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歴史問題と和解への道――安倍政権への提言 -- 小菅 信子 -- に 賛同する。  日中韓とも、 勝手な 「我田引水」に 終止符を打とう。

 最近の 『慰安婦問題』 『南京事件』 『戦争責任』 の 議論の様子を見ると、 本当に危なっかしいものになってきている。 1年程度 この議論を 専門家に任せて、 徹底した 史実を元に 結論を出すべきではないかと思う。 もちろん、 各国とも その結論に従うことを条件に 各国代表で 委員会を設立するなどして、 この論議に 一定の箍 (たが) をはめないと ナショナリズムを煽るだけでなく、 戦争にまで 発展しかねない様相だ … そういう意味で 小菅 信子 氏の 提案は 価値あるものだと思う。

  歴史問題と和解への道――安倍政権への提言 - 小菅 信子
                                                2013年08月12日 BLOGOS 抜粋引用

歴史問題をめぐって、国内的にも対外的にも混迷が続いています。どう考えても、日本にとっても、近隣諸国にとっても、国際社会にとってもよいことであると思えません。この論稿では、第二次世界大戦の終結から68年を経た「8月15日」を迎えるにあたって、あらためて歴史問題の解決と和解への道について模索しつつ、安倍政権に提言をしたいと思います。

最も重要なことから書きます。安倍政権への具体的な提言です。「安倍談話」を発表し、同時に「安倍構想」を立てることです。

「安倍談話」はともかく、「安倍構想」とは何でしょう。それは、1994(平成6)年8月31日の村山富市内閣総理大臣(当時)の「談話」にもとづき、戦後50周年に当たる1995(平成7)年度を初年度とする日本政府の10か年計画として発足した「平和友好交流計画」の新バージョンです。

「村山構想」としての「平和友好交流計画」は、1994年8月31日の「村山談話」における以下のような基本的な考えにもとづいて遂行されました。

我が国が過去の一時期に行った行為は、国民に多くの犠牲をもたらしたばかりでなく、アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒し難い傷跡を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これから日本の歩むべき進路であると考えます。

我が国は、アジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視しなければなりません。日本国民と近隣諸国民が手を携えてアジア・太平洋の未来を開くには、お互いの痛みを克服して構築される相互理解と相互信頼という不動の土台が不可欠です。


より具体的に説明いたしましょう。私は、さまざまな歴史問題群のうち、とくに、日本軍による敵国捕虜・抑留者の処遇問題を中心に考察をしてきました。現在とくに政治問題化している「慰安婦問題」にアプローチしていくさいにも、単純な比較は決してできませんが、すくなくとも参考例にはなります。

たとえば、日英間では、オランダやオーストラリアさらにはニュージーランド等と同様に、第2次世界大戦中の日本軍による捕虜処遇問題が「平和友好交流計画」では焦点となりました。

実は、第2次世界大戦にさいして欧米連合軍のなかで、日本軍に最も多数の捕獲者を出したのは、英国軍でした。1946年6月の英国政府資料「コマンドペーパー第6832号」によれば、第2次世界大戦で英国(連合王国)から参戦した将兵は、総勢で468万3443名にのぼりました。このうち、戦死者は26万4443名、全軍の戦死率は5.6%でした。ドイツ軍とイタリア軍に捕らえられた英軍捕虜の死亡率も、おおむね5%でした。

これに対して、『極東国際軍事裁判速記録』が示すように、日本軍の捕虜となった英軍将兵の死亡率は25%でした。25%という死亡率は、英国軍が第2次世界大戦中に経験したノルマンディ上陸作戦やビルマ戦のような過酷な戦闘と比較しても、はるかに高い数値です。このことから、英国では、第2次世界大戦で英軍が被った最悪の損失は、日本軍の捕虜収容所で引き起こされたという印象が、戦争をめぐる記憶として形成されていくことになります。

日本軍の捕虜虐待は、戦後ひきつづき、英国をはじめとする欧米諸国と日本とのあいだの「苦い記憶(ビター・メモリー)」であり続けました。とりわけ英国では、戦後、一般の英国人が日本についてほとんど何も知らない状況で、日本軍の捕虜虐待は、「日本人=残虐」という先入観と偏見を生みだす「歴史的な」根拠となったのです。-- なかでも3万を超える英国人が日本人のもとで「奴隷労働」を強制され、このうちの2割が落命したという泰緬鉄道建設事件は、英国人の集合記憶のなかできわめて特異な地位を占めたのです --

捕虜問題は、折にふれて英国メディアの対日批判のエピソードとなり歴史的根拠となり、日本政府はもとより日本と日本人に対する不信と偏見をしばしば煽りました。

エリザベス女王の夫君フィリップ殿下の叔父で、はげしい対日戦線がくり広げられたビルマで東南アジア連合軍最高司令官をつとめ、1947年に伯爵に叙されたマウントバッテンが、天皇との面会を取り消して英国の大衆の喝采を浴び、昭和天皇が英国で植樹した木を何者かが引き抜くという事件も起きました。昭和天皇の重体報道・崩御の際にも、とくに英国では大衆紙を中心に辛らつな批判が繰り広げられました。1995年の「対日戦勝50周年」――日本代表が英国政府主催の平和と和解の式典に招待されることはありませんでした。

一方、日本では、第2次世界大戦期の欧米人捕虜処遇問題については、メディアの関心は日韓・日中間の歴史問題と比較すると希薄で、本格的な歴史研究の開始も遅かったと言わねばなりません。

内海愛子氏が『日本軍の捕虜政策』(青木書店、2005年)で指摘するように、戦後、連合国による戦争犯罪裁判が終了すると日本人の関心は薄れ、その研究もさまざまな制約のために進展しませんでした。

