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中山成彬議員の発言に沸く 「全体主義者」   創氏改名も、 植民地支配も 誤謬だらけの 論陣

 維新の会の 中山成彬議員の 国会質問が 話題になっている。 騒がれている 「論点」のうち、 私には よく理解できないことがある。 いずれにしても、 謝罪しない日本人という印象は 強烈に残るだろう。

中山成彬議員   ソウル市民が創氏改名に殺到する様子
          創氏改名に 喜んで殺到する 朝鮮人だったと、 国会で追及する 中山成彬議員

中山成彬議員
「創氏改名は朝鮮人が望んだと麻生さんが東大で講演し、朝日新聞でたたかれた。現在、使われている検定を通った高校日本史の教科書3つで、創氏改名を強制したと書いてある。しかし、氏の創設は自由だ、強制と誤解するな、総督から注意を促すという当時の朝日新聞記事がある。内地式に変更、締切後も変更できますという記事も。決して強制ではない。創氏改名に殺到しているソウル市民という写真記事も。平成15年に麻生さん発言した時は、これら知らなかったでしょ?(麻生副総理、うなづく) 今どう思いますか?」

 「創氏改名は強制でなかった」と中山議員や 「皇国史観の方々」は 言い張る。 実際はどうなのか。 当時の朝鮮人口は 2300万人。 登録申請期間(2/11~8/10)の初日、 行政機関の職員は 祝日を返上して 届出を待っていた。 ところが 当日の届出は たった48件 ! 

 日本側は 朝鮮人からの「熾烈なる要望」に応えて 創氏改名を実施した。 「 天皇陛下の 温かい思召しによって、 朝鮮人も 日本式氏を名のることが 許された 」という。 本当に そうであれば、 我先にと 役所へ申請にくるはずだった。 (この新聞の日付-- 期間後のもの --に注意)

 創氏届出の月別統計は、 戸籍総数428万2754戸のうち、 2月に届け出たのは 1万5746戸、 つまり全体の0.36%だけ。 翌月も 4万5833戸で 1.07%のみ。 半年間の届出期間の中間日、 5/20時点でも 届出総戸数は32万6105戸で、 総戸数の7.6%に過ぎなかった。

 危機感を抱いた総督府は 様々な弾圧に 乗り出した。 「創氏をしない者は、 非国民 もしくは 不逞鮮人 と断定して、 警察手帳に登録し 査察、 尾行 を徹底すると同時に、 優先的に 労務徴用の対象者にする。 あるいは 食料その他物資の配給対象から除外する。 行政機関に一切採用しない。 現職者も漸次免職 」 「 創氏をしない者の 子女に対しては 各級学校へ入学、 進学を拒否する。 教師が 叱責するなどして 児童の哀訴によって その父母が創氏するようしむける 」「 創氏しない朝鮮人の名札がついている荷物は 鉄道局や運送店が 取り扱わない 」 「 期限までに届け出なかった場合には、 戸主の姓を 自動的に “氏”にする(法定創氏)」 等々。 これによって後半3ヶ月で約300万戸を創氏させ、創氏率79.3%を達成した。 というのは ご存知ですか。

 確かに、 法律上 「強制ではなかった」 わけだが、 世界標準で見れば、 こういうものは 「強制」と 考えて差し支えない。 字面だけ追っても 仕方がない。 歴史の背後を 知っておくべきだろう。 官僚諸氏も 同様で、 「棚上げ論」が 文書として 日本の外務省にない、だけで  そういう事実がなかったとは 言えないだろう。

中山成彬議員
「下村大臣、教科書検定は事実に基づき行われるべきだと思います。3つの教科書、明らかに間違ってますよね。これで学んだ学生が大学入試で、創氏改名は強制と答えた場合、これは〇か × か? 大きな問題になる。本来であれば回収すべき。あるいは、これを使ってる学校へ正誤表を配布するなどしてもよいのでは?」

 こういう 質問に 歴史的な経緯を しっかり話せる 「勉強をしている官僚」が 必要だろう。 逆に 日本人が 「創氏改名」をいわれたとして、 昨日までの 「名前」を 捨てることを それほど 唯々諾々と 承知するはずがないことは 考えても 分かるだろう。 世界のどこでも … だ。

