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尖閣諸島問題と 21か条の要求  皇国史観は 世界に通用するのか。

 尖閣の 領有権をめぐっての意見は 数多い。 まあ、 主体は 「感情論」とでもいえるような ものだが、日本共産党が発表している 「尖閣列島は日本領」 とする 意見はしっかりしている。 これならば、国際社会で 戦えるかもしれない。 -- といっても、 後2,3は 補強の必要はあるが --

 しかし、 共産党は 「政権」を 取れまいから、 例によって、 「櫻井」「石原」そして 今度の自民党総裁「安倍」氏らの 意見が主流になるだろう。 彼らの歴史認識では、 残念ながら 「日本の思い上がり」だけが目立って、 相手国に 「ボコボコ」にされるのがおちだろう。 以下 -- 水色 -- は中国側の意見
                                               2010.09.30 News ポスト セブン
 尖閣諸島をめぐり次から次に理不尽な要求を畳みかける中国。ジャーナリスト・櫻井よしこ氏は中国の姿勢にこう訴える。

              ******************************
尖閣諸島が日本固有の領土であることに、異論をはさむ余地はまったくない。1895年、日本政府は周辺各国に照会し、尖閣諸島が無主であることを確認したうえで領土編入を閣議決定した。無論、清朝の中国も異議は唱えていない。1910年当時で248人の日本人が暮らしていた。 -- 1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島をめぐる日清戦争の真っ只中である。1895年(明治28年)3月19日、清の全権大使が門司に到着。4月17日、 日清講和条約(下関条約)調印。 5月4日、三国干渉のため、遼東半島放棄を閣議決定 11月8日、清と遼東還付条約を締結、 と言うような 歴史上の出来事を 一切考慮しない 一方的な言い分に過ぎない。 密室で決める 閣議決定など 中国は感知しない。 --

その後、40年に戦況悪化に伴って島民が引き揚げ、無人島となったが、51年に調印したサンフランシスコ平和条約では、尖閣諸島は日本領土のまま米国の施政権下に入り、ここでも中国は異を唱えなかった。 -- サンフランシスコ平和条約には、 呼ばれもしていなかったし、参加もしていない。 当初より、 この条約自体が 無効だと主張している。 --

ところが68年からの国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による東シナ海の海底調査で、埋蔵量豊富な油田の存在の可能性が高いとわかると、中国は71年になって突然、領有権を主張し始めたのである。 -- それ以前から何度も主張している。 --

国連海洋法に従えば、東シナ海は中間線をもって折半するのが国際常識だが、中国はそれを無視し、大陸棚説を持ち出して自国の領土領海だと主張する。領海侵犯し、巡視船に衝突してきた漁船の船長を逮捕するのは当然だが、その当然の行為に対して『報復』を持ち出す。いかにも理不尽で、日本人の感覚からすれば卑劣極まりない行為だが、これが彼らの『中華帝国的思考』であることを我々は知っておかなければならない。            (引用終り)

 まあ、 代表的な 「俗説」だが、 意外と多くの方に信じられているようだ。 だが、 こんな意見をそのまま 信じて、 主張していくと、 取り返しのつかないところに 日本を追い込む恐れがある。 本来なら、( 今まで読んだものの中では 良く考えられている )「共産党の見解」を 乗せるべきだが、 長文であるし、興味のある方だけにしておいたほうが良かろう。 ( リンク → 尖閣諸島問題  日本共産党)

 尖閣諸島は、(私でも)日本のものだと思うが、 世界の人々を 納得させる 十分な理論的根拠が欲しいと思っている。 それで、 あれこれ 探すのだが、 途中で 「日清戦争」「下関条約」が 引っかかってしまう。 対中強硬派の人たちに言わせると、 当時は どの国でも やっていたことだ、 などというが、 多分 日本が最後の帝国主義的戦争をしたのだろう。 ババ抜きの 「ババ」を 最後に持っていた国が 日本ということになる。

 さらに、第1次大戦では、21か条要求を 中国に突きつけた。 中国は中立を宣言して参戦せず、 ドイツ側ではなかった。 日本は中国に対する戦勝国ではないので、当時の国際法でも不当な要求だということになる。 これなども、 世界世論を納得させる場合に 「障害」になることはあっても、優位な材料には ならないだろう。
  
 21か条要求に関しては、 今の歴史観を 「自虐史観」と考える人々から 多数の意見が出されている。

 日本は資源に乏しく、満洲・支那の原料は死活的に重要 (日本の生命線なのだそうだ) だった。

 日本がポーツマス条約や日清戦争・日露戦争で得た満州における権益というものが、支那の排日とアメリカ、イギリスの介入で非常に不安定になっていた。 その不安定になっていた日本の権益を、なんとか確固たらしめようとして、第一次世界大戦で列強の目が一斉にヨーロッパに向かっているときに、支那に対してそれを確固とするための要求を突きつけたのが「21ヶ条要求」である。決して特に新しい権益を要求したものとは言えない。

