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教科書法を作るという  自民党の 「歴史修正主義者たち」   教育に 国家が 介入すると  政府に都合の良い 若者しか生まれてこない。

 昨日 「東京都の 独自の 歴史テキスト」に ある  「マッカーサー証言」に 疑問を呈したばかりであるというのに、 今日のニュースでは 自民党が 「教科書法」を 作るという。 本当に 国民は そんなことを望んでいるのだろうか。

                                                    2013/06/12  テレ朝 ニュース  
   「教科書法」の 制定

 教科書の内容に国がどこまで介入するのか議論を呼びそうです。

 自民党教育再生実行本部・萩生田副本部長 : 「 (教科書の)検定制度や採択や執筆の在り方、 文科省の取り扱いとかを すべて包括する法律の必要性が あったほうが良いのではないか 」

 自民党の教育再生実行本部は、 「自虐史観にとらわれたり、 尖閣諸島の記述がない教科書がある」 などとして、 教科書検定の在り方などを定める 「教科書法」 の制定を目指す提言を 取りまとめました。 特に近現代史について、 「学説が確定しない事項は 確定的に記述をしない」 などとしていて、 政府が 教科書の歴史認識に踏み込みかねない内容と なっています。                                                    (引用終り)


Afternoon Cafe さんかは、 この件に対して次のように書いている。

 そもそも「自虐史観」という用語は、 世界から非難の的になっている 日本の歴史修正主義者が使う 用語ですが、 それを 政権政党が 国会でも当然のように用いている 驚くべき 異常事態なのです。

 学説的にも 既に確立した 疑いようのない歴史的事実を 「自虐だ」 「偏向だ」 と敵視して、 慰安婦の強制性を否定したり 南京大虐殺を 過小評価するという 歪曲をしなければ 検定をパスさせないというのは、 地動説を 「反科学的学説」 と名付けて、 天動説の方が正しいと書かなければ 検定を通さない、 といってるのに匹敵するトンデモです。

 教科書法の詳細は まだわかりませんが、 「つくる会」以外が作成する 教科書も 全て内容を「つくる会」に準じたモノに 統制しやすいように法制化するなど、 民主主義国では考えられないことです。

 ドイツで、 ホロコーストを否定する説を あたかもまともな学説であるかのように掲載しないと 教科書として認められない、 など、 およそ考えられないことですが、 そのあり得ない事態が 現実になっているのが 日本です。(引用終り)

 ここ何度か、 教育についての話題を 期せずして書いたが 日本における 歴史教育の 危機的状況は 我々の想像を超えたものとなっている。 この教育の問題は、 歴史修正主義が 国民の間に 広がる一助となっている。

 ところで、 なぜ、 一部 「右翼」と称される それを生活の種としていた人々の間でしか 話されていなかった 歴史修正主義が 広まってしまったのか。 それは、 これらの言論が 「バラエティ番組」で、 UFOや 火星人の話題、 芸能界や その他のスキャンダルといったものなどと 一緒に 「お笑い」の中で 繰り返し放送されたことにある と思っている。 まともな 歴史学者や 専門家は その番組の全体の内容からみて、 生真面目に反論するのが 恥ずかしいような 番組で 放送されてきた。

 コメンテーターも、 落語家、 お笑い芸人、 何も知らないような女優などを配し、 明らかに 反論しにくい雰囲気を作り、 〇×式の回答で、 ワッと 終わらせてしまう。 一方的に意見を言ったり、 聞いたりして 終わりだ。 どれ一つを 証明するにしても、 数時間はかかろうかというものを ものの10分もやって、 最後は 「お笑い」てきな まとめで 終了する。

 なるほど、 「嘘も 100回言えば 本当になる」とは、 よく言ったものだ。 もう少し、 「歴史修正主義者」が 主張していることを しっかり 検証する番組を作ったらよい。 日本の その分野の専門家だけでなく、 世界の 歴史学者も呼んで、 国際的に 耐えうるかどうかを 検証することは、 今 「この手」の番組を放送している テレビ局の 責任ではないだろうか。

 ここ1ヶ月くらいで 次のような 「歴史授業案」に対して、 私は 疑問を投げかけてきた。

社会科の補助教材である 東京法令出版 『グラフィックワイド歴史』には、

 日本海海戦では, 指揮官としてすぐれた力を発揮し, 勝利へ導いた。 そのため東郷の名は, フィンランドで, ネルソンらとともに著名な提督の名をつけた ビールの商品名になり, 現在も売られている。とあり、

 ビール瓶のラベルを 教室で見せて 伝説に沿ったストーリーを教える 社会科授業の様子を記したWebページもある。 「フィンランドは親日」 という話になると 引き合いに出されるのが常で、 著名な ジャーナリストや政治家でも 「東郷を讃えるビール」 などと 平気で書き、 さらには 「東郷はフィンランドの英雄」 とか 「フィンランドの 歴史の教科書に出ていて フィンランドの子供は みんな知っているのに なぜ日本の歴史では 教えないのか 」 なんて意見もある。

