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尖閣列島は 明々白々の日本の領土だと 本当に世界を納得させられるのか。         大東亜共栄圏に という 「虚無」に踊った日々

 日本は竹島と尖閣諸島で アメリカ並みに ダブルスタンダードの 使い分けをしている。 竹島に関しては韓国が実効支配しているので、領土問題があると主張し、国際司法裁判所で決着をつけようと提案している。

 ところが、尖閣諸島に関しては、曲がりなりにも日本が実効支配しているので、「領土問題は存在しない」としている。 野田総理に言わせると、 「尖閣諸島は歴史上も国際法上もわが国固有の領土であることは明々白々だ。領有権問題は存在しないのが基本で、そこから後退する妥協はあり得ない」 のだそうだが、 明々白々な場所が 論争になるわけがない。
          尖閣諸島-2-

 テレビを筆頭とする マスコミも その場所すら 「誤って」ニュースに流しているのは 以前書いたが、 正確な場所、 いろんな主張を 聞いて 判断したほうが良い。 特定の意見だけでは、 真実は見えてこないだろう。

 中国が 「 尖閣諸島は 中国の領土だ。 」 と言う主張を聞いて、どう判断されているだろうか。 正確には、 台湾と一体のものだ、と 言っているに過ぎない。 そのことを理解している人が どの程度いるのだろう。 先に、アメリカ大統領 ニクソン によって、 電撃的な 「米中会談」 が行われ、アメリカは中国を承認したことを書いた。 日本では、 「中国承認」など、 (表向きは)ほとんど考えられていなかった。 それは、中国が 「1つの中国論」を 頑 (かたく) なに 取っていたからである。

 日米とも、台湾政府 (中華民国) と親密な関係にあり、 1つの中国など 受け入れられるはずはないと 思われていた。 (-- 注 -- 「台湾は 中華人民共和国の領土の 不可分の一部である」とする考え ) それが、 ある日突然 変えられたのである。

 アメリカ政府は 「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 (recognize) し、「台湾は中国の一部である」と認知する (acknowledge) として、今の所、中華民国の主張を支持しないことで 合意した。

 日本も遅ればせながら 「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 (recognize) し、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と表明する「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する (understand and respect)」 との立場で、 日中国交を回復した。 なかなかしたたかな 外交である。

 尖閣諸島だけが、「ポン」と 中国領だ、(中国本土から 〇〇km などと 書いてあったり、説明しているものには、 基本認識が足りない、くらいに思ったほうが良い。) と言っているわけではない。 台湾ともども、 中国領なのであり、台湾については、日米とも 了解している。 -- 軍事力で併合することは 認めないが …… --

 ワァワァ 騒いでいる方の中で、何割がこの点を理解しているのだろう。 テレビ桟敷の方では、 ほとんどいないのではないだろうか。 中国側が、よく 「歴史認識が欠けている」 と非難する。 あの 調子の強い 中国語で まくし立てられるのは 気持ちのいいものではないが、 世界の中で 日本の主張を理解してもらうためには、 その点もおろそかに出来ない。

 中国は 第2次大戦以前に 2つの 「外国との戦争」をしている。 学校で習うところの 「アヘン戦争」と「日清戦争」である。 この2つの戦争を比べて どう考えても 「アヘン戦争」の方が 悪どい戦争である と (私などは) 思う。 学校で 淡々と習う限りは、皆さんも そうお思いではないだろうか。

 なにしろ、 麻薬を密輸して売っておいて、 それに因縁をつけ 戦争し、 勝ったからと 賠償金や香港などの割譲、 さらには 「没収したアヘンの損害金」まで 中国から取ったのであるから、……  中国で 「反英デモ」がおきぬのが 不思議なくらいだ、 そう思われないだろうか。

               日清戦争
               条約締結時には、まだ日本は台湾への上陸までなっていなかった。
 なぜ、 中国が 「日清戦争」 → 下関条約 を持ち出すのか、 「アヘン戦争」 → 南京条約と 私なりに比較してみたい。 まず 「南京条約」であるが 主だったことは以下の通りである。

