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文科省『土壌濃度マップ』は何を物語っているか。 福島から中手聖一氏「見えない誰かが福島を支配している」

 2011年8月30日に文科省が発表した『土壌濃度マップ』。それは、福島原子力発電所の放射能漏れ事故により飛散した放射性物質セシウム137とセシウム134が、どれだけ土壌に蓄積しているのかを調査してマップ化したもので、この事故がどれだけ甚大な被害なのかを物語っている。

この『土壌濃度マップ』はマスコミ各社も報じているが、風評被害を防ぐためなのか、あまり詳しく報じていない。と、ロケットニュース24 さんが地図入りで報じている。                  (詳しくは→ロケットニュース24)

文科省が新たに発表した土壌濃度マップ
        文科省が新たに発表した土壌濃度マップ

 なんと見事なことだろう。外から2つ目の「原発から80キロ」の円は米国が自国民に対して「強制避難」させた範囲である。それに沿って汚染されているではないか。この話しを伝えた当時、多くの日本人が「大げさに騒いで……」とか「腰抜けが……」はたまた「分かりもしないのに、要らぬお世話よ」というような調子であった。

 テレビは、「全く無事な福島原発の写真」を後ろに、御用学者と今でこそ呼ばれている高名な専門家連中を連れてきて、健康に影響は無いと繰り返し報道していた。偵察衛星で24時間監視している米国が、さらに事故後「無人偵察機」まで飛ばして徹底調査をした国が、80キロ以遠に「自国民だけ」避難させたわけだ。

 米原子力空母は福島沖100キロの海上で「突然」反転して、どこか行ってしまう、米軍最新鋭の科学防御隊は、福島に一度も上がらずに帰国する、「トモダチ作戦」で日本を支援する部隊は、福島から遠く離れた北海道や青森で活躍している。 「何かオカシイ?」

 それが3月のころの話だった。次に紹介する中手聖一氏らから見ると、随分進んだ分析をしていたと思う。『ドイツ気象台』の紹介もこのころだ。4月にはいると、国内では誰も見たこともないような「福島原発の現状写真」が、外国のブログで紹介され始めた。

 日本人はびっくりした。私も時間があったので、探しまくって「紹介」できたが、最近はスクープがないですネェ。 (密かに反省中)

 なぜこんなことになってしまったのか、中手聖一氏が「第2回 核・原子力のない未来をめざす市民集会」の中で語っている。その講演を ざまあみやがれい さんが書き起こしてくれていますので、それを編集・引用して紹介します。(以下編集して引用。原意を損なわない程度に改変してある。原文は下記参照) 

                          (詳しくは→ざまあみやがれい)

 なによりやっぱり心配だったのはやっぱり原発のことだったんです。地震と共にですね、直ぐにラジオを点けて、情報はとろう。テレビの方も、つながりました。津波で、電源が失われた。電源車が(原発に)向かっていると。その頃はもうそっからくる情報だけが頼りですから。

 翌日には東電の社員が全部引き上げたいということを、実は言っていたなんてことも、あとから分かってくるわけです。ただただ、その時にはどうなってしまうのか。このまま、どこまでの事故になってしまうのかということを心配しながら、その晩を徹夜で明かしました。

 残念なことに翌日になりますと、いよいよ事故は進んでいく。爆発したということになるんですが。それ以降のお話を今日報告させていただこうと思っています。

 今でこそ実は、何時間後にはメルトダウンが起きていたとか、色んなことが、わかってきたわけですけども、(当時は)本当言うと何が起こってるかわからないということでした。見ていただいている映像は、実は3号機の爆発事故ですが、この映像を思い出してください、皆さん。一度もテレビに流れたことないはずです。

 この大量の煙が終わったあと、無残に壊れただけの姿が出たはずです。今私たちのネットワークの仲間たちと話すと、実はインターネットで「BBC」を見た。BBCで1号機の爆発を流しているときに、NHKは昨日の映像(爆発前のきれいな原発の映像)をのんきに流していた。これはいかんと思って、避難することを決めたという仲間もいます。

 事故当初からですね、ずうーっと情報がないんですよ。私は福島市、と言いましても、第一原発があるところからは、北西に約60キロのところに住んでいます。

 原発では毎年防災訓練が行われます。10キロ範囲でやられます。今にして思うと、どっか自分の中にも(ここは安全だという気持ちが)あったのかなあ。危険性学ぶ機会は随分前からあったのにもかかわらず、どこか、いざという時にはやっぱり、10キロ県内の人たちが犠牲になるのかなあと、思わされてきたんですね。

 ですから本当に私のいる福島市だと、殆どの人達は、自分のところに放射能がやってくるということをリアルにイメージできないんです。いわゆる脱原発の市民グループの方とか、そういう1部の人以外は、本当にわからないんですね。そんな中で、直ちに健康に影響がない、という話が出ますと、この言葉に「すがるような思い」で、ほとんどの市民の方は飛びつきました。