 このときに日本は領土権も駐兵権も要求していない ( 中立国相手に、戦争もしていないのに主張など出来るはずがない、 当たり前のこと。) 。つまり、日本はいわば日本の国家的膨張や安全というよりは、日本人が生存していくための権益を確固たらしめようとしただけである。

 日本人は大体において領土的な欲求の少ない民族だが、国土と資源の貧弱な国だから、他国のおいて日本人が生きるための権益を要求することはあった。「21ヶ条要求」もそうで、ただ日本人が生きていくために、南満州で土地を借りたり、それから商工業や農業を営む、あるいは旅行をする、生活をする、そういう権益。それから満鉄の租借期間を99カ年に延長する。遼東半島の租借権も99カ年に延長する。こういう要求をしたのが「21カ条の要求(実際には14ヶ条の「要求」と7ヶ条の「希望」)」で、さほど 悪どい ものではなかった。

 これらはそれ以前に欧米列強が持っていた権益よりも温和なもので、ごく適切な要求だった。当時このような条約は珍しくなく、イギリス、フランス、ロシアは、要求の内容は妥当だとして干渉を控えている。

 そこへ猛烈な非難攻撃を繰り広げたのがアメリカだった。アメリカ政府はここぞとばかりに支那支援を表明し、アメリカ系の新聞も、こぞって日本を非難した。 また、袁世凱政府も合意した内容を歪曲誇張して内外に宣伝した。

 アメリカは支那と組んで「日本が21もの不当な要求を第一次世界大戦のどさくさにまぎれて支那にしぶしぶ受諾させた」という印象を世界中に植え付けることに成功した。

 さらに悪質なことに、袁世凱政府は日華条約 (21か条要求の条約) 調印直後に、「日本人に土地を貸した者は死刑」という条例を交付した。これは国際条約の調印と同時に、法令をもって条約の履行を妨害するもので、恐るべき背信行為である。

 合意された16ヶ条は、ワシントン会議により、日本は山東省の権益を返還、満蒙での鉄道に関する優先権を放棄、「希望条項」も全面撤回させられ、残存は10か条のみになる。 ( 当時としては、温和で、ごく適切な要求で、 英・仏・露 は干渉を控えた と書いてあることと 全く整合性がない。 )

 支那の誇張・虚偽によるプロパガンダは戦後になっても続き、常に反日・侮日により支那人や支那に支配された民族の目を外国に、特に日本に向けさせている。これは現在もまったく変わっていない。

 反日・自虐歴史観では、「欧米が第一次世界大戦にかかりきりになっていたことに乗じて、日本が支那に権益拡大要求を押し付けた」となる。アメリカ、支那のプロパガンダをそのままである。       (引用終り)

 この文は 21か条要求は 「常識的で、妥当な要求」とする人々の 意見に良く引用されているので、私も引用したのだが、 ( 中国人はとても無理としても )日本人なら ある程度は 許容できようが、 それ以外の世界の世論が納得するとは思えない 論法である。 本文の底流に流れる 「当時の世界情勢」や 「歴史認識」を 表に出すと、 それは 「諸刃の剣」になってしまう。 日清戦争時の 「尖閣諸島について、中国が異議を唱えなかった (できなかった) 」ことを 認めることに他ならない。

 日露戦争で得た 「ロシアの権利」の残存期間が 残り9年しかなく、 それを 「世界標準の99年」とする要求が なぜ過大なのか ? とのたまっているが、 それは 「ロシア」 との 問題であって、 中国はあずかり知らぬこと、 と言われれば それまでの問題である。 「温和で、 ごく妥当な 常識的な」要求だそうだが、 それは「戦勝国」と「敗戦国」との間で であって、 中国国内に湧き上がった 「1日も戦っていない国」が なぜ そんな要求を呑まねばならないのか、 という 意見の答えにはなっていない。

 この21か条の要求が 反日の原点とする人々が多いが、 発火点であろうと思う。 それまでは 中国国内で 日本は戦争をしていない。 台湾割譲も、 中国本土の人間にとっては、 遠い地の出来事だ。 多額の賠償金も 政府が 困窮するだけで、 庶民への影響は、 少し時間がかかったろう。 それよりも、 アヘン戦争での  メチャメチャな イギリスの姿勢に反感を抱いていただろう。 多くが、 「この要求後」 中国人は、反英から反日に変わった、と 述べている。