 こういう話は 「日本」だけではすまない。 「 日露戦争で 日本が ロシアのバルチック艦隊を破ったときに、 ロシアの統治下にあった フィンランドが、 それを 我がこと のように喜び、 大日本帝国海軍提督の 東郷平八郎にちなんで 『トーゴービール』 が作られ、 また勇気付けられて 独立に向かった。」 

 ところが こういう 「風説」は 全くでたらめで、 フィンランド大使館から 「正しい歴史認識こそ、 両国の友好に繋がる」と 抗議を受けたのである。    (→ 詳しくは 5月21日 ブログ参照)

 また、 5月20日には、 中学2年 歴史の授業案 なるものの中で、 次のような記述を問題にした。

発問6 インドネシアの人は独立記念日に、日の丸もかかげることにしました。なぜ日の丸もかかげているのですか。


語り1 インドネシアが日本領だった時代、この地域の発展に力を注ぎました。インドネシア語で教育し、インドネシア人   の軍隊を作っていたのです。 それまでのオランダの支配とは全く異なっていたのです。

語り2 日本が敗れ、再びオランダに支配されるようになった時、インドネシア人と協力し、オランダと戦った日本人もたく   さんいます。

 これでは、 日本国旗の掲揚が 「事実」として、 語られている。 そんな馬鹿げた 話はあるまいと 調べた経緯を書いた。 -- 自国の独立記念日に 他の国の国旗も 掲げるなど あり得ないと 思ったから --

 こんな授業を受けたら、 「中学生たち」は、 インドネシアでは 日本は 崇拝されている、 と感じるに違いない。 -- そんな風に 思われている 戦争が 「間違った戦争」だとは 考えにくいと 思うだろう。--

 次のような話が この授業に続いて 語られたら、 まず、 上に書いた事柄は 真実だと 中学生に 充分すぎるほど 伝えられる。

                  【インドネシア】 モハメッド・ナチール元首相

 アジアの希望は 植民地体制の粉砕でした。 大東亜戦争は 私たちアジア人の戦争を 日本が代表して敢行したものです。 大東亜戦争というものは 本来なら私達インドネシア人が、 独立のために戦うべき戦争だったと思います。 もしあの時、 私たちに軍事力があったなら、 私たちが 植民地主義者と戦ったでしょう。 大東亜戦争は そういう戦いだったんです。


                  【インドネシア】 アラムシャ 元第3副首相

 我々インドネシア人は オランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、 350年間に亘り 幾度か屍山血河の闘争を試みたが オランダの 狡知なスパイ網と 強靱な武力と 苛酷な法律によって圧倒され 壊滅されてしまった。 それを日本軍が到来するや、 たちまちにして オランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。 インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。


                  【インドネシア】 ブン・トモ 元情報相

 我々 アジア・アフリカの有色民族は ヨーロッパ人に対して 何度となく独立戦争を試みたが 全部失敗した。 インドネシアの場合は、 350年間も失敗が続いた。 それなのに、 日本軍が 米・英・蘭・仏を我々の面前で 徹底的に打ちのめしてくれた。 我々は 白人の弱体と醜態ぶりをみて アジア人全部が自信をもち、 独立は近いと知った。 一度持った自信は 決して崩壊しない。 そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、 我々がやらねばならなかった。 そして実は 我々の力でやりたかった。
 

                  【インドネシア】 サンバス長官

 日本の戦争目的は 植民地主義の打倒であった。 その目的の大半は達成したが、 南アフリカ、 アジアにまだ残っている。 そんな時に行った村山演説は、 植民地主義打倒の悲願を 放棄したことになる。 村山さんは 日本の果たしてきた歴史を踏まえ、 アジア・ アフリカの悲願を代表して、 まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。 かつての日本は、 スカルノ、 ハッタ、 バー・モウ(アウンサン)、 ラウレル、 アキノ、 汪兆銘、 チャンドラ・ボース等を応援したのに、 たった一度の敗戦で 大切な目的を忘れてしまったのは 遺憾である。

 ところが、 インドネシアの 「中学 高校の 歴史教科書」 には、 次のように 当時のことが 記述されているのである。

-- 中学教科書 -- インドネシア占領時代、 日本は西洋(ヨーロッパ)的な事柄を 日本的な物へと変えていった。 道路は新しい名前を与えられ、 "バタヴィア"市は "ジャカルタ"市へ変更された。 インドネシア民衆の共感を得るため、 また それを確実なものにするため 日本が実施したプロパガンダの一つは、 日本民族とインドネシア民族は アジアの新秩序を作り上げる大戦争の 戦友である というものだった。 しかしながら、そういった プロパガンダの試みは 度々失敗の憂き目を見た。 なぜなら、 強制労働、 米の供出義務、軍警察(憲兵隊のこと)の恐怖、 殴打、 暴行、 日本人に対するお辞儀の義務 といった 日本の占領下における 苦い現実があったからだ。

