/年】の放射線を58時間、全量35シーベルトを照射してようやく細胞膜を破壊することができた。

 ところが実験を繰り返すうち、誤って試験材料を少量の放射性ナトリウム22が混じった水の中に落としてしまった。燐脂肪の膜は0.007シーベルトを12分間被ばくして破壊されてしまった。彼は何度も同じ実験を繰り返してその都度、同じ結果を得た。

 そして、放射時間を長く延ばせば延ばすほど、細胞膜破壊に必要な放射線量が少なくて済むことを確かめた。こうして、「長時間、低線量放射線を照射する方が、高線量放射線を瞬間放射するよりたやすく細胞膜を破壊する」ことが、確かな根拠を持って証明されたのである。これが「ペトカウ効果」と呼ばれる学説である。」(p90,91)

 これは放射線に対する従来の見解、今も、アメリカ政府や日本政府によって、強固に支持されている見解を覆す内容を持っています。

 なぜなら、従来の見解は、放射線は絶対量を浴びれば浴びるほど危険であり、反対に言えば、低線量であれば被曝は危険ではないというものだからです。

 このもとで、100ミリシーベルトまでは安全だとか、子どもの許容量を、年間20ミリシーベルトまでにするなどという暴論が飛び出してきています。

 しかしペトカウが発見したのは、一瞬のうちに高線量の放射線が通過する被曝よりも、むしろ低線量を長時間(といっても12分間)浴びる被曝の方が細胞に大きなダメージをもたらすということでした。その意味で、体内から長い間被曝をうける内部被曝の方がより深刻なダメージがもたらされることが証明されたのです。

 「ピッツバーグ大学医学部放射線科のスターングラス教授は、ペトカウ説を基礎として研究をさらに深め、次のような結論に辿りついたという。

1 放射線の線量が非常に低い低線量域では生物への影響はかえって大きくなる。 (注:環境ホルモンなどと同じように「逆U字効果」があるのではないか、とも考えられる。)

2 低線量放射線の健康への危険度はICRPが主張する値より大きく、乳児死亡の倍になる線量は四・五ミリシーベルトである。

3 アメリカや中国の核爆発実験の放射性降下物によって乳幼児の死亡率が増加した。

4 放射性下降物に胎児期被ばくした子供に知能低下が生じた。

5 スリーマイル島原発事故によって放出された放射能によって胎児死亡率が増加した。」(p97,98)

 このスターングラス教授の見解に対して、アメリカ政府とその周りの科学者はこれまで大量の批判を行ってきているそうです。

 しかし肥田先生が強調するのは6000人の被ばく者を臨床治療し、多数の「原爆ぶらぶら病」と向き合ってきた経験から、ペトカウ理論に基づいたスターングラス教授の見解は、もっとも臨床的知見に合致するということです。

 それ以外の放射線に関する公式見解では、そもそも「原爆ぶらぶら病」など、ないことになってしまう。低線量被曝と内部被曝の危険性を捉えない限り、この症状は説明がつかないのです。

 体外被曝の場合、身体に大きな影響を与えるのはまっすぐ飛び強い貫通力をもつガンマ線で、ベータ線の場合は飛ぶのは1センチ、貫通力もそう大きくないし、アルファ線については、0.1ミリしか飛ばないし、貫通力も紙一枚も通さないくらい弱いものだから、たいしたことはないということになっている。 (注: これも我々素人には、分かりずらいが、アルファ線が0.1ミリしか飛ばないと言うことは、0.1ミリの間に持っているエネルギーを全部放出することを意味するのだそうだ。そう聞くと、なるほど、α線が問題なのだと分かる。)

 だが、その0.1ミリしか飛ばないというアルファ線、飛距離1センチというベータ線も、体内に入ればスケールが違ってくる。ベータ線の飛距離、半径1センチの範囲には直径7~8ミクロンの細胞が少なくとも30個や50個は存在しうる。飛距離が0.1ミリというアルファ線でも、周囲の細胞にじゅうぶん届くだけの影響力をもつ。 (注:アルファ線を出す放射性物質の周りの細胞は、壊滅的な被害を受けることになる。)

