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映画 「チェルノブイリハート」 が暗示する 日本の行く末  ただし、差別への配慮は必要ですね。

 北九州市で 春を呼ぶフォーラム という催しがあったようだ。 全く知らなかったが、よほど 派手な宣伝でもしないことには、 関心を持っていない人までには伝わらない。 北九州市は 100キロ離れた地である。
         「春を呼ぶフォーラムin北九州」
 このフォーラムの中で ドキュメンタリー映画「チェルノブイリハート」も上映されているようだ。 you tube にあったので、 下に載せておいたが、 例によって 「チョサクケンガー」によって、 よく削除されるようだ。 これは、映画として 公開されているので、 まあ 致し方ないことだと思う。

 この映画を見ての 感想を 「プクプク主婦の日記」さんが ブログを書かれていたので 引用させていただくが、 全くもって 多くの方が 「このように」 感じただろうと思う。
                                                プクプク主婦の日記 さん 引用
あれから1年がたって、私は一年間ずいぶんそのことについて本を読み、パソコンを駆使して、多くの方の意見を聞き、わからないなりに少しづつ学んできました。

原発、被ばく・・・毎日のようにその言葉を聞き、画像を見て被ばくはどんなに少なくても大丈夫ということはありませんという言葉を信じ、買い物に行けば風評被害といわれても野菜などの産地確認をし、地震があれば、4号機は大丈夫か私なりに確認し、自分が安全と信じるものをできるだけ選び食べるようにしてきました。

何が本当なのか・・・本当に未来がどうなるのかわからないままですが自分の信じるように生活してきました。
そんなとき、いつも比較されているのが1986年に起きたチェルノブイリ原発事故です。

そのドキュメンタリー映画「チェルノブイリハート」を見る機会を得ました。事故から16年後のベラルーシの生活が映像にあります。衝撃的だったのが、障害を持って生まれてくる子供が80パーセント以上いてその赤ちゃんが捨てられるということでした。映像の中には信じられないような奇形や障害もありました。
辛い映像でした。

生まれてきた子供を捨てる・・・。とても信じがたい現実でした。乳児院で過ごす赤ちゃんに十分に愛情が与えられているのか・・・
ほんの少しの映像を見ただけですが、悲しくなりました。乳児院から孤児院、そしてのちには精神病院で過ごすといいます

日本の中でいつかこんなことが起こることのないようにと祈るばかりでした。

先日は、ドイツZDFの『フクシマのうそ』をみました。日本の現実をほかの国が歯切れのいい言葉で番組にしています。考えることはいっぱいです。                                             (引用終り)

 とても好都合な事に、 この事故の後、 ソ連政府は 「崩壊」した。 その結果、ソ連共産党の極秘文書が 公開されたのである。 9月3日のブログで その内容を取り上げたが、 西側マスコミ用、 東側 (ソ連友好国) マスコミ用、 国民用、 IAEA用と 情報は分けられ、 国民には、真実は ほとんど知らされなかった、 そういう事実が分かった。 「アメリカ人医師が ボランティアで 院内で 活躍している場所」については、 「一定の人数については、 それ (放射能の影響) を認める」などと 事細かに会議がなされていたことも分かった。

 また、 基準を10倍に引き上げ、 放射能の影響で 病気が発生したのではない (基準値以下なので、放射能は影響しない、とした) 、 と説明するようなことも行われた。 それも 極秘文書から明らかになった。 

 どこかの国は、 100倍にしたくらいだから、 この程度は 「カワイイ」 と言えるかもしれない。

 いずれにしても、 ソ連政府の発表したような 「原子炉の処理」で、死亡した 22名以外に、誰一人、 放射能の影響で 死んだり、病気になったものはいない、 という公式見解は 「真っ赤なウソ」 であった事も 明らかになった。

 だからと言って、 この ドキュメンタリー映画「チェルノブイリハート」を 「鵜呑み」にするのは、逆の意味で危険だと 私は考えている。 こういう話は、リビアにしても、シリアにしても、現地の日本人の方のブログを紹介しながら、 報道との差異を 考えてきた。 次の文は 完全な「第三者」とはいえない立場の方なので、今まで同様とは行かないが、 それでも 「その指摘」は、 考慮すべき内容が含まれていると思う。

                                       雑誌『DAYS JAPAN』2011年12月号編集後記より
「チェルノブイリ・ハート」が評判だ。被曝した子どもたちの心臓欠陥多発の映画で、2003年アカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞した。放射能の恐ろしさを警告する映画だ。

