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『アンネの日記』の破損事件と 『はだしのゲン』図書館撤去の請願にみられる 共通点   国際的に大問題にならないと 『歴史認識』を変えられない 「皇国史観の人々」が問題。

 ようやく、 日経新聞が 「イギリス エコノミスト」の記事を 転載して NHK会長や 経営委員の発言が 欧米社会から どのように受け取られているか を紹介した。 しないよりは マシだが、本来は 日本のマスコミ自体が もっと大きく取り上げ その点を追求すべきであった。

 NHK騒動が 片付いてもいないのに アメリカ CNNが 東京の図書館で 「アンネの日記」が 破られるということが 多発している と伝えた。 ヨーロッパでは、「ネオナチ」を信奉する極右勢力によって 同様のことが行われたので、 東京の出来事も そういう下地があるのではないか、 と考えている。


                                                   2014年02月22日 東京(CNN)
  東京都内の公立図書館に所蔵されているアンネ・フランクの日記やホロコーストに関する書籍のページが破られる被害が相次いでいる。 杉並区と中野区の当局者によると、これまでに少なくとも167冊の本のページが破られ、その大半は「アンネの日記」だという。

しかし、被害はこの2区にとどまらない。共同通信によると、1月から都内の31の図書館で、少なくとも265冊の「アンネの日記」関連の本が破られているのが見つかったという。 「アンネの日記」は、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクが、第2次世界大戦中にオランダのアムステルダムでナチスから隠れて暮らしていた時の様子を日記のように描いた文学作品で、これまでに全世界で数百万人に読まれている。

米国ロサンゼルスを拠点とするユダヤ人の人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)で副センター長を務めるラビ、アブラハム・クーパー氏は、被害に対する衝撃を口にした。 クーパー氏は声明の中で、「これは、第2次世界大戦中のホロコーストで、ナチスに殺害されたユダヤ人の子ども150万人の中で最も有名なアンネ・フランクの記憶を汚すものだ。被害発生が広範囲に及んでいることから、組織的に行われた可能性が極めて高い」と述べた。

SWCは日本の捜査当局に対し、犯罪者の特定・対処に向けた一層の努力を求めており、日本政府も徹底的な捜査を行うとしている。                                                      (引用終り)

 このニュースを伝えるサイトの コメントを読むと、 必ず 『アンネの日記 偽物説』が 書かれている。 ユダヤや 戦勝国の 『プロパガンダ』であり、 世界の中で 日本人が最も読んでいる。 「早く 日本人は (あらゆる意味で) 覚醒すべきだ。」などと 主張されている。 この本を破った犯人も、 「偽物(プロパガンダ)」を 図書館に置くのは けしからん、などと 思ったのかもしれない。
 
                                                        日本人の覚醒 さん 引用
 『アンネの日記』が長年に亙って最も売れている本になり続けている国は日本だけと言われる。 実は『アンネの日記』は、アンネ・フランクという13歳で亡くなった子供が自ら書いた「日記」 ではない。アシュケナジー・ユダヤ人であるメイヤー・レビンという人物が、アンネの父から頼ま れて書いた小説なのである。

 思えばアンネはオランダで生れたアシュケナジー・ユダヤ人であった。彼女が古典的ドイツ語で、 しかも大人の様な筆跡で書くのは不自然というものである。彼女はオランダ語はは堪能であったであ ろうかが、オランダ語とドイツ語は根本的に違う。もしこの『アンネの日記』が宣伝(プロパガンダ)として利用されているならば、日本人は、完全にそれに乗せられている事にもなるのだ。

 1959年4月15日付の「エコノミック・カウンシル」誌に次の様な記事が載った。  「『アンネの日記』は十代の子供が書いたとは思えない。この事について ニューヨーク最高裁判所の判決から裏付を取る事が出来る。

  アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オットー・フランクから、この日記作成に対する謝礼金として5万ドルを受取ったと認めている。フランクはこのレビンに5万ドルを払い、その後レビンの作品をまるで自分の娘の作品の様にしてしまったのである。・・・(中略)・・・この最高裁の判決の書類2241ー1956はニューヨークの地方事務所にある筈なのだが、残念な事にこのファイルは今や何処かへ消えてしまっている(この様に証拠隠滅するのが彼等の得意技である。)    -- 中略 --