           1. 香港島割譲
           2. 賠償金2100万$を四年分割で支払う   -- 清国の財政規模の40%に相当 --
           3. 広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港
           4. 貿易完全自由化

 では、 日清戦争の 「下関条約」 では、 どうであったかを考えてみよう。同じような配列に直して比較してみると

           1. 遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼を 日本に割与 ← 「尖閣」をここで取ったと主張
           2. 賠償金2億両 ( 遼東半島還付奨励金を 別に3000万両 請求 ) ← 三国干渉による
             -- 日本側は、清の銀貨 (両)  での支払いを 拒否し、イギリスのポンド金貨で支払いを要求
           3. 沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放。 日本に最恵国待遇を認める
           4. 朝鮮国が完全な独立国であることを認める。 ( 日本が認めることは 拒否 )
           5. 条約批准2年後も割与地に住んでいる住人は 日本国民 と見なすことができる。

 こうやって見てみると、「下関条約」 のすごさが実感できる。 まず、 領土に関してだが、 広さはともかく、台湾には、「日本軍は上陸さえしていない」のに、 強引に割譲させた。 賠償金も あのイギリスですら、2年間の戦争で 清国の 国家予算の 40%に過ぎないのに、 日本の要求は 清国 国家財政の 2年半分、 我が日本の 国家予算の 4年分に当たる賠償金額である。 これに 利息を加え、 日本は 4億円を得たのである。 このあたりは、 もう少し 詳しく学校教育で教えていかないと、 「歴史認識がない」と 中国から突っ込まれるだろう。 

 これらの賠償金を 日本側はイギリスの ポンド金貨 で支払うように要求した。 国内で、国債を発行して 資金を得ようとしたがうまくいかず、 清国は 露仏英独 などの 外国から 借款して この賠償金を払った。

清国の資金調達(賠償金借款)       ・1895年   露仏借款    4億フラン(1582万ポンド)
                          ・1896年   第1次英独借款       1600万ポンド
                          ・1898年   第2次英独借款       1600万ポンド

 日本はこれを ロンドンに持ち込み、ロンドンの 日本銀行に在外正貨 として保管,これを準備金とみなして金本位制を実施した。 この信用力によって 新規発行の紙幣で 「八幡製鉄所」を建てるのである。

 しかし、誰も、 敗戦国の 清国に 多額の融資を 喜んでするものはいない。 当然それなりの 「見返り」を 要求する。 列強は 清国が 日本に支払う賠償金の貸し付け に始まり、租借地の獲得、鉄道敷設圏、鉱山開発権などの獲得に乗り出した。 結果として、清国の分割植民地化が急速に進んだわけだ。 

        1897年の日本
             列強のまねをし、 列強に仲間入りした と思っている日本 -- 風刺画 --
 もちろん、 私の調べが 「完璧」だとは 言えないのかもしれないが、 世間で言われているように、 『 中国共産党が国内を押さえるために、反日教育した結果』 だけで、 今の 反日運動が起きているわけでもなさそうである。  我々一人一人が 調べ、 自分の納得した答を持つしかあるまい。 著名人や 学者 (リュウマの独り言を含め) 特定のブログの意見を鵜呑みにすることは 危険である。

 アメリカで 日本の 『右傾化』が ニュースになったそうだ。 第2次大戦を含め 『 先の戦争は 侵略戦争ではなく、 アジアのために 行った戦争だ。』 と言うような意見が 盛んに出回ってきた。 20年ほど前では 考えられない様相だ。 それは、 「日教組による偏向教育」が 行われていたから …… などと言うものが多いが、 その人たちも 「偏向教育 真っ只中」 だった人々だろう。

 教育だけで 「そう」なるのなら、 現在は 「自虐史観」真っ只中であるはずである。 そうではあるまい。 戦争を直接体験した人々の割合が 減ってきた、 戦争責任がある人々が 減ってきた、 それで安心して言える階層が出てきたのではないか …… と 私は考えている。