中山成彬議員
「午前中に(質疑で)辻元清美議員がいろいろ言ってた、いわゆる従軍慰安婦問題。官憲が介入したと誤解させた最初の記事は平成4年の(朝日新聞の)『慰安所 軍関与示す資料』。ところがよく見ると、悪徳業者が募集に関与しているようなので注意するようにという通達で、全く逆なんです。当時の朝鮮の道議会選挙、当選者の8割以上の人が朝鮮人。忠清南道の知事は初代、6代、8代、9代、10代、昭和20年に至るまで全部朝鮮人。他の道も同じようなものでした。この大田警察、ナンバー2の警部、高等刑事も朝鮮人。このような体制で、官権の強制連行は考えられないんじゃないですか」

 ここの部分が ネットで 話題になっている。 なぜ、 この部分が 話題になるのか、 「植民地支配」とは どういうものなのか、を 知らないのではないか、と 疑ってしまう。 どんな話がなされているか、 少し引用する。

テレビ業界で働いてる人間だけど「従軍慰安婦問題の否定」が削除の理由じゃないんだって。  そんなの他のテレビ局でもやってるし。  今回は何がヤバかったかと言うと  「朝鮮半島の議員、役人、警察は8割が朝鮮人」って写真付きの証拠がかなりヤバかったらしいよ。

へえええええ!そうなんだあ    じゃあ、従軍慰安婦否定はかなり広まってるから  今度は「朝鮮半島の議員、役人、警察は8割が朝鮮人」ってのを広めないとね

 「朝鮮半島の議員、役人、警察は8割が朝鮮人」     もしもーしっ!どんな植民地支配だよっ(激怒)
  植民地じゃなくて併合! 朝鮮人は当時、 日本人として扱われていたっつう 証拠じゃん 氏ね(激怒)
 まあ、議員・役人・警察が日本人だったら、売春婦を集めた悪徳朝鮮人業者が横行しなかったかもしれない!
 =騙されて売春婦になったニダ!の「慰安婦問題」はなかったかもしれない!


 たく、 朝鮮人を 重用してやれば この有様!  挙げ句、 苛烈な日帝植民地支配の嘘を 死守するために「朝鮮半島の議員、 役人、 警察は 8割が朝鮮人」 つう事実が

中山先生の質問は、どれもこれも朝鮮人には都合の悪い指摘ばかりだったが(感涙)
とりわけ「朝鮮半島の議員、役人、警察は8割が朝鮮人」これが拡散されたらまずいんだってーーーーー!!!


 この人々は、 時代感覚が 500年くらい ずれていそうだ。 植民地にしたら、 そこの住人を 「奴隷」として 使うのが 普通のように 考えている。 まさか … そんなことをすれば 反乱が起きる。 そんな 植民地支配はあるまい。 「朝鮮半島の議員、 役人、 警察は 8割が朝鮮人」 は おおすぎる。 文句を言う筋合いではない、とでも  言いたそうだ。 インドは イギリスの植民地だったが、 地方議員や 警官 役所の役人まで イギリス人のわけがない。 日本とて同様で 台湾も 植民地であったから そんなことをすれば 日本国内に 日本人がいなくなってしまう。

 植民地の統治機構は あまりいじらずに その収益を 本国に持ってくれば 良いだけの話だ。 こんな 道州の 市町村議員のような部門でも 8割しか 「朝鮮人」が いないことだけ とってみても、 介入のしすぎであったのだろう。 西村議員も そう考えているのではないだろうか。

 西村議員の主張は、 8割は 「朝鮮人」なのだから、 軍や国が 関与したのなら、 内部告発があったのではないか、 そういう主張のように受け取れる。 当時の 帝国軍の力から見て、 そんな事ができるとは なかなか思えないが …  

中山成彬議員
「 いま 慰安婦問題が 世界に広まってる。 ソウルの日本大使館の前に 慰安婦とされる 少女の像が。 アメリカでも 朝鮮人の多いニュージャージー州に 像が建てられ、 高速道路には大きな看板が出て、 日本軍が 女性を20万人性奴隷をしたと。 日本人にとって屈辱。 こういうことをさせてはいけない。

 だいたい 20万人もの女性をさらっていく、 その親たちは 黙って見ていたのか。 まして 、日本の兵隊さん、 世界一 軍律が厳しいと 世界から賞賛された。 もちろん 日本が遅れて列強の仲間入りをしたから 良く見られたいこともあったろうが、 根底にあるものは 武士道だったと思う。