 そして、 この「日華条約」( 21か条要求の条約 ) は、 やがて っ「五四運動」へと 発展していく。以下、 五四運動について、 Wiki より 引用しよう。


 大戦が終結し、パリ講和会議において日本側の 「日本がドイツから奪った山東省の権益を容認」 という主張が列強により国際的に承認されると、 その少し前に朝鮮で起きた三・一独立運動の影響もあって、 北京の学生数千人が 1919年5月4日、 天安門広場から ヴェルサイユ条約反対や 親日派要人の罷免などを要求して デモ行進をした。デモ隊はさらに曹汝霖宅を襲撃して放火したり、たまたま居合わせた 駐日公使章宗祥に暴行して重傷を負わせるなど、暴徒化した。

 袁の後継者である 北京の軍閥政権は 学生を多数逮捕し、事態の収拾に努めたが、 北京の学生はゼネラル・ストライキを敢行、 亡国の危機と反帝国主義を訴え、 各地の学生もこれに呼応して全国的な反日・反帝運動に発展した。 労働者によるストライキも 全国的な広がりを見せ、 6月10日には最終的に 学生を釈放せざるをえなくなった。 また、6月28日に中国政府はヴェルサイユ条約調印を最終的に拒否した。

 五四運動は、中国(正確には中国共産党)に高く評価されてきた。 その研究の蓄積は他国の追随を許さない。しかし、 政治イデオロギーに縛られ 硬直した部分 があるのも事実である。 

 大陸では、五四運動を ナショナリズム が真に 大衆化した転機 として捉え、中国現代史の起点をここに置いている。すなわち ストライキやボイコット といった運動手法を積極的に利用した 五四運動 に高い評価を与えているのである。 これは、1921年、中国共産党が五四運動の影響から誕生したことも大きく関係している。
               (引用終り)


 尖閣諸島の 「領有権」を考えてから、 なんと、 歴史の専門家のように あれこれと さかのぼった。 日清戦争 → 下関条約 → 21か条の要求 (五四運動) → ポツダム宣言 → サンフランシスコ平和条約 → 沖縄返還 → 日中国交回復 …… ざっと この程度のことは 正しく (いろいろな意見を含め) 理解しておかないと、 あっという間に 足元が崩れてしまう。 これで、もし、 日本の領有権が 確かなものだと考えられても (実効支配もしているし) 、 国境が定まるかと言うと、 そうもいかない。

 最近では、中国とロシアの間で 「国境の確定」が 行われた。 中ソ国境紛争は、なかなか熾烈であって、1960年代末には4,380kmの長さの国境線の両側に、658,000人のソ連軍部隊と814,000人の中国人民解放軍部隊が対峙する事態もあった。1989年にミハイル・ゴルバチョフ大統領が訪中して中ソ国交が正常化した時期にようやく全面的な国境見直しが始まった。ソ連崩壊の直前の1991年5月16日、中ソ国境協定(中露東部国境協定)が結ばれ、極東の大部分の国境が画定し1992年に批准された。

 残る未確定地域(総面積:375平方キロ)は、1991年の中露東部国境協定で棚上げにされた、アルグン川の島と、アムール川とウスリー川の合流点の2つの島であり、合意は困難とされていた。 これら3つの島に関する協議も粘り強く進められ、 プーチン大統領 と 胡錦濤・国家主席 両首脳による政治決着で、2004年10月14日に最終的な中露国境協定が結ばれた。

 3つの島は何れもロシア側が実効支配 をしていたが、ロシア側が大きく譲歩し、アムール・ウスリー合流点部分では、タラバーロフ島の全域と大ウスリー島の西半分は中華人民共和国に、大ウスリー島の東部のハバロフスク市に面する部分はロシアに帰属することとなった。また内モンゴル自治区側のアバガイト島は中露両国に分割されることとなった。

 この国境確定は、プーチン大統領の力が大きいだろう。 交渉で譲歩しても、国内の反対世論を押さえられる、その上 政権も揺らがない力を持っていたからこそ 出来たのであろう。 どちらの国も 100%満足する 解決法はない。 それなら、 国境問題は 初めから起こらない。 いずれかが、 もしくは、双方が 譲歩しあってこそ、確定できる。 そういうのであろう。

 東京都知事がごときが、 口を出す問題ではない。 軽率に問題を処理しようとすれば、 数十万の軍隊を 対峙させるような事態も 起こりうるのである。 粘り強い交渉と、 それをなしえる時期を待つことも 必要であろう。 -- 日本が実効支配しながら、 時期が来るまで棚上げにしておくとの 周恩来首相との合意は それほど不利なものではない。--

 これほど、 話題になってくると、 あなたも私も、 尖閣諸島に関して、 自分なりの考えを持つようになろう。 もちろん、 私とは 別の考えであっても差し支えないし、 私の論陣の 弱点を発見され、 それを補って自分の考えにされても、 かまわないと思うが、 今 主流の 「マスコミの著名人や政治家」の 意見を 鵜呑みにするのは どう見ても 危険すぎる気がする。

 日本に 我々国民が 安心して その解決を任せられる 「政権」が出来たときこそ、 領土問題を 解決する時期であろう。  



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