 体内に入ると、細胞のすぐそばで放射線が発射されるというだけではなく、放射線分子のもつエネルギー量が桁違いに大きいことが問題になる。こうした内部被曝によって、細胞の遺伝子が傷つけられ、身体の修復力が追いつかない場合は(生殖腺や造血組織である骨髄、また胎児など、細胞分裂が非常に早い場合にはとくに)、切れたり傷がついた遺伝子が複製されて、突然変異や細胞死をひきおこす。

 肥田さんは、こうしたことを被曝者の治療にあたるなかで、自力でつきとめてきた。広島や長崎で、被爆者をただ調査するばかりで全く治療しなかったというABCCは膨大なデータを集めたが、それらの情報を機密指定としたアメリカ政府は(そして日本政府も)「微量の放射線は心配ない」という主張を続けてきたし、今なお続けているといえる。被爆の実相や被害についての情報操作は完璧なまでに成功しているのだ。

 原爆を語る言葉の難しさ、核兵器が人間に与えた被害を語る言葉の難しさは、その問いに対する解が一つにはまとまらないことでもあると肥田さんはいう。いったいどんな言葉でそれを語れるのか。いまだに被害をあらわす言葉を持ち得ず、言葉を探している段階だと二人が語るのは、目に見える被害と目には見えない被害、とりわけ放射能被害の見えなさゆえだろう。 (引用終り)

 この低線量被曝も、ベトカウ理論も紹介はした。肥田先生の言うように、政府機関が一切認めない「説」であるため、本も少ないし、場合によっては、日本では発売されていないこともある。

 また、公式に認めていないこともあって、データーの少なさや、まとまっていないものも多く、公式データーを使うと、ほとんど影響がないという、「どこかの大学教授たち」と同じ結論になってしまうのである。

 また、確かに「個体差」も大きく、全く影響なしと考えられる人々が「歴然」と存在するのも事実である。そういう中で、肥田氏は活動してきたのであろう。

 内部被曝の脅威─原爆から劣化ウラン弾まで(肥田舜太郎、鎌仲ひとみ共著)について 乱読大魔王の『We』周辺記事 さんは次のように紹介している。

▼「微量な放射線なら大丈夫」という神話への挑戦が、まさに本書の神髄である。(肥田舜太郎、p.89)

 内部被曝とは、体内にとりこんでしまった放射性物質から長時間にわたり放射線を浴びること。このメカニズムについては、十分な研究がない。だが、「研究がない」のは「影響がない」ことと同じではない

▼「プルトニウム被曝による晩発性の影響について、これまで公式な研究は報告されていない。従って、いま言えることはただ、プルトニウムの被曝により人間に病理学的症状が観察されたという報告はいまのところない、という点である。…(後略)」(p.61)

▼「プルトニウムが人の健康に重大な影響を及ぼしたことを示す研究はない」というのは「学問的」には正しく、研究がない以上、プルトニウムにより仮に10億人の死者が出ていても、「学問的」には正しいことになるのであると、ゴフマンは同書で指摘している。(p.61)

▼…ICRPは放射線の影響に関してもっとも権威があるとされている。だが、ICRPの歴史を見ると、最初は影響を過小評価していて、外部からの批判は無視し、次々と新事実が積み重なってくるに及んで、ようやく許容基準を厳しくする、という繰り返しをしてきた。その経緯は『被曝の世紀―放射線の時代に起こったこと』に詳しい。(p.51)

 最初は影響を過小評価していて、外部からの批判は無視し…とは、まるで現在の日本やんと思う。研究がなければ分からないとして、では、その研究はなぜ積極的に取り組まれないのか、どんな研究がぶいぶいと推進されているのか、とも思う。 (引用終り)



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