 立派な戦いをしたのに、 こういったことで 侮辱されている。 看過しがたい。 安倍総理のお答えは入れないが、 ぜひ こういうことを皆で分からないといけない」


 1942年9月時点の 陸軍専用慰安所は 約400カ所で、 軍当局の要請により 設営された。 排泄処理機関として、1日に 15~20人 (地方では 80人から100人) の相手をさせられ、 また支払われた金銭 = 軍票 (正規の日本円ではない) は 終戦と同時に 貨幣としての価値を失い 紙屑同然となった。

 同じ 漫画家でも、 「小林よしのり氏」と 「水木しげる氏」では違う。 一方は 自分の体験を 漫画にしている。 漫画から 学ぶなら、 「水木氏」からだろう。

                                              『水木しげるの不思議旅行』 から引用
 終戦後、 ぼくが武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)へ通うために、 金がなくて、 月島で 魚屋をやっていたころの話である。

 仲間に 山野という男がいて、 彼は ぼくの顔を見るたびに、 姑娘(クーニャン)の話をするのだった。 姑娘とは、 中国語で “娘さん” というような意味だが、 中国大陸で戦った兵隊にとっては、 なんとなくなつかしい呼び名である。      ある日、 山野氏が 例によって姑娘の思い出を 話しはじめた。

 ーーそうやなあ、 わしが分隊長で、 ある村に行ったときのことや。 村長の娘が えらいべッピンや と聞いたもんやから、 兵隊連れて、 早速おしかけたんや。 なにしろ、 そのころは、 娘探すのが仕事みたいなもんやったからな。

 ところが、 村長は 「そんなもの、おらへん」 といいはる。 あたりまえやな、 いるちゅうと、 日本兵は 娘をつれていってしまうんやから。 それから、 どうされるかは、 いくらノンビリした中国人でも わかるわな。 村人もいっしょになって キーキーわめきたてるもんやから、 俺たちは、 結局手ぶらで帰らされた。

 せっかく来たのに 手ぶらやなんて、 おもろうないわな。 ムシャクシャしてるので、 倉の中に 一発ブッ放した。
 
 そしたら、 あんた、 倉の箱の中で、 コトッ と音がして だれかおるような気配がする。 すぐ開けさせて調べたら、 おった、 おった、 ものすごい美女がおるねん。 どうやら 村長の娘らしかったが、 広東の大学を出て 帰ってきたところだったらしいわ。

 村長以下、 涙を流しながら “連れていかんでくれ” いうとったが、 俺も含めてみな若い。 なにいいくさる!  てなもんで、 引き連れて帰ってきた。                          (引用終り)

 こういう 「事件」は、 日本兵の一部が 「勝手にやったこと」だと、 櫻井女史も 西村議員も 主張するのだろうが、 敗戦と同時に 日本国の 両肩にズシリと重くのしかかるのは やむを得まい。 戦勝国の兵が、 部隊でやってきて、 娘を出せ、といわれて 隠すことはできても、 正面きって 櫻井女史の言うように 「それは、 軍の命令ですか」 と 聞けるはずがない。 国家として やったことではない、 という強弁は 世界で通用するまい。 これは、 慰安婦でなくて、 強姦事件であるが、 この件を 「叫べば、叫ぶほど」  日本にとって 袋小路に陥っていく。


      陸軍軍医・早尾乕雄中尉が1939年に書いた報告書『戦場に於ける特殊現象と其対策』 より 引用

 「出征者の性欲を 長く抑制させることは、 中国人女性への暴行に繋がる と気をきかせ、 兵站(へいたん、補給機関)が 中国にも 早速に慰安所を開設した。 主な目的は 性の満足により将兵の気分を和らげ、 皇軍の威厳を傷つける 強姦を防ぐことにあった。 

 それでも 地方での強姦数は相当あり、 また前線でも 多く見かける。 内地(日本列島)では 到底許されぬことが、 敵の女だから自由になる という考えが 非常に働いているために、 中国の娘を見たら 憑かれたようにひきつけられて行く。

 従って 検挙された者は 不運なだけで、 陰には どれ程あるか解らぬと思う。 部隊長は 兵の士気昂揚のためと 見て知らぬ振りを通した ことさえあった。 日本の軍人は 何故にこの様に 性欲の上に 理性が保てないかと、 私は 大陸上陸と共に 直ちに痛嘆し、 戦場生活1年間を通じて 終始痛感した。

