スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

なぜ、 ドイツ国民は 熱狂的に ヒトラーを支持したのか。 第2回     福祉政策と 貧困対策、 大幅な減税を 強力に推し進めて 経済を回復させた ヒトラーの政策

 第1回を書いたときにお断りしたように、 ご批判を覚悟で 書いている。 ナチスドイツの 「礼賛」記事ではない。 皆さんと 同程度に 「ナチスの悪行」は知っているつもりである。 

 しかし、 なぜ ドイツ国民が あれほど熱狂的に 「ナチスドイツ」を支持したのか、 隣国「オーストリア」に進軍し 併合した際に なぜ あれほど 「オーストリア国民」が 歓迎したのか、 我々が持っている知識では 理解不能なのだ。 日本が (皇国史観の方の言い分はともかく) 「韓国併合」をしたときのように 地下で 強烈な反対運動が起きることなど、 ナチスドイツには 無かったのである。

 もしも ヒトラーが政権獲得後 1937~8年に死んでいたとしたら、 疑いもなく20世紀で 最も偉大な人物の一人として 名を残したことだろう。 歴史に 「もしも」は ないのだが …  『ナチス犯罪』を追求するあまり、 すべてがなかったことになってしまったのか … 。

 レニ・リーフェンシュタール ( ベルリン・オリンピックの記録映画 『オリンピア』の映画監督を務め、ベネチア映画祭で金賞を獲得。) は こう 語っている。 -- ナチス協力者として 戦後は大変な目にあっている。--

「あの頃、 ドイツ人は誰も ヒトラーのことを疑ってませんでした。 ナチスの政権が始まってわずか1年で 600万人もいた失業者が 激減したんです。 短期間に 生活はすごく良くなりました。 戦争がこれから始まるなんて、 誰も考えていませんでした。 あの当時、 ナチスに反対する人なんていなかったんです。 誰ひとりとして!

 下の建物が何であるか 知っているなら 相当の 「歴史通」である。 ナチスドイツが 労働者のための保養施設として 1936年から1939年にかけて作ったプローラといわれる 建物群である。 ドイツのバルト海に面した島、リューゲン島の 4.5kmにも及ぶ海に面した保養所である。一棟の長さ500mのビルが8つ連なる巨大建築は、第二次大戦で建設は中止されたが、20,000人の労働者が休暇を過ごすために建設されていた。 残念ながら、 ついに使用されることはなかったのだが … 
            プローラ

 ナチスの下部組織(KdF)が巨大保養施設として建設を進めたものであった。プローラは残存している第三帝国の建築の中でも、その統一感とヒューマンスケールを超える巨大さが印象的な建物で、ナチス建築の典型といえるものである。 内部の写真があるので 紹介するが、 さすがに 74年間の廃墟であったことは 覆いがたく 荒れ果ててはいるが、 建設当時を想像してみて、 当時の日本国民の生活水準から見れば 正に 「極楽」ともいえるものだったに違いない。

 プローラ-2-

 ヒトラーは 1933年10月、 国際連盟と軍縮会議から脱退した。 「いかなる権利も平等も持たない このような機構の一員として 名を連ねることは、 名誉を重んじる 6500万人の国民とその政府にとって、 耐え難い屈辱である」。  国際社会に背を向ける この外交的ギャンブルは、 しかし、 第一次世界大戦の敗戦国として ベルサイユ平和条約の過酷な条件に屈辱感を抱き続けてきた国民を 熱狂させた。 -- ようやく 2020年に その支払いが終わる。 --

1935年春には、それまで国際連盟の管理下にあったザール地方が、住民投票で91%の賛成を得てドイツに復帰。
        熱狂的にドイツ軍の進駐を迎えるオーストリア市民

 更に翌年にはラインラントの無血占領に成功。そして1938年には、オーストリア国民の圧倒的支持を受けてのオーストリア合併に成功。そしてその半年後にズデーテン地方を併合した。 -- 写真からも本当に歓迎されているとわかる。--

 このようにヒトラーは、わずか3年のうちに、ヨーロッパのドイツ語圏の全ての地域を手に入れてしまったのだ。しかもその領土拡大は、背後に常に戦争の危険をはらみながら、全く無血のうちに行なわれた。

 「我々はそのようなことを希望する勇気さえ持たなかった。 なのに この男は、 あっさりと全てに成功する。 彼は、 神の使者だ。」 ヒトラーの先を読む目のすごさに、ドイツ国民は感嘆した。

 そして、 1936年夏には、 ベルリンで「第11回オリンピック大会」が開催された。 忘れないでもらいたいが、 次は 当たり前にいけば「第12回 東京オリンピック」なのである。日本がこれに匹敵する 大会を開催できたであろうか。

