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終戦後 すぐに行われた 「 機密重要書類焼却 」 の実態  命がけで 歴史を残した 長野県の今井村

 長くこのブログを読んでいただいている皆様は ご存知と思うが、 私は 「慰安婦や南京事件」で 『櫻井よしこ女史らの 右翼勢力』の意見に まったく同調しない。 『櫻井女史』が いかに 「日本の公文書に こうあります」と 声高に主張しても まったく意見を変えることはない。 若い世代の皆さんの中には、 「なぜなのか、 単に意固地になっているだけではないのか」と 思われている方もいるやも知れぬ。

 これは、 マスコミにも大きな罪はあると思うが、 日本では 『ポツダム宣言受諾の方向』が 決まった瞬間から、 軍部と官僚は 戦後 「戦犯としての責任」を 問われることを恐れ、 一切の資料を 焼却してしまった。 このことを しっかりと記憶しておかねばならない。 最近では ほとんど マスコミもその点に触れないが、 日本に残っている 公文書といわれるものは 余程「日本に都合がよいから」 残っているに過ぎないのであって、 いささかでも 心配あるものは 処分されてしまっている。 次のブログは そういう事で書かれた訳ではないが、 大変な苦労 (身の危険を冒して)をして、 戦時中のポスターを 長野県の阿智村の 原 弘平 元村長が 『尊い教材になると考え、命がけで蔵に保管した』ことを 紹介しているものである。 -- 引用中 ポスターは 当ブログが 他から選んで 挿入した。--

                                                            季節の変化 さん 引用
 昭和20年(1945年)8月15日に終戦、 昭和20年9月2日に無条件降伏をした。

 「機密重要書類」を焼却せよ、の通達は、昭和20年8月18日の発行である。  昭和20年8月15日の終戦の3日後で、 昭和20年9月2日の無条件降伏の前になる。 軍・政府はあわただしく動いた。

「機密重要書類焼却の件」(写真 左)では、 「各種機密書類」、「物動関係書類」、 「統計印刷物」などの、焼却を命じている。 そして、学校や各種団体に通達すること、 この通達そのものも焼却することを命じている

  「機密重要書類」を焼却せよ、という通達
                                                    「松本市文書館」蔵 (松本市)
 政府は1945年8月14日に、 「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。  戦争はなかったものにしようと、 戦争に関する一切の資料を焼却して、  戦争を歴史から消し去ろうとした。  軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだ。そして、軍関係、町村役場、学校、地域では、 数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した

 「機密重要書類焼却の件」とは別に、昭和20年8月21日に、 「戦争ポスター」は焼却せよ、という通達を、わざわざ出している。 「機密重要書類」は焼却せよ、の通達は昭和20年8月18日だから、 「戦争ポスター」は焼却せよ、の通達は3日後である。

 そして、学校や各種団体に通達すること、 この通達そのものも焼却することを命じている。 「戦争ポスター」があったことの公式文書である。

 「機密重要書類焼却の件」と、 「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件 (写真 右)」は、  長野県東筑摩郡の今井村役場(現在の松本市今井)の、 「昭和20年 庶務関係書類綴」の中に入っていた。 この「昭和20年 庶務関係書類綴」は、 終戦60周年の2005年8月に、 「新宿歴史博物館」の「平和展」に展示された。

 「昭和20年 庶務関係書類綴」が、 2005年8月に展示されたのを契機に、 ほかの県や市町村から、調べなおしたところ、 「わが県でも、『機密重要書類焼却の件』や、  『大東亜戦争関係ポスター類焼却の件』が見つかった」とは、聞いていないから、 他県では完全に焼却したのだろう。 「機密重要書類」を保管するという、危険を冒すようなことはできなかった。  当時、軍は絶大な権力を持ち、逆らうことは恐怖であり、  自治体の長であっても、身に危険がおよぶ。

   戦争ポスター
                                          靖国神社信仰は こうやって 国によって創られた

 戦争に関する一切の資料、一切の歴史を焼却したから、  各県の「県史」は、戦争時期の歴史、記述はなくなっている。 それか、聞き取り、個人の日記や記録、写真に頼った「県史」になっている。

 「長野県史」を見ると、昭和14年~昭和20年の統計資料には、抜けが多い。 みなさんの「県史」はいかがでしょうか? 歯抜けか、統計表自体がないと思う。

 宮崎県に「県経済史」がある。 「国力を推定できる統計資料は、すべて焼却せよ、内務省」という電報が宮崎県知事に届いていた。 しかし、  膨大な統計資料は、宮崎県再建の指針となる、と考えた職員は、自動車で家の納屋に運び込んで隠した。 その結果、「県経済史」を作ることができた。  統計資料以外の「機密重要書類」は、  県庁横の広場につくったごうで、  斧(おの)で壊し、火をつけ、一週間かけて灰にした                  (引用終り)

 東京から見れば、日本の西の果て 九州の さらに田舎の 宮崎県ですら、 終戦と共に 「戦争に関連した書類」を燃やすのに 7日間かかった。 全国津々浦々 都会も 農村も 学校も 各団体も すべて燃やしたのである。 そして、 『燃やせと命令した書類』すら、 指示通りに 燃やしてしまった。 戦争で死んだとされる 「日本兵の死因」が 実際は何であるのか、 (防衛大学が) 統計され取れないほどなのだ。 特高も 憲兵の資料も 日本には 余程のことのない限り 残っていない。 だから、 『治安維持法で死んだのは 小林多喜二だけ。』などという ばかげた論説を書くものも出てくる。

 また、 秘密保護法なる 法律を作るのだそうだ。 「41万件」も 秘密にしなければ 国防ができないと のたまっている。 地図には 送電線の鉄塔の場所が 載せられなくなっている。  -- 以下 毎日新聞 引用 -- 

 送電線や鉄塔などは航空写真では確認しにくいため、国土地理院は昨年末までに電力各社に位置情報の提供を求めた。 ところが、いずれも「保安対策上の問題」を理由に提供を拒否されたという。 関西電力の担当者は毎日新聞の取材に対し、「位置情報がテロなどに悪用される恐れもあり、詳細な情報は提供していない」 と話す。

 そのうち、 風景写真に 鉄塔でも写っていようものなら、 『スパイ防止法違反』かなんかで 逮捕されるかもしれない。 第二次大戦終了時に 国の指導層が 何のために どういうことをしたのか、 国民は忘れてはならない。

 一度 騙されるのは 非難されることではないかも知れぬが、 同じ相手に 二度騙されたのなら 歴史を学んでいない、 と 非難されよう。 三度 騙されるのなら、 共犯と言われても 不思議ではない。

 国家権力を 国民は常に チェックすべきであって、 国民を国家権力が 監視することは 正に『あべこべ』であるのだが、 権力を握ると どうも そうしたいらしい。


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