 このエルンスト・ロエマーの申出に対する独逸連邦犯罪調査事務局(BKA)の調査結果を西独逸の週刊誌「シュピゲール」が暴露した事があった。  それによると、『アンネの日記』の原本は、長期に亙って全巻が発表されていなかった。しかし裁判の結果遂に第4冊目が調査される事になったのである。その4冊目はボールペンで書かれていたと云う。よく考えれば、ボールペンが世に出て一般に使われている様になったのは1951年以降である。アンネはそれよりも遥か以前に死んでいた。

 第4冊目に書かれているボールペンの筆跡は第一冊目、第二冊目、第三冊目に書かれている筆跡と全く同じ物である。と云う事は、この日記はアンネ自身の手に依って書かれた物ではないと云う事の動かし難い証拠となったのである。
                                                                (引用終り)

 ところが 2009年、 ユネスコは、オランダに保管されている『アンネの日記』を世界記憶遺産(Memory of the World)に登録した。 贋作、 もしくは その疑いのある物を 「世界遺産」とするだろうか。 一方の意見だけでなく、 反対意見も 聞く耳を持つべきだろう。 1つの例として 『 鳥飼 行博 研究室 』 (以下 写真を含む 引用) を紹介しておこう。
   -- 大変詳しいサイトなので 全文は リンクにて ご覧ください。 → リンク  鳥飼 行博 研究室 --

写真(上)アンネ・フランクの第一冊目の日記原本-1-
 
写真(上)アンネ・フランクの第一冊目の日記原本:1942年6月12日十三歳の誕生日プレゼント:アンネは,1942年12月まで,半年間,この日記帳をつけた。第一冊目なので,写真も多数貼ってある。第二冊以降は,学校ノートや紙切れ(ルーズリーフ)に日記をつけた。1944年8月,15歳でヴェステンボルクWesterbork収容所,ついでアウシュビッツ収容所に送られた。2ヶ月後,ベルゲン=ベルゼン収容所に移送され,病気で衰弱,1945年3月頃死亡。1944年3月25日「死んでしまった後も生き続ける仕事がしたい」と日記に書いたアンネは,それを果たした。日記原本の写真は,United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)引用。

アンネは,日記に「後ろの家」と名づけ刊行する事を夢見ていた。日記の文章は,表現が軽妙で,内容も濃い。親族・同居人・友人に対する酷評,ペーターとの恋愛、男女への興味にもページを割いている。そこで,微妙な箇所を削除,修正して出版された。出版物「アンネの日記」の普及版、完全版、研究版という区分は、編集や出版社の都合による。日記原本は、日記帳、複数の学校用ノート・会計帳簿、多数の紙切れに書かれており,それらは,戦時中の潜行生活、物不足を反映して、中古で既に書き込みのある紙やノートだった。これが,日記は,アンネの筆跡でない,自作でないとの誤解を生んだ。2009年7月,国連教育科学文化機関(UNESCO)が、貴重資料の保存と認知度向上を目的とした「世界記憶遺産」(Memory of the World)に「アンネの日記」を登録し、日記の捏造説は荒唐無稽であることが明白になった。

アンネの書いた自筆の日記は,6種類-1-

写真(上)第二冊目以降のアンネ・フランクの日記原本とルーズリーフ:左より,①三冊目の学校ノート代用の日記帳。1943年12月22日から1944年4月17日までの日記が書かれている。120ページで,幅16.4cm X 縦20.7cm。②紙切れを使ったルーズリーフの一枚。リライトするために紙切れを使って,日記を整理した。③会計帳簿を代用した物語集。以上のように,アンネは,1942年12月の十三歳の誕生日にもらった日記帳を半年で使い切って以降,学校ノート代用の日記帳,会計帳簿,紙切れをルーズリーフにして,日記や物語を書いた。中古ノートは,書き込みページは一部破いている。戦時中の隠れ家生活にあって,新しい日記帳や新品のノートを手に入れることはできなかった。トイレットペーパーも領収書を代用した。戦争直後,日記を手にした編集者・研究者が,日記に整理のために書き込みをした。「アンネの日記」偽作など問題にならず,日記も無名だった時期だった。日本語では,アンネの日記研究文献がほとんどなく,複数の中古学校ノート・多数の紙切れに日記をつけていたことに思い至らないままに,偽作説が流布された。