 このオリンピックは 「ヒトラーの大会」ともいわれるほど ナチスの力を 世界に誇示する場となったばかりでなく、 現代オリンピックの基礎を築いたともいえるほど その後のオリンピックに 影響を与えた。。

 開会式の「聖火リレー」は、ヒトラーによって初めて行なわれた。 信じられない話だが、 競技をテレビ中継したのも この大会からである。 裸電球と ラジオくらいしかなかった 日本の生活から見て 天地がひっくり返るほどの 驚きである。
   ベルリンオリンピック-1-
       ベルリンオリンピックで使われた巨大な テレビカメラ     暗いテレビ室で何人かで見たようだ。

 1935年4月18日に開局した ドイツ最初のテレビ局『パウル・ニプコー』はベルリンにあり、それを受信できたのは局周辺の60〜80km圏内に限られていた。 一日2時間の放送であったが、 オリンピックのときは 8時間の放送をした。 まだ 高価で 1935年当時のテレビの数は、ベルリンとその周辺で、およそ250台だったとある。

 一般には テレビ室なるところで 何人かが まとまって見たようだ。 ベルリンの帝国逓信博物館に 1935年に設置されたテレビ室は 『テレビ室』のなかでも最大のものだが、 テレビに拡大投影機を付けることで、 画面の大きさを3mX4mほどに拡大して見せたため、294人が同時に見ることが可能だった。 ちなみに、ベルリンオリンピックをテレビで見た人の数は、総計で16万人と記録されている。 科学技術の水準の高さに驚く。

 巨費を投じた競技施設と 五輪史上初の選手村、 擬似軍隊的な開会 ・ 閉会式、 国家元首によるおごそかな開会宣言、 「〇〇の祭典」というキャッチフレーズ、 期間中の華麗な演出は まさに現代オリンピックの原型となった。 この「ベルリン・オリンピック」には 49ヶ国 4066人の選手が参加、ドイツは金メダル33個を獲得し、断然トップだった。 このオリンピックはドイツ人の「国民意識」に火をつけ、「ジーク・ハイル、アドルフ・ヒトラー!」 という 観客の叫びが 自発的に湧き上がった。
          ベルリンオリンピック-3-
              聖火リレーが 初めて行われた。          ベルリン五輪のポスター

 ドイツ国民は オリンピックを通じて、 ナチスが国際的に受け入れられた と信じた。 あるドイツ人教師は、 オリンピックで見たヒトラーについて こう回想している。
 
「周りのおばあさんたちは、まるで救世主が現れたように、すすり泣きしていました。……私もはずかしいことですが、一緒に歓声をあげたことを、白状しなければなりません……」

 アメリカの雑誌『タイム』は、 世界初の「ニュース雑誌」として知られているが、 この雑誌が毎年決定する「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の 第12回目の受賞者は なんと ヒトラーだったのである(1938年)。

 意外に思う人がいるかもしれないが、 ナチスが合法政権だったことは 否定しようのない事実である。 レーニンは、 選挙に負けると国会を閉鎖したが、 ナチスは世界で最も民主的だといわれたワイマール憲法の下で、 公正な選挙によって政権を取り、 その後も 何度も国民投票を行なって 民意を確認しているのである。 

 ヒットラーが政権を取るとすぐ 再軍備に狂奔したというのは 作られた作為的イメージである。 実際は 1942年までは 軍事費の国民総生産における比率は イギリスを下回っていた。 ヒットラーは アウトバーンの公共事業や 国民の福祉増進に予算を割き、 一心不乱に失業対策を行った。

 当時は560万人もの失業者がおり、 若くても職に就けないものも多かった。 結婚したくてもできない若者も多数おり、 それが出生率を下げる要因のひとつになっていた。 どこかに 良く似た国内状況の国があるが …

 この問題を解消するため1933年、 ナチスは政権を取るとすぐに、 結婚資金貸付法という法律を施行した。これはお金のない人が結婚するときに資金を貸し付ける制度で、1千マルクを無利子で借りられた (労働者の 半年分以上の金額だから 日本円にすると 200万程度か)。 またこの貸付金は、 子供を1人産むごとに返済金の4分の1が免除され、4人産んだ夫婦は 全額返済免除となった。

 その結果、1932年には51万件だった結婚数が、1933年には63万件、1934年には73万件に増加し、出生数は20%も上がった。

 結婚貸付金は、現金ではなく「需要喚起券」という証券で支払われた。 つまりこの制度によって、若い夫婦は補助金を使って家財道具などを買いそろえる。 それが 産業の活性化につながるというのである。

 ヒトラーは、アウトバーンなどの公共事業、有給休暇、健康診断 至れり尽くせりの労働環境の構築、 労働者を格安で海外旅行できる仕組み、 労働者の為の郊外住宅や 保養施設、 労働者向けの自動車(市場価格の半分以下)の開発、 その上に 再軍備を行なったのだから、さぞや税金は高かっただろう、と思われるかもしれない。