日本では、戦前・戦中期は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」、日本兵は生きて捕虜にはならないということで、戦後は戦後で「戦争をしないのだから捕虜にはならない」ということで、理由は異なるものの、一貫してこの問題への関心は低かったのです。

また、がいして日本人のなかに、「東南アジアにいた連合国兵士やその家族を植民地支配の担い手とみなして、アジアの被害者と区別する心情」があったことを指摘しなくてはなりません。

1990年代から今日に至る「加害の歴史」の直視への真摯な動きのなかでも、「慰安婦問題」や毒ガス・細菌兵器の使用などの「隠された戦争犯罪」、昭和天皇の戦争責任などへの関心は、しばしば、アメリカの冷戦期対アジア政策への批判と表裏一体をなしました。

さらに、東京裁判が同様に不問に付した植民地支配のような「裁かれなかった犯罪」についての関心には、自国の過去のみならず欧米の帝国主義支配や植民地主義への批判がともないました。日本人にとって自国の「加害者としての側面」をみつめることは、しばしば欧米連合国の過去の犯罪的行為を問うことと等しかったのです。

こうした心情を日本人が抱くのは当然ともいえますし、日本の加害をグローバルな広がりのなかで普遍的なものとして位置づけていくこと自体に問題はもちろんありません。しかし、こうした思潮のなかでは、ひるがえって、日本はアジア諸国にいっそう大きな苦痛と犠牲を強いたのであるから、まずアジア諸国との問題を考えるべきだとする心理が働き、結果として、日本の戦争の記憶をめぐるさまざまな問題のなかでも、第2次世界大戦期の日本軍の欧米連合軍捕虜・抑留者処遇問題を、いわば副次的なテーマにしてきたきらいはあったでしょう。

過去に何があったかを、可能な限り、正確に知る努力が行なわれていることは、そうした努力が成功に結び付くか、失敗に終わるかという近視眼的な興味よりもはるかに重要です。これに関連して、日本軍の元捕虜だった英国人画家のチョーカー氏は次のように語っています。


不愉快な真実を認め、受け入れ、そしてそこから学びとる勇気こそ、人びとが理解し合う上で不可欠な部分です。そうした勇気こそが、多くの日本軍の捕虜であったイギリス人と日本人の間で近年広がった温かな結びつきに不可欠な部分となっています。事実を意図的に無視することで、曖昧さや不誠実な表象、憶測や敵意の継続が助長されてしまうのです。 」( 「手記/日本の読者の皆様へ」『歴史和解と泰緬鉄道』38ページ)

私が、あえて「談話」よりも「構想」についての話に的を絞るのは、歴史研究/教育/学習が、今日的な意味での和解への道を築く本質的な部分だからです。

まさに日本における歴史論争に観られるように、日本の歴史研究者のなかにも、南京事件や「慰安婦問題」のように見解の相違が出てきます。

政治家の意図的な、あるいは意図しない言動も歴史問題の外交的解決に大きな影響を及ぼします。ある政治家のある言動の動機が何であれ、私人としてであれ、公人としてであれ、戦争と戦争犯罪についての日本・日本政府・日本国民の歴史認識の誠実さを疑わせる結果を招いてしまうことさえあります。そして、歴史問題の和解へのプロセスを挫折させたり、よい雰囲気や動機、やる気を抑制したりしてしまうのです。

歴史問題の和解への道は、これまでもそうだったように、これからも決して平坦なものではないはずです。和解は美談やロマンティックな物語ではありません。地味で、忍耐のいる、一触即発の危険な課題なのです。要人や政治家がすこしでも不注意な発言をしようものなら、ただちに反感が高まるでしょう。さらに、インターネットが発達し、誰でも世界に向かって情報発信ができるようになった今日、問題は要人や政治家だけでなく、その支持者や批判者にもあてはまりうるようになってきました。センチメンタルな感傷や主観的な熱心さ、政治的・経済的配慮による妥協の上には、安定した和解への道を拓き築くことは難しいのです。

和解は、実証にもとづいたもの、歴史にもとづいたものであって初めて、相互理解を促し、反感を生み出してきた過去についての誤解を克服できるのです。そして、歴史研究者は、証拠を探求し、戦争について叙述するさいにとりわけ世上に流布している歴史記述の歪曲を分析することができます。もちろん、歴史研究者自身が批判の対象になることもあるでしょうが、それはむしろ和解への道における「歴史研究者の使命」の一環なのです。  -- 中略 --

おわりに――歴史と和解

和解は、国家による反省や謝罪の表明にとどまらず、実証的な歴史研究にくわえて、国家規模の交流事業をそのプロセスに包含するものとなりました。関係諸国による歴史をめぐる価値観の再検証を含め、多様で多彩で持続的・継続的な努力が続けられていることが、和解のためにもっとも肝要です。お前もやったではないか?(ラテン語でtu quoqueといいます)」という反論的質問をひたすら積み重ねても、和解にいたることは困難で、ときに和解のためには逆効果です。

今日、実証的な歴史研究が和解プロセスの核心を占めるようになりました。歴史学者は、その方法論ゆえに、和解プロセスにおいて不可欠な役割を果たします。感情の摩擦や偏見を産み出し、ステレオタイプを再生産してきた「過去」についての誤解を克服するために、つねに根拠や論拠を探求し、戦争や植民地支配について世上に流布している歴史記述の歪曲を分析することは、歴史学者や歴史教育者、メディアに関わる人びとでなければできないことです。

草の根には草の根にしかできない交流があり、青少年には青少年にしかできない交流事業もあります。女性が平和構築に関わることは大変意義あることであり、今日においては必須です。そして、いま、「村山構想」の開始当時にはじゅうぶんに普及していなかったインターネットやSNSというツールもあります。

安倍政権には「安倍構想」の検討を強く望みます。                       (引用終り)
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