 私はそんなはずはないだろうと思っていました。残念にも予想が当たって、15日には (私のいる中通りの) 福島市にまで、大量の放射能がやってきている、ということになりました。それでも、公の放送では「直ちに影響がない、不要不急の外出を控えるだけでいい」ということだったものですから(そちらを信じたのです)。

 みんな今、後悔しているのですね。15,16,17日と福島市では断水でした。1人4リッターしか貰えませんでした。家中総出で、おじいちゃんもおばあちゃんも、そして子供たちも並んだんです。一言、「今日だけは外に出るな」と言ってもらえれば、そんなことはなかったはずなんです。

 そういう不要な被曝が、当初からどんどんどんどん、増やされていくという人災を、私たちは福島で経験しました。原発の事故は怖いです。

 しかし、住んでいて、それ以上に怖いなあと思うのは「人災の部分」です。意図的に被曝が増やされていく。何者かが、この事故を事実よりも小さく見せかけようとする。子供たちを犠牲にして小さく見せかけようとするというのを、肌で感じながら、私は福島にいました。

 それでも殊勝なもんで、あれだけの地震があると今は助けあおうと思うんです。 

 東電は、いずれ責任は追求しなければならないとしても、今だけは一生懸命収束に向かって努力してるんだろう。福島の治世者たちも、それはプルサーマルの問題を1つとってみても、責任はとらせなきゃいけないが、今だけは足をひっぱるようなことを言うのはよそうと、そんな思いになってしまうんです。情けないです。甘いなあと、今になって気がつきます。

 でも、そうではない。これはまずい。立ち向かわなければならないぞ。そう思ったのが3月の19日です。

 長崎大学から、放射線健康管理リスクアドバイザーという名前で福島県に山下俊一という教授がやってきた時です。

 私は、田中さんや、それから広瀬隆さんに、幸い19日の段階で電話で色々ご相談になってきてました。ですから、その山下という人間がどんな人間かすぐにわかりました。チェルノブイリの事故も小さく見せようと、なんにも問題がなかったかのように取り繕うとした人間だということも知っていました。

 3月21日、福島市で、この山下の講演会があったんです。山下は20日から福島県内各地、各市町村が主催するという格好で、山下の講演会を開かされたんです。安全宣伝キャンペーンがいよいよ始まってしまったんです。

 もう嘘デタラメ、とんでもないことを言っています。 

 100ミリシーベルトでも大丈夫ってのは、まだ序の口なんですよ、みなさん。

 空間線量というのはもう最近はわかりますよね。何マイクロシーベルト、こちら東京でも色々と汚染のことが話題になっていますので、わかるかと思います。20マイクロシーベルト、30マイクロシーベルトなんてのは、皆さん気にしなくていいんです。じゃんじゃん子供を遊ばせなさい。100を超えたら心配しなさいと、言ってたんです。

 今、福島県のホームページでそれが見れます。

 放射能の影響はくよくよしてる人にくるんだ。ニコニコしてる人には影響がないんですよって。 

 笑い事じゃなくて本当にそう言って歩いたんですよ。今言ったような話しを、皆さんと同じように福島の市民も聞いてたんです。ふざけた話を笑いながら聞いてたんです。

 私は福島市民にも警告しなければいけないと思って、皆さんも田中さんの見解聞きたいでしょうと言ったらば、「聞きたくない!」って野次が飛ぶんですよ。話し始めると「やめろ!」って言うんです。それでも私が話を続けると、「帰れ!」って言われたんです。

 もうとにかく怖くて怖くてしょうがないんです。例えて言うと、全く心の準備がない人が、突然癌の告知を受けたようなもんなんですよ。私もそこまでは気が回りませんでした。

 私のほうが罵倒されるというのが3月の半ば、山下たちが来たころの状況でした。それにつけ込んで安全宣伝キャンペーンが行われました。

 先ほど言った、20、30マイクロシーベルトなんていう空間線量は気にするな。100になったら初めて心配しないさい。県のホームページ、それを見て下さい、皆さん。映像も見て欲しいんですが。映像を見ると、下に小さい文字で修正文が書かれています。公演中100マイクロシーベルトとあるのは10マイクロシーベルトの誤りでした、訂正しますとあるんですよ。

 彼はその後、(今ではですね) 市民の追及で、まともに市民の前に立って講演会ができなくなりました。一般の人が入れないような、医者たちとかそういう人達だけを対象にしたものしかしゃべれません。

 そういう中でですね、彼は本音をポツリポツリと言い始めました。なんで自分が100マイクロシーベルトなんてこと言ったのか、あるいは年間被曝100ミリまで大丈夫なんてこと言ったのか。彼はもともと年間10ミリでも、二十歳以下の人はがんの発生リスクがあるという論文を1年半も前に書いてるんですからね。