 しかし、 軍当局は あえてこれを不思議とせず、 さらに この方面に対する訓戒は耳にしたことがない。 軍当局は 軍人の性欲を抑える事は不可能だとして、 中国の女性を 強姦せぬ様にと 慰安所を設けた。 だが、 強姦は 非常に盛んに行われ、 中国の良民は 日本軍人を見れば 必ず怖れた。 将校は率先して 慰安所へ行き、 兵にもこれをすすめ、 慰安所は 公用と定められた。 心ある兵は 慰安所の実態(騙して連れてきた)を知って、 軍当局を冷笑していた位である 」 。          (引用終り)

 慰安婦報道は 「朝日」の捏造 などと、 最近 デマを流している輩が多いが、 朝日のような 「不勉強な記者」に 頼らずとも、 こういう 事実があった事を語った 証言は多い。 最近、 証言をするべき年代の人々が 他界したのをいいことに、 「皇国史観」なるものを 主張する 連中が増えている。 こういう人々でさえ、 スマラン事件だけは どうしようもない。 「それはともかく … 」と逃げずに、 これの釈明が 全世界にできる 「理論構築」をして、 初めて 問題の提起をするべきであろう。 この件に関与した兵隊は、 日本軍としては 処罰していないばかりではなく、 その後 「出世」までしている。

 処罰するほどの 重要事件と認識しなかったのか、 余りにも多すぎて 一々処罰することができなかったのかの いずれかだ、と指摘を受けても 返答すら見つからないだろう。

 直接 日本軍が 女性をトラックに詰め込んで 慰安婦にした インドネシアでの “スマラン事件(白馬事件)” の概要は、 1944年2月、 民間抑留所に トラックで乗り付けた軍人たちは 17歳以上の独身オランダ人女性を整列させ、 16人の少女を ジャワ島スマラン慰安所に連れ去った。 彼女たちは 高級将校専門の慰安婦にされ、 軍刀で脅迫され暴行を受けた、 というものだ。

 戦後の戦犯法廷で、当事者の大久保大佐が公判中に自殺、池田大佐が発狂、岡田少佐は死刑、能崎中将が懲役12年となった。 もし、 日本軍が 「皇国史観の方々」の主張のように、 それ以前 (以降も含めて) に 一度も 軍隊の組織的な 慰安婦狩りが ないのであれば、 これは 「皇軍の威信」を 揺るがす 大事件な訳で、 軍法会議にかけ 「天皇の名を汚した罪」で 死刑でも おかしくはあるまい。

 ところが、 実際は 全くのお咎めなしで、 出世すらしている。 彼らが 罪に問われたのは、 敗戦後の 「オランダの軍事法廷」であった。 時々、 思い出したかのように 首相や 外務省が 

 「 この問題は 当時の軍の関与の下に, 多数の女性の 名誉と尊厳を 深く傷つけた問題であるとして, 心からのお詫びと 反省の気持ちを表明し, 以後, 日本政府は 機会あるごとに元慰安婦の方々に対し, 心からのお詫びと反省の気持ちを表明している。 」 (外務省ホームページより)

 などと 口先だけ述べても、 翌日には 真反対のことを 識者が 公の場で 発言する。 もう、 いい加減に 直らないのか。 こういう 発言は 「禁止」したほうが、 彼らのスキな 「国益」に かなうというものだ。

                               長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社
 東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。

 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……

                                      須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」
 スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……

 「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。

                              ■菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』
 帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。

 なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。          (引用終り)

 こういう 実体験を 話そうという機運に、 なったことがある。 戦争が終わって 随分たって 高齢となり 語り継ごうとした動きだった。 しかし、 マスコミが 実名や住所等も報道したため、 昼夜を問わず 電話による妨害があったと いわれている。

 「なぜ、 今さら 日本の恥になることを言うのか。 そんなことは、 墓場に持って。」「非国民」などの言葉が、 高齢の夫婦を襲った。 警察に相談しても、 「民事不介入」の原則を立てに 保護はしてもらえなかった。

 そういう 妨害にめげず 発言しようとする人々に対して、

 「お前には、 家族はいないのか。 子や孫は どうなってもいいのか。」 そんな電話まであったという。 残念な事だが、 こういう 機運は 急速に消えた。 彼らは、 墓場まで その話を持っていってしまった。

 今となっては、 聞く由もないが、 彼ら 「語り部」がいなくなって、 「皇国史観」の勢力が増してきたことだけは 確かなようだ。 今、 この論戦を主導している人々は、 実際の戦争を 戦った人たちではないのだから …

              大東亜戦争 日本 領土
          これだけの領土が 日本の自衛のために必要だと、 世界の誰が 理解できるのか。 

                               

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