 しかし、事実はその逆である。 ヒトラーは政権を取るや否や 大減税を行なった。1933年の減税規模は、国家、地方合わせた税収の1割にも相当する。 今の日本で税収の10%を減税するなどと言えば、 財源がないと 官僚が反対し 言うことを聞かない。 経済学者は 『国家破綻』だと わめくだろう。 ヒトラーは、それを世界大恐慌で 国家財政が極度に逼迫しているときに 反対を無視して やり遂げたのだ。 もちろん、 減税は 景気効果が期待できるものが多かったが …

 景気対策で企業の業績が上向きになったのを見て、 配当制限法という法律を作った。 これは企業は資本の6%以上の配当をしてはならない、 というものである。 もし6%以上の利益が出た場合は、 公債を購入することが義務づけられた。 いくら 大企業が儲かっても、 どこかの国のように その利益が 経営陣 ・ 外国人株主だけに行ってしまうのなら、 なんら国民のためにはならない。 国債を買ってもらい、 その資金で 福祉政策を実行し続けたのである。

 こういう景気刺激策のおかげで、減税しているのに税収は むしろ増加した。 1933年の税収は51億マルクだったのが、 34年には59億マルク、 35年には75憶マルクになっている。 これは、景気がよくなって失業者が減り、所得税を納めるものが増えたために生じた現象である。 1932年には所得税を納税していたものは34%に過ぎなかったが、 36年には57%に増えた。

 減税する → 国民が潤う → 景気がよくなる → 税金を払う人が増える → 税収が増える この当たり前のことを どこの国もなかなか採用しようとはしない。 財政が苦しいときに減税するというのは 勇気がいることだからだ。 やったとしても小規模の減税なので、景気にはさほど影響はない、 富裕層への減税は もうすでに必要なものを持っているのだから 消費に向かうこともない。 結果として 税収が増えることもない。

 文芸評論家の加藤弘一氏は、「ヒトラーの政治」について次のように述べている。

 「ナチスが、 終始、 暴力的な ユダヤ人迫害を主張してきたとする見方も 間違っている。 『我が闘争』の主張と、 強制収容所での虐殺が あまりにも強烈なので、 どうしてもそう錯覚しがちだが、 ミュンヘン蜂起失敗後、 ナチスは 平和的な議会主義路線に転じ、 反ユダヤ主義の主張も 選挙民に受け入れられるように トーン・ダウンされていた。

 従来、 ナチスの自作自演とされてきた 政権獲得直後の 国会放火事件も、 今日では 当時の判決どおり、 オランダ共産党員だった ルッベの単独犯行とする説が 定説である。 ナチスは、 この放火を ドイツ共産党による組織的犯行と断定し、 共産主義の脅威を言いたてて 一党独裁体制への道を開いたが、 すべてをナチスの謀略だったする説も、 反ナチス側の政治宣伝にすぎなかったのだ。

 ナチスの戦争犯罪は 断じて許されるものではないが、 今日、 ヒトラーとナチスを論じることは、 ある程度、 彼らの名誉回復をともなうものとならざるをえない。」

 少なくとも、 政権獲得後の 4~5年間の 政策は 「富の再分配」と 「弱者の救済」という点で 評価するべき政策を 実行し続けた。 日本で 問題になっている 慰安婦問題でも ヒトラーの政策は (優秀なドイツ国民を絶やさないためとはいえ) 下級兵士にいたるまで、毎年3週間から4週間の帰郷休暇 (妻のところに帰り 家族で暮らし、 子造りせよ という考え) が与えられていたため、 大きな問題 (慰安婦の総数は200人程度) にはなっていない。 今のドイツの 『熟年世代』は この制度のおかげで 生まれたものが多いという。

 熱狂的にヒットラーを支持したのは、 洗脳されたからでもなく また、 ユダヤ人を人種差別することにで 溜飲を下げたからでもなく、 純粋に ドイツ経済を立て直し、 下層国民を大切に扱った偉大な政治家として、支持していたのである。

 もし、ヒトラーが 「ドイツ語圏だけの領土」で 満足し、 当初の構想のように 「ユダヤ人の国外追放」程度で 済ませていたなら その評価は これまで書いたもののように なったかもしれない。 特に ユダヤ人は 「金融関係」を仕事とするものが多く、 富裕層が多かったので 攻撃対象になったように思う。

 ヒトラーは政権を取った2日後の1933年2月1日、新しい経済計画(第一次4ヵ年計画)を発表した。

 この「第一次4力年計画」は、

               ・公共事業によって失業問題を解消
               ・価格統制をしてインフレを抑制
               ・疲弊した農民、中小の手工業者を救済
               ・ユダヤ人や戦争利得者の利益を国民に分配
               ・ドイツの経済界を再編成                        というのが主な内容だった。