 10ミリ派だったんですから。それが、なぜ100ミリなんてこと言ったのか、というのを、医者たちに解説してですね。本当のことを言うと、真っ先に逃げ出すのは医者だ。医者がいなくなって医療崩壊を防ぐための政治的な判断だった、と言っているんです。幾重にも馬鹿にした話じゃないかと思います。

 その医者たちですが。これもまた、福島がどうなったかということの1つとして聞いていただきます。

 今あの、山下がですね、福島県立医大 (福島県大の医療の中核的な存在。ここ無しではここの協力なしでは県内で病院を営業できないというような) の副学長に収まりました。

 副学長といいますが、私は思うに、学長以上の恐らく権限を持っているはずです。福島県の知事 (色々問題ありますが) は、それでも色々国に要望、要求を出しまして、補償の問題に取り組むなどと、色々やっているわけですが、誰にも相談せず(山下さんが)突然言い始めて、山下さんの「鶴の一声」で、1000億円の事業を作れるんですよ。

 国はその発表があった後に、このお金は基本的に国は払わねばならない、というふうに言い出すんですよ。下手な大臣よりも権限持ってるんですよ、彼は。

 こういう人間を福島に送り込んできた人間ていうのは、いったい誰なのか。形の上では知事が招聘したことになっていますが。そんなはずはない、と、私は思っています。恐ろしいほどの、お金と決定権を持った人間が、福島を動かしてるんです。この「偉大の副学長」になって、福島県内の医者のただの1人も反旗を翻しません。 

 福島県内で広島の被ばく者の支援をやっていた1番頼りにしていた先生 (実は私の主治医でもあったんですが) も、1番最初に寝返ってしまいました。彼は医療生協という、言ってみれば、共産党系の病院で働いていて、もっとも期待していた人なんです。有名な、あの広島の被ばく者の「ぶらぶら病」などをやってこられた肥田先生などとも、一緒に協力して働いてきた先生なんです。

 肥田先生は非常にショックを受けられて、今まだ福島に行く気になれないとおっしゃってますよ。

 ま、それくらいですね、医者は全滅です。全員、口をつぐんでいます。 

 我々に連絡をとってくれるお医者さんが数名いますが、名前だけは勘弁してくれ。自分も家族は逃がしたんだ。だけど自分は医者だから、患者を置いては逃げられないから自分だけは残っている。いつかは協力したいと思うが、とてもじゃないが、今は名前は出せない、といった状況だそうです。

 学校の先生がたも一緒です。自分も子どもがいて、自分の子どもにマスクをさせる。かっぱを着せて防ごうとする。少しでも影響を減らそう、防護をしようと思う。

 学校に一度足を踏み入れると、子供にマスクをしようと言ったら、とたんに翌日、教頭先生から呼び出されて、「県教育委員会からの指導です」といって注意をされる。子供たちを不安を煽るようなことはしないでくれということだそうです。 

 それでも、そうはいかないと続けると、どんどんどんどん、退職せざるを得なく追い込まれていくそうです。その先生は結局、辞めました。

 マスコミはもっとひどいですよ。独自に3月…学校の校庭のサンプリング調査をしました。下水溝の上では108.8という、とてつもない数値が出ました。これをレポートにして、県に持って行きました。そして県を動かして、全部の学校の、県内全部の学校の調査を(県は行わないので) 自分たちで行ないました。黄色い部分と赤い部分。これは管理区域と同じ状態だということです。

 管理区域というのは、つまり原発の中で被曝労働者と言われる人たちが働いているのと同じような状態に、福島県内の学校の4校中3校、76%がなっているということなんです。その中に30万人の子供たちがいるんです。今も、いるんです。

 こういうことをですね、私たちは独自に集計したり調べたりしました。マスコミに記者会見を行ないました。彼らは、奪い合うようにその資料を持って行きました。一斉に取り囲んで私たちの話を効き始めました。メモも取り始めました。ものの5分ですよ。手が止まって、目を上げてぼおーっと私たちを見てるんです。

 最後の最後まで、質問したりしてくれたのは「外国から来た記者の方と通信社の方」だけです。 (日本の新聞には)一切載りません。なんでなんだと。

 地元の記者に別な日に聞いてみました。「いや、なんであなたは書いてくれないんだ」と私は思わず言ってしまいました。

 「いやそうじゃない、書いてるんだ」そうです。記事は書くんだけど、不安を煽る記事は載せられないと言って全部ボツにされるんだそうです。 

 この状態がずうーっと2ヶ月間続いたんです。裸の王様のようでした。

 いったい誰がこんなに、あっという間に福島を支配してしまうんでしょうか。見えない敵、よく放射能のことをそう言います。しかし、 「見えない敵」は放射能だけではありません。やはり、この国というものを根本から変えないと、事故が起きたときに犠牲にされるんですね。