 7年にもわたる 「アメリカの占領」の間に、 アメリカの都合で 日本の「再軍備」が決まった。 早急に政治体制を固めるために、 こともあろうに、 旧体制で指導的な役割をしたものたちが、 また、 戦後の日本の指導者に納まっていった。 
 
 今度の 自民党の総裁候補は すべて 「二世議員」である。 その父の代に 「戦争責任」を問われるものもいたはずであるが、 ほとんど 他界しただろう。 もう、安心なのである。 教科書ではわからない本当の歴史 アジア太平洋戦争の真実 さんが こんな記事を書いておられる。 -- 以下 引用 --


 日本軍が中国の街を占領する度に、日本人は提灯(ちょうちん)行列をし、万歳三唱をして祝いました。日本中がお祭り騒ぎになったのです。

 1937年(昭和12年)12月13日に南京城が陥落した時も、日本は大騒ぎでした。私は母から、そのときの話を繰り返し聞かされました。皆でこういう歌を歌いながら提灯行列をしたそうです。

        「日本勝った 日本勝った、また勝った♪ 支那のチャンコロまた負けた♪」

 当時の雰囲気と日本人の意識がわかりますね。 「日本は、暗く貧しく遅れたアジア とは違う 別格の存在」。
「日本人は選ばれた優れた民族であり、中国も朝鮮も日本に従うべきである」という、大東亜共栄圏のイデオロギーです。

 母もまた当然のようにそれを信じた日本人の一人でした。 当時、ほとんどの日本人にとってそれは疑う理由もない常識だったのです。  言うなれば、日本人としてのアイデンティティ。

 日本人であるとはそういうことだったのですよ。母は提灯行列の話をする度に、「バカなことした」と肩を落としていました。

 戦後61年たった今でも、大東亜共栄圏のイデオロギーは根強く日本社会の底流に流れています。 だから、韓国や中国と普通に付き合うことができないのです。 どうしていつも、勝ち負けでしか見ることができないのか。

 かつて妄想にかられてアジアを侵略した日本人は、 過去の歴史的経験を検証しつつ、 今度こそ開かれたアイデンテティを構築しなければなりません。 それこそが、良きアジア人として生きていくための道ではないでしょうか。


 母は太平洋戦争の時、高等女学校の生徒で、勤労動員に駆り出された。 勤労動員というのは、軍需工場などで働くことである。 少年少女を学校にも行かせず、 軍需工場に動員するなんて。 こんなことをしている時点でもう、その国は破綻している。

 しかし少女だった母にとって何より衝撃だったのは、美術の教師が特高に連行されたことだった。

 特高というのは治安維持という名目で、反体制運動を取り締まった秘密警察。 国民の恐怖の的だった。

 少しでも戦争に対して懐疑的なことを言おうものなら、 特高に連行されて半殺しの目にあったのである。


 美術の教師は詩を口ずさむ素敵な人で、よくスケッチをしていた。 しかし、母の住んでいた街は軍需工場があったから、 スケッチをしているだけでも反体制だのアカだのという嫌疑をかけられたわけだ。

 しかも、それは生徒の密告によるものだったという。


 生徒が教師を密告する学校。 それを愛国心だと信じ込ませた国。 恐ろしいの一語である。

 母はこの話をする度に泣いていた。                          -- 引用終り --

 単細胞の 「男性政治家」 が、 ここ最近 威勢よく吼えている。 「尖閣を守るには、どれだけ日本人の血が流されたかにかかっている 」、 「棺桶は 日本が用意します、日本のために アメリカ軍は戦ってください、では アメリカは本気で戦わない 」 ……  日本人の血の中には、 「前原」も「石原」も「石破」の血も 入っていないことだけは 確かだろう。 アメリカ軍が 「日本のため」に 血を流したことは 一度もない。 血を流さねば 本当の同盟とはいえない、…… の 危なっかさよ。

 こういう へんてこな情勢を 止めえるのは 本当は 「お母さん方の力」 ではないか、 と最近は思う。彼らの言葉の中に 潜む 矛盾や嘘は、 お母さんなら 分かるのではないだろうか。

 日本人の血とは、 「あなたのお子さんか、 旦那さんの物」に 他ならないのだから。


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