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自主性も想像力も育たない教育   ゆとり教育とその政策

文中の「父兄」は差別用語とは思わないで欲しい。また、操作ミスで下書きの段階で公開になってしまったことをお詫びします。

 ゆとり教育と共にこの20年間強化され続けた政策に「内申書の重視」がある。

 なんでもないような政策だが、これには生徒も父兄も完全に支配される。

 まず、父兄側から見ると、内申に響くのではないかと、先生や学校への批判的な意見は封鎖される。近頃「モンスターピアレンツ」のような父兄が問題視されるが、そんな人はごく一部で (と言ってもそんな人に時間がとられるのは確かだろうが)、特にもう成績のことをあきらめている生徒の父兄であることが多い。
 しかし、世の多くの父兄は子供の進学を考えているので、そういう当たり前の父兄の意見を封じ込んでしまっている。

 生徒のほうも、「面従腹背」的な行動を取るようになる。先生への反抗は「内申での仕返し」につながる場合がある。これは、生徒の自主性を大きくゆがめている。先生への疑問はいえない雰囲気を作っている。

 教育の細部にわたっての意見は、私の場合もふくめて、個人の経験が主となる。いわば、狭い範囲の意見となりやすい。だから、幅広い意見、多様な意見を聞きながら、政策を立案する必要がある。
 ところが、「ゆとり教育」とソレに伴う各施策は「尾木さん」を筆頭に、あらかじめ路線を決めて行われたように思える。

 私の狭い経験からの話になるが、中学生で「中間」「期末」テストで、連続100点で、通知表が「3」であった女子生徒がいる。その子はただ一言「私は先生から嫌われているから」とだけ言った。
 もっとすごい例では100点で通知表が「1」であった男子生徒もいる。この生徒は一度も宿題を出さない生徒だったので、生徒にも問題はある。その学期の成績評価をする前に「今度出さなかったら1にするぞ。」と教師から言われていたそうだ。
 その通り「1」であっただけだ。皆さんの判断はどうだろう。わたしなら、「4」をつける。

 宿題は提出するもの、一般にはそうだが、中にはすごい宿題がある。漢字の書き取りで1ページずつ100回も同じ漢字を書かせる。英語の単語を練習させるのに、書き上げたノートの冊数を競わせる。何を目的とした宿題なのか、意味が分からぬ。
 内申点への恐怖から、毎日意味もない「肉体労働」の繰り返しだ。いかに従順にやってくるか、その査定だけである。近頃の若者の「保守化」は、この内申制度が大きな役割を果たしていると強く感じている。
 若いころは、私もそうだったが、「大人社会への疑問や反感」があるのが当然だと思うのだが、それを「率直に出すと否定される」大きな社会制度を作っておいて、「創意工夫」や「自主的な意見」「創造力」などを求めても、上手くいくはずがない。日本社会の停滞を作り出した大きな原因になっていると私は思う。

 内申重視は近年とても徹底されている。私の地区でも上位進学校では「実力重視」の傾向が強かったが、ここ7~8年で各高校への締め付けは厳しく、内申点なくして進学は難しい。

 ご父兄の中で、高校の先生がいらっしゃることがあるので、「その点」をお尋ねしてみると、「内申不足での合格はとても無理です。」との答えであった。入試の後に「県教委」より、合格者と内申点の相関関係の報告が求められ、従来は合格後に「まぁ、ちょっと内申も見ておくか」的な作業であったが、現在ではとてもそのような雰囲気ではない、との事であった。

 上記2名の生徒は「2番手高」に合格できたが、今ならとても出来ない、我々(塾屋)の力では無理であろう。まぁ、内申が欲しい学校もあろう。そんなに必要としない学校もあろう。それは各校が決めればよい話しで、文化省が通達を出し、「教委」が締め付け、国策に従うような人間を生み出しても意味はなかろう。

 この内申重視は、他の面、「部活」「生徒会」にも強く影響している。
 「生徒会」では、今まで余り立候補者もいなかった「生徒会長」に突然多人数の立候補が生まれている。生徒会長は+2点なのである。こんなものは「それに興味」がある生徒が立候補してこそ意味があるのであって、内申のために行われてしまうとほとんど意味を成さない。

 「部活」と称されるスポーツ、吹奏楽、歌唱なども、度を越した活動が行われる。
 日の出から日没まで、年間の休みが「数日」など、一部の私立高校のスポーツ特待と同じように行われている場合がある。東京のように学力に対する信仰がある場合はともかく、地方に行くとほとんどこういう状況である。これが問題にならないし、生徒達が辞めるのに、「内申」をとても気にしてやめることが出来ない。(もちろん、成績を気にしない生徒は平気で辞められる。)

 とても信じられないかもしれないが、数日間の遠征さえする指導者もいるのである。強くなってくると、今度は中学相手ではなく高校生と試合をしだしたりもする。「今は部活だけを考えろ」などと、平気で中学3年生に言う教師もある。
 狂った中にいると、正常と異常の判断がつかなくなるらしい。スポーツをやる、やらないは個人の問題であり、我々部外者がとやかく言うことではないのかもしれないが、「内申」におびえて、それが出来ない、となるとおかしなことになってしまう。
 また、仲間はずれの問題も「内申」以上に大きいのだが。

 いずれにしても、「内申重視」の政策が事を余計複雑にしていることだけは確かである。






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