しかし気になるところもある。障害を負った子どもたちが映し出され、「チェルノブイリ事故のせいですか」と取材者が聞き、施設の職員は「そうです」とうなずく。今から10年以上前、国内外の有力誌がいっせいに、「チェルノブイリで身体障害多発」という大見出しで、子どもたちの写真を掲載した。衝撃の報告だった。しかし私は驚いた。ちょうどその時期に、救援のため現地を何回も訪ねていたのだが、そうした話は聞いたことがなかったからだ。私は障害を負った子どもの写真を多く撮影したが、事故との関連が確信できなかったので発表しなかった。

次に現地を訪れた時、子どもたちの写真が掲載された施設を訪ねた。そこにはさまざまな障害を負った多くの子どもたちがいた。私は所長に「この子どもたちはチェルノブイリのせいで病気になったのですか」と尋ねた。所長は首を振った。「何人かはそうかもしれないが、ほとんどは関係ないでしょう。なぜならここには事故前から多くの子どもがいたからです。事故の後に1割ほど増えたかもしれないけれど」と言う。

雑誌や映画を見た人は、写っているすべての子がチェルノブイリ事故のせいで障害者となったと思ったはずだ。放射能はあらゆる病気の原因になる。遺伝子を傷つけるから出産異常も身体障害も引き起こす。だが、放射能の恐ろしさを訴えるためにこのような強調をしていいのだろうか。人は皆、健康でありたいと願う。親は子どもの健康を望む。けれども「身体異常の子どもができるから原発に反対だ」という言葉は、障害者に「自分のような人間が生まれないために原発に反対するのか。自分は生まれてはいけなかったのか」と考えさせるだろう。

原発は、あらゆる形の差別を引き起こす要因にもなる。それに取り込まれてはならない。(広河) -- 引用終り --

 放射能は危険である。 癌を含めた多くの病気 (奇形も含め) を 1割から2割 増やしてしまう。 特に女性は、 (男性は その時々に 精子を造るのと違って ) 生涯の卵子を その体の中に持っているので、 影響が 長く続くという 危険性がある。 事故が起きた当初から、 「安全宣言」を向こうにまわして、 「女性と子どもだけは、避難させるべきだ」 と主張してきたのも、そういう点からなのだが ……

 広川氏の主張のように、 原発反対のために 「障害者や 福島県民」が差別されるようなことがあってはならないし、 十分の注意が必要である。 事故後 25年、30年たっても その問題はおき続けている。 長い視点から 「福島の人々」を 考えねばいけないことが 分かる。

 今までに起きた 「公害問題」同様、 責任を逃れようとする 「企業と政府」を 厳しく監視していかねばならない。 それでも、 被爆者を 救うことは容易ではないだろう。 ましてや、 50基以上の原発の設置を推進し、 その利権に預かってきた 「自民党」が 政権復帰などすれば、 今後が どうなっていくのか、 その情報が どのように隠蔽されていくのか 分かったものではない。


 では、チェルノブイリ・ハート をご覧ください。
                                                    Movie Walker さん 引用
1986年4月26日に起きた旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発事故。それから16年、アメリカ人の女性ドキュメンタリー作家がベラルーシ共和国を訪れ、いまもなお被爆被害に苦しむ人々の姿をつづったドキュメンタリー。第76回アカデミー賞でドキュメンタリー短編賞を受賞。

チェルノブイリ・ハートとは、“穴のあいた心臓”、“生まれつき重度の疾患を持つ子供”の意味である。ベラルーシでは現在でも、新生児の85%が何らかの障害を持っている。1986年4月26日、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発事故を起こし、放射性降下物はウクライナ、ベラルーシ、ロシアを汚染した。2002年、ベラルーシ共和国。原発から半径30キロ以内の居住は禁止されている。さらに北東350キロ以内に、局所的な高濃度汚染地域“ホット・ゾーン”が約100ヶ所も点在している。ホット・ゾーンでの農業や畜産業は、全面的に禁止されている。そんななか、ホット・ゾーンの村に住み続ける住民、放射線治療の現場、小児病棟、乳児院の実態に迫る。さらに4年後、事故から20年が経った2006年、事故があってから初めて故郷を訪れた1人の青年は、廃墟となったアパートへ向かう。爆心から3キロの強制退去地域は、1986年で時間が止まっていた。青年は1986年のカレンダーを見つめて、近親者の10人がガンで死んだこと、自分もそうやって死ぬ確信があることを語る。その1年後、青年は27歳の生涯を閉じた。


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