  1947年の「アンネの日記」初版(「後ろの隠れ家」:オランダ語)はそれほど注目されなかったが、1952年刊行The Diary of a Young Girl(「アンネの日記」英語版)が出版されてから,ベストセラーになり、アンネはホロコースト犠牲者の象徴になった。そこで、反ユダヤ主義者が「日記」を貶めるプロパガンダを展開した。日記を読まないうちに,日記の文書は,十三四歳の少女が書けるものではないと思い込み,姉マルゴーや他人のノート書き込み、戦後に研究者や編集者が書き込んだボールペンや鉛筆の書き込み・筆跡を取り上げて、日記が捏造だとの誤解を広めた。彼らは「アンネの日記」原本が、複数の日記帳・中古の学校用ノート・中古の会計帳簿、中古の多数の紙切れ(ルーズリーフ)から構成されていることに、市民が思い至らないように慎重に議論している。

戦時中の潜行生活・物不足の中で手に入れた「日記を書いた紙」は、新品ではなく、劣悪な紙や書き込みの古紙だった。日記の真偽は,裁判・科学的検証によって明らかにされたが、日記捏造説,日記焚書の発生は,ユダヤ人虐殺の歴史を共有できていない、あるいは反ユダヤ主義が残っている証拠でもある。

アンネの日記を「十三四歳の少女がかけるはずがない」と喧伝する者は,自分の文才と比較したのか、日記を読んでいないかである。手にとったことのない「アンネの日記」、見たこともない1959年アカデミー賞の映画「アンネの日記」の高い評判を伝え聞いて、少女にそんな人気作品が書けるわけがないと誤解したのかもしれない。狭い隠れ家に閉じ込められていたアンネは、顔を突き合わせざるをえなかった同居者、姉や母親に対しても不平不満を書き連ねている。日記を読んでいないままに日記を否定している者は、不平不満を抱えた少女の悩みを知らないし、少女の鋭敏な感覚にも,25ヶ月間の苦しい隠れ家生活の恐怖にも思い至ることがない。

アンネ・フランクは,迫害の中で身体的に拘束され、不自由に苦しんだが、そのことがかえって,アンネの魂を自由にした。少女は,限りない精神世界を形成し,その一端を「複数の日記帳や多数の紙切れ」に書き記した。それは、同居者から母親まで悪口も、若者・少女の理想主義,向学心、男の子への興味も綴られている。まさに女の子の生の文章だ。
                                                              (引用終り)

 どちらに 賛成されるかは 皆さんの判断にお任せするとして、 この件と同様に 重要な事が 東京都で進んでいる。 外国との関係がないだけに 国内世論が この事件を 糾弾することができるだろうか。

     はだしのゲン 都内で撤去請願 教委・議会に14件
                                                      2014年2月21日  東京新聞
 原爆投下後の広島を描いた漫画「はだしのゲン」を教育現場から撤去するよう求める請願や陳情が昨年九月以降、東京都と都内の区市の教育委員会・議会に計十四件提出されたことが、東京新聞の調査で分かった。松江市の小中学校で閲覧制限問題が発覚して以降、作品を子どもたちから遠ざけようという動きが浮かび上がる。全国の道府県教委も調べたところ、都以外では請願は出されていない。東京での議論が全国の平和教育のありように影響を与える可能性もある。 (飯田孝幸、樋口薫、大平樹)

  はだしのゲン 都内で撤去請願

 一月から二月にかけ都と島しょ部を除く都内五十三市区町村を調査した。十四件の内訳は都教委が三件、練馬区が三件、千代田区が二件、港、新宿、大田、中野、足立区と西東京市が一件。

 請願は「旧日本軍の残虐行為を捏造(ねつぞう)している」「天皇に対する侮辱や国歌の否定が含まれる」として、学校図書館などからの撤去を求めている。練馬区教委などに請願を出した「教育問題懇話会」の代表者は「史実をねじ曲げた思想宣伝の教材になっている。親や教員の指導がないまま、子どもに読ませるには毒が強すぎる」と話した。一方、対抗する形で、都や練馬区などには、自由に閲覧できるよう求める請願も出された。

 都教委は一月「幅広い知識を身に付けさせるため、さまざまな資料が必要」として、いずれの請願にも応じないことを決めた。一方で「一部に教育上の配慮が必要な暴力的表現がある」とも指摘。校長や教委関係者の会議で、適切な読書指導を行うよう周知した。                                                  (引用終り)