 ユダヤ人虐殺への非難は 当然としても、 それ以外の経済政策には 参考になるところも多いのだが、 今は すべてが 「闇の中」に葬り去られている。 
                                  参考資料 『「ヒトラーの経済政策」 武田知弘 著(祥伝社)』


 (脚注 ; ドイツについて)  ここに来られる皆様は ご存知のことだけれど、 ドイツは、 ナチスの犯罪行為に一貫して賠償を行っている。 ドイツはイスラエルに対して全部で700億ユーロ (概算で8兆4000億円) の賠償を行っている。虐殺の生存者に対しては150億ユーロ (概算で 1兆8000億円) を賠償している。 それも ベルサイユ条約による 「第1次世界大戦 (第2次の間違いではない) 」の賠償金 (為替変動等で幅はあるが 40兆円~ 90兆円と言われる)も 支払い続ける中で である。 ドイツは 「2次大戦の賠償」をしていないのに 「なぜ日本だけが … 」などという 論調は 世界で理解されない。

 1994年、 ドイツ議会が可決した『反ナチスと反犯罪法』では、いかなる形式によるナチス思想の宣伝も行ってはならず、 ナチスのシンボルやスローガンの使用を厳しく禁止し、 ナチスによる大虐殺を否定するいかなる発表を行った者でもみな厳罰に処されることになっている。


スポンサーサイト

COMMENT - 5

ニャン子太郎  2013, 11. 15 [Fri] 01:53

本当に面白く興味深い話です。
同じ敗戦国ですが、そこに至る過程・経緯はかなり違うんですね。
第二次大戦までの両国の歩み。明治維新後の文明開化と幾多の戦争景気で発展した日本。第一次世界大戦のどん底から一人の天才によって見事に再興したドイツ。
日本の場合はどこをどう変えても結果は大差なかったように私は思っていますが、ドイツに関してはパパさんの記事で知ったことでとても分からなくなりました。
今までは伝えられてきた情報(私へ)からヒトラーに対しての先入観によってドイツの敗戦は当然至極と思っていましたが、今は本当にわからない。
何で?どこでドイツは・・ヒトラー(ナチス)はボタンを掛け違ったのでしょうか?
いや、、本当に何でドイツが敗戦へ至ったのか・・・強硬に好戦的な道を歩んだのかを知りたい。
パパさんの言う通りもしも歴史の結果を知らなければ、少なくともヒトラーは1938年までは英雄と言ってもいいくらいの政治家です。
何で?どうして?
んんん・・パパさんに頼ってばかりじゃいけないか、、、、
江戸川区図書館で調べてみたほうがいいかな。。。。
でもヒトラーって日本でもタブー視されてません?触れちゃならないものみたいに。。。アウシュビッツがあまりにも強烈なイメージになってるからかな?
そうそう、私は映画鑑賞が趣味の一つなんですけど、ヒトラー系の映画って作品によって人物描写が両極端ですよね。
日本で言えば東條英機?

あら・・・全然記事とは関係ないですけど、ヤフー記事で時事通信の記事に“天皇陛下、山本太郎議員を案ずる”ってのが目に入りました。例の刃物が送り付けられてきた事件の件みたいですが、、、ちょっと気になりますね。

Edit | Reply | 

リュウマのパパ  2013, 11. 15 [Fri] 02:15

Re: タイトルなし

> 本当に面白く興味深い話です。

まあ、ヒトラー自身が 二面性を極端に持っていたのでしょう。 徐々に 余りに権力が集まりすぎ その権力におぼれた と 一般的には考えられているのではないでしょうか。 躁鬱病のように なったのかもしれない … 実際のところはわからないのでしょう。 でも、 こういう話は あまり知られていないのでは …

Edit | Reply | 

-  2014, 05. 23 [Fri] 02:01

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

Edit | Reply | 

いちじく  2014, 12. 09 [Tue] 02:13

最後の賠償金について、以前、ベルサイユ条約の1320億ドイツ金マルクの
賠償金について、ドイツ金マルクだった頃からその後の賠償金の支払いで
ハイパーインフレになった時、さらに賠償金を何年かに一回値切っていた頃、
さらに値切った後、戦後とそれぞれの通貨価値を換算していったら、
何兆円どころか西ドイツが払ったものも含めて80億円程度だったように
思いますが、いかがでしょう。

ユダヤ人団体が要求していた額で未払い分もいれて円高の頃の日本円換算で
せいぜい2兆円前後だったような。

Edit | Reply | 

-  2016, 03. 14 [Mon] 14:29

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

Edit | Reply | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。