 私たちは必死になって解明をしました。また全国の仲間達もやっていただきました。今は、インターネットという手段があってですね、だんだん実体が解明されました。

 ようやく7月になって文部科学省、こういう汚染マップを出してきました。これは文科省のホームページにあります。実はアメリカのエネルギー省が製作した物に近いものだと思っています。協力してやってますが。

 おおむね青い部分。これはあの大地に降り積もったセシウムの、堆積量でマッピングしているものです。おおよそですが、青い部分が汚染が深刻な部分だと思っていただければいいかと思います。

 80キロ圏内が汚染されています。思い出していただきたいのですが、3月11日にアメリカは、在日の米人80キロ県外に避難勧告を出したんです。その時に日本政府は基準が違う、心配しすぎだとテレビで言ったんです。今見れ見れば見事に80キロ圏内が高汚染地帯ですよ。こういう情報も今頃になって出てくるんですね。

 これはですね、チェルノブイリの事故の汚染マップです。この1番濃い部分がいわゆる強制的義務的な移住区域に指定されました。年間被曝で5ミリシーベルト以上に相当するところだそうです。

 日本は「おいくつ」だか、ご存知でしょうか。20ミリシーベルトです。(ロシアの)4倍です。ソ連のほうがまだましだとおっしゃる方もいます。でも、実は避難区域に指定されたのは、5年後なんです。その5年間に、必要もない被害をたくさん出したんです。 

 先日、あのグリンピースの専門家の方 (ウクライナからいらした専門家) を招いての勉強会がありました。「いつから被害は始まりましたか、健康被害がでましたか」と私がお聞きしたら、わからないとおっしゃっていました。

 いつから始まったかどこから始まったかはわからない。しかし、2年も経ったときには誰の目にもおかしいと、わかったと言います。子供たちの半分以上が病気になっていると。

 クラスでインフルエンザが1割発生したら、学級閉鎖でしょ。半分の子どもが病気になっていたと言うんです。5年もそのまま放置されたので、今、ベラルーシに支援にいっているおじさんからお話を伺いますと、健康な子どもは2割、5人中1人しかいない と言うんです。1人平均2つの病気を持っている。つまり5人で10個の病気を持っていると言うんです。意味がおわかりでしょうか。

 1人は病気のない子。2人目は1つだけ病気を持ってる子。3人目は2つの病気を、4人目は3つの病気を、5人目は4つもの病気を持っている子だと。こういう意味で5人で10個というふうになります。亡くなられたお子さんたちもたくさんいるはずです。

 「そうしてしまってはいけない」という思いで、今は…避難区域の拡大をということを求めています。他にもたくさんお話ししなければならないことあるかと思います。

 しかし時間も限られた中で、最後にこのことだけ。もうちょっと、1分だけお願いして終わりたいと思います。今避難区域になっているのは、20キロ圏内、あと、計画的な避難区域と言われる、まあ飯舘村、わたしの妹のいた村ですが、など一部です。ごく一部です。

 本来は、この青の、内側辺りまでがですね、チェルノブイリで言えば避難の権利といいます。1ミリシーベルト以上の被曝をしてしまうところ。日本でもですね、こういった選択的な避難。私は避難したいと希望したらできる、サポートが受けられる、補償がうけられるという選択的な避難区域を広く設定しなければならないと思います。

 その時に、是非、忘れないでください。1ミリです。1ミリなら大丈夫と言ってるんじゃないです。1ミリというのは公衆被曝の許容値。皆さんがたも1ミリ以上の被曝を受けずに暮らす権利があるんですよ。

 福島の人間だけありませんか? 

 そんな馬鹿な話はないでしょう。であれば避難区域を設定するなら、1ミリ以上なんです。1ミリ以上被ばくしてしまうところを、広範囲、広く選択的な避難区域に設定すべきです。

 福島から来た私が言うのは申し訳ないですけれども、実はこの地図にはない関東方面、岩手の方もですね、1ミリを超えそうなところもあります。是非、福島の人間の問題だけじゃなく、皆さんと力を合わせて、こういった、1日も早い、避難政策の拡充というのを一緒に実現したい。そして子供たちを守っていきたい。

 私たちは本当に今、後悔でいっぱいです。40年もの間 (原発を)止めきれずに来た、自分も本当にもっともっと頑張っていればよかった。せめても、これからは子供たちに、顔向けできる精一杯は「やった」と、言える大人になりたい。この思いだけで今活動しています。           (引用終り)

 私たちも「精一杯やった」といえる大人になろうではありませんか。力のない小市民一人一人が、自分にできる範囲で「次の日本の子供たちのため」に、今「精一杯」を積み上げねばなりません。

 本当に長い文章にお付き合いいただき、ありがとう。by ryuma's papa



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