-- 高校教科書 -- 日本は 戦時下に インドネシアを占領した。 経済諸資源は、 戦争が必要とするものを支援するために 動員された。 そして、 その行政管理の担い手は 軍人たちだった。 それゆえ、 日本による占領期間は短かったとはいえ、 長期にわたったオランダ時代に受けたよりも 遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。

 また、 インドネシアで 駐在の経験がある方によって、次のような証言もなされている。

 以前インドネシアに駐在していました。 残念ながら 日本の国旗 を掲揚するところは 見たことがありません。 おっしゃるように、 独立記念日に 他国の国旗を掲揚することはないですよね。 韓国や 中国ほどでもありませんが、 反日感情を持った人もいますよ、 「 自分のおじいちゃんは 日本軍に首を切られた 」 とか言ってくる人もいました、 でも 親日の人の方がより多かったですね。

 親日の人が多い 「インドネシア」で、 なぜ 満足できないのか。 日本を 「崇拝している国」として 規定する必要はあるまい。 敗戦後の 「焼け野原」から、 現在の 経済大国へ 発展したことを 尊敬しているのである。

 みなさんは、 インドネシアを どう見ているのだろう。-- なお、 ここに引用されている インドネシアの著名人の発言については、 どういう場所で いつ、 どんな目的でなされたのかを 検証していくつもりです。 --

 「大東亜戦争」が、 正義の戦いであった、 という 「歴史修正主義」に対し、 次の2点については 偶然 検証済みであったので、 もう一度 記録しておく。

                                               世界の軍関係者の靖国神社参拝  より 引用

                【アメリカ】         マッカーサー元帥

 昭和25年10月 トルーマン大統領に対して 東京裁判は誤りであった と告白。 さらに 昭和26年に 米国上院において 「 日本がおこなった戦争は  正当防衛であり 侵略戦争ではなかった 」と公式に 証言。

 -- 事実 -- 民主党のトルーマン大統領によって 首になった (中国攻略の方法で 意見が対立) 共和党の マッカーサーに対し、 共和党が その弁明の機会を与えたものである。 マッカーサーは 共和党の大統領候補の 一人であった。  この文章の発言は、「Question No. 5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific? という問いに対しての 答弁の一部であり、 ( --日本語訳 -- 5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。 ) マッカーサーの 中国を経済封鎖する 作戦は 間違いではないのではないか、 と 共和党議員が 質した際の 発言である。 

 そこで、 アメリカが勝利した 対日戦略を話し、 日本の 戦争突入の事情を 述べたに過ぎない。 

  Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

 この答弁を 「 日本がおこなった戦争は  正当防衛であり 侵略戦争ではなかった 」と公式に 証言。 とすることは、 余りにも無理があると 言わざるを得ない。 こういう 日本語訳で 主張するから、 なかなか 原典が どこなのか、 探すのに 苦労する。 

           【タイ】     ククリット・プラモード 元首相

 日本のお陰で アジアの諸国は すべて独立した。 日本というお母さんは 難産して 母体をそこなったが 生まれた子供はすくすくと育っている。 今日、 東南アジア諸国民が アメリカやイギリスと対等に話ができるのは 一体誰のお陰であるのか。 それは 『身を殺して仁をなした』 日本という お母さんがあった為である。 12月8日は 我々に、 この重大な思想を示してくれたお母さんが 一身を賭して 重大決意された日である。 更に 8月15日は 我々の大切なお母さんが 病の床に伏した日である。 我々は この2つの日を忘れてはならない。(12月8日 「サイアム・ラット新聞」)

 この話も、 偶然 「教科書問題」を 扱ったときに 調べていたものであった。 もう一度 おさらいをしておこう。 ククリット・プラモードは、 イギリスに留学して、 帰国し 「タイ語」の新聞である 「サイアム・ラット新聞社」を 作った。 タイは 第2次大戦で 最終的に 日本と 「軍事同盟」を 結んだ 数少ない 「枢軸国」である。

 この文章の 原典は 名越二荒之助氏の 『世界に開かれた昭和の戦争記念館第4巻・大東亜戦争その後』であるが、 そこでさえ、一九五五年(昭和三十年)六月に元タイ駐屯軍司令官であった中村明人陸軍中将がタイ王国に国賓待遇で招待された時、同紙に発表した記事とある。 首相になる 18年前、 さらに 当時は 政治家でもなく、 新聞記者としての、 歓迎記事の一部である。 そういうものが、 ククリット・プラモード 元タイ国首相と 表現される。 これが、 「歴史修正主義者」の 恐ろしいところである。


 何故 教育に 政治が介入してはならないか。 何故 政治から 独立していなければならないか。その考えに責任をもてない間に、 一般に認められている 学説以外を それが 「さも 真実であるかのように」 教えることは 避けねばならない。

 戦前 国家が教育を統制することによって 国民を軍国主義に駆り立て、戦争に発展した。  国家権力に 都合のいい 解釈を 教え込み、 自由に物を考えることを 否定した。 その結果が あの敗戦であることを 若い世代に 伝えなくてはなるまい。


                               


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