 昨年、 松江市で 「はだしのゲン」を閲覧制限したとき、 全国から 非難の声が上がり、 取り消された。 全く同じ理由で 図書館からの撤去を 請願しているのだという。 「カルト宗教」を 信じるのは勝手だが 人に押し付けるのはいただけない。 見たくなければ 見ないだろうし、 聞きたくなければ 聞かないであろう。 「アンネの日記」の破損同様 他の人々に 「その宗旨」を 押し付けるべきではない。 昨年の 松江市の事件の際に 産経新聞は 次のように この事件を報じた。 とても、 報道機関とはいえない認識である。 はやく 「宗教新聞」であることを 公表したほうがよい。 できれば、 廃社してもらいたいくらいだ。

    左翼のバッシングに屈した『はだしのゲン』騒動、松江市教委の腰砕け対応 
                                                         2013.9.14  産経新聞
 松江市教委が市内の小中学校に漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を求めていた騒動は、市教委が「手続きの不備」を理由にあっさりと閲覧制限を取り下げることで幕引きとなった。しかし方針変更の過程で、賛否両論が沸き起こった作品の暴力的な描写や歴史問題についてはほとんど議論されることはなかった。「子供たちの知る権利の侵害だ」「過去の歴史から目をつぶるな」など左翼的とも受け取れる批判に屈し、腰砕けとなった市教委の対応を疑問視する声もあり、騒動の火種はくすぶったままだ。  -- 中略 --

 結局、「はだしのゲン」の閲覧制限の要請については、手続きの不備があったとして「制限を要請する前の状態に戻すことが妥当。その後の取り扱いは、学校の自主性を尊重する」ということに全会一致で決定。作品の内容面や教育上の問題点などが話し合われることはなく、あっさり閲覧制限が撤回された。     (引用終り)

 鳥飼 行博 研究室 さんの文の中に ヒトラーユゲント(1926年に設けられたドイツのナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織)での言葉が紹介されている。

 「私は,若者から始める。われわれ大人は疲れ果てている。----ドイツの大人は,屈辱的な過去の重荷 (日本なら さしずめ 自虐史観になるのか ) を背負わされている。---しかし,青少年たちは,実にすばらしい。この世に,これほどのものたちはいない。若者や少年を見よ。なんという逸材だろう。彼らがいれば,新しい世界を作ることができる。」と 若い世代に 重きを置いた。 

 今の日本は 第一次大戦後のドイツに似ていると よく言われる。 知識の乏しい 若い世代に 都合のよい点のみを取り上げて 歴史を作り 刷り込んでいく。 ヒトラーユーゲントHitler Jugendは1932年の団員数は5万5000名に過ぎなかった。 1933年にナチス政権が成立すると,団員数は1933年末に56万8000名に増加する。その後,キリスト教団体,社会民主党・共産党主導のドイツ少年少女団体は,圧迫され,解散された。1936年,解散メンバーを取り込み,ヒトラーユーゲントの団員数は543万7000名に急増,1936年ヒトラーユーゲント法The Hitler Youth Lawによって,全ドイツ青年が加盟を義務付けられた。

 彼らは、 「従軍慰安婦」は いなかったか、 NHK会長のように 『どの国でもやっていた』か のいずれかで、 日本としては 『問題にならない。』という 立場を主張している。 日本国内の 教科書からも 『右翼のバッシング』におされて、 すべて消えてしまった。 

 ところが、 皮肉な事に 他の国々で 書いてくださるようだ。 『因果応報』というか、 手前勝手な意見に固執すると 「天に唾する」結果となるようである。


反倫理犯罪である日本軍の慰安婦問題を米国の公立教科書に盛り込もうという法案(別名「慰安婦」教育法)が10日(現地時間)、ニューヨーク州上院で発議された。  米国の中高校生に慰安婦の惨状と苦難を学ばせようという法案発議は今回が初めてだ。

この法案を発議したトニー・アベラ上院議員は「学生時期に歴史を正しく学べなければ未来に同じ過ちを犯すことになると考え、法案を推進することにした」と明らかにした。 法案が順調に進めばニューヨーク州の生徒たちは7月から慰安婦問題に対する歴史的事実を学べることができるようになる。 この法案には東海(トンへ、日本名・日本海)併記内容も含まれている。

最近バージニア州の東海併記で始まった米国州議会の動きは、「慰安婦」教育法の発議につながりつつ米国版の「歴史を正すこと」に拡大する様相だ。 米国政界が日本の近代史わい曲の訂正に出たのだ。
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-  2016, 08. 23 [